砂のなかの楽園

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4.十七さいの立派なレディ  いつも笑い声が聞こえていた砂のなかの基地に、数年ぶりの静かな朝がおとずれた。  風は変わらず吹いている。砂はいつものように巻きあげられて音をたて、叩きつけられて騒ぐ。けれどもそれをうち消すあかるい声は、聞こえてこない。  静まりかえる基地のなか。  大きなガラス窓を無粋なシートで覆いつくした一室に、少女は臥していた。  風に舞うのが似合う髪を白いシーツに散らばせて、成長してもなおたよりない手足を体の横に投げだして、力なく横たわっている。  もとより白い肌を青ざめさせている彼女の手をそっと取ったのは、顔色こそ変わらないけれど表情をくもらせたロボット、ユクヒトだ。 「……カイカ。この基地でできる医療処置はもうありません。今日じゅうに最寄りの聖域に移れるよう手配をしましたから、もうしばらく耐えてください」  いつの間にか片手では覆えなくなった少女の手を両手で包み、ユクヒトは浅い呼吸をくりかえす彼女に呼びかける。 「カイカ。体がつらいならばすぐ言うようにと、伝えてあったでしょう。あなたが地上の空気や土に耐性を持っているとわかったからといって、許容の限界を越えればどうなるか……」  小言というには弱々しいユクヒトの声がするほうにカイカは頭をたおして、うっすらとまぶたをひらく。 「この体の限界を、調べるために、私はここに送られたんでしょ」  少女が息苦しさをおさえてなんでもないふうに言えば、ロボットは傷ついたような顔をする。  はじめて会ったころにくらべるとずいぶん表情が豊かになった、とカイカはこっそり嬉しくなる。きっと本人は認めないだろうから、言わないけれど。  かわりに彼女は融通の効かないロボットにお願いをすることにした。 「ねえ、笑ってよ。プログラムされた笑顔じゃなくて、ユクヒトが私のために、笑顔を見せてよ」  やわらかく笑う少女からもたらされたロボット的に大変無茶なお願いに、ユクヒトはまばたきをくり返す。  しばしば登場するカイカの冗談だろうかといたずらな笑顔が現れるのを待つけれど、彼女はまっすぐな瞳でユクヒトを見つめている。その目のかがやきは、体が弱っていても衰えない。  強い光に射ぬかれて、ユクヒトは口をひらく。   「……あなたがここに戻るときまで、ココロは使わずにいたいのです。体を治したあなたとふたたび会えたときに、ココロの底から笑いたいのです」  真剣な表情であまりにも女々しいことをいうロボットに、カイカはうっかり声をあげて笑った。 「あははっ、はっ! げほっ、ごほっ!」 「カイカ!」  思わずこぼれた笑いに弱った体が耐えられず、咳こんでしまう。  そんな彼女を心配し諌めるような声をあげるユクヒトの目を見ながらカイカはほほえむ。 「ずっと言おうと思ってたけど、ココロは惜しむものじゃない。使わなきゃ、錆びつくものよ」  諭すような少女の言葉に、頭のかたいロボットは反論する。 「けれど、あなたのように際限なくココロを使用すると、すぐにすり減って壊れてしまいます」  言いながらユクヒトの回路が再生するのは、出会ってからのカイカが見せたさまざまな表情。  輝くひとみ、赤いほほ。容易に泣き、すぐに笑う少女から目が離せなかった。  容量を増設してまでユクヒトのなかに残してあるたくさんの記録。その記録のなかのどの彼女よりも力強く、目の前のカイカが笑う。ユクヒトの言葉を笑いとばす。 「すり減ったら、あなたが私を抱きしめて。そうすれば私のココロは満たされる。壊れそうになったら、あなたが私のそばにいて。それだけで私のココロはいくらでも強くなる。それはきっと、ロボット(あなた)のココロも同じよ」  ユクヒトはそんな説を一度も聞いたことがなかったけれど、なぜか彼女の言葉に反論できなかった。  そうしてロボットが呆けているのに、少女はいっそう笑みを深める。 「私はぜったい戻ってくる。私が戻ってきたら、覚悟しておいて。あなたのココロがすり減る暇も、壊れてる暇もあげないから」  言うだけ言ったカイカはかすかにほほに色を取りもどし、どこか具合が良さそうに見えた。けれどもやはりしゃべりつかれたのだろう。彼女はすこし寝る、言うとユクヒトの返事を待たずに目を閉じてしまう。  残されたロボットは、ひとり少女のそばに佇んだ。その顔に浮かぶのはあまりにもロボットらしくない表情だと、彼自身もまだ気がついていない。
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