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1.はじめましてレディ
風が吹く。
乾いた大地をまきあげて、砂まじりの風が吹く。
ピピピッ。
ざらつく風のざわめきの合間に、頭部に内蔵された受信機から高い音が響く。
その音でユクヒトは砂に足あとを増やす作業をとめて、風がやむのを待ってからゴーグルをひたいに押しあげた。本当はそんなことをする必要はないし、足をとめる必要だってないのだけれど。
そもそも彼にとってはゴーグルなんて飾りでしかなくて、砂が舞うここではゴーグルをしてフードを目深にかぶったほうか人間らしいから、そうしているだけのこと。
実際は砂つぶにうたれても平気な顔をして立っていられるし、歩きながら受信内容を確認することだってできる。
けれども、あえて風の合間に素顔をさらして立ちどまり届いたメールを開封すると、臨時任務の文字がある。ときおり入るチェック箇所追加の連絡かと読みすすめて、ユクヒトは首をかしげた。
「……人間の子どもを送る、世話をするように……?」
解読はできるのに理解できないメールの内容は、音声にしてみたところでやはり理解不能だった。
これまでにない任務内容。それも、ユクヒトの能力に適しているとは思えないもの。
頻発する砂嵐によって文面にエラーが生じたのだろうかとあらためてデータを確認するけれど、異常は見つけられない。そもそも砂嵐程度でエラーが発生するならば、いまごろユクヒトは動いていないだろう。
「人間の子どもを送る、世話をするように。詳細は追って連絡する」
もういちど読みあげた任務内容はこれだけだ。ほかに情報はないかと見れば、送信元が聖域(サンクチュアリ)とある。
聖域。住みにくくなった地上を離れた人間たちが、あらゆる生命を連れて移り住んだ地下の楽園。そこが送信元であることといい、内容のあいまいさといい、おそらく送り主は人間だと思われた。
「子どもを世話する。子ども、十八歳未満の者……保育に関する情報をダウンロードすべきでしょうか?」
与えられた仕事の不明確さにひとり首をかしげる、地上巡行用ヒト型ロボット、男性タイプ。識別名、ユクヒト。
応える者のない、それどころか呼吸をする者も存在しない地上において、彼の再生した音声は乾いた風の音にかき消されるだけであった。
数日後、彼が拠点とする基地に物資移送用のロボットがやってきた。定期的に各拠点を巡回するそのロボットは通常であれば事前の指定どおりに物資を置き、また依頼したとおりに物資を回収して拠点をあとにする。
いずれの作業も全自動(フルオート)でおこなわれるため、拠点のロボットが手伝うことはない。けれども、今日だけはその物資移送用ロボットの到着をユクヒトは待っていた。
事前に連絡を受けていたとおりの時間に、指定されていた拠点の入り口にとまる移送用ロボット。ユクヒトの目の前でかすかな音をたてて、ロボットの開口部が開きはじめる。
すると自動で動く開口部が開ききるのを待たず、わずかにできた隙間からちいさな影がすべるように出てきた。
砂に足をつけたそのひとは、ユクヒトにぶつかる寸前のところに立つ。
頭から足の先まで大きな布にすっかりおおわれて、顔の見えない人間の子ども。
目のまえに着地したその子どもをユクヒトはじっと見つめた。
地上部から頭頂部までの長さ、布ごしに感知できる体温、推測される重量、いずれも事前情報として送られてきているデータに一致する。臨時任務の対象であると思われる。
それを確認したところで、ユクヒトは次の挙動を決めかねる。
なんと声をかけたものだろうか。
ロボット同士であれば識別名を告げて、必要であれば任務内容を確認しあう。けれど相手は人間だ。ならば、どのような対応が正解だろうか。
子どもと会うのがはじめて、どころか生身の人間と会うのがはじめてのユクヒトは、脳内にインプットされているマナーに現在の状況を照らしあわせて考えてみた。
マナーに関するデータにあるあいさつの項目に「相手の目を見ること」とある。
というか、相手の目を見て笑顔でおこなうこと。それ以上のあいさつに関するマナーはインプットされていない。なにせユクヒトは地上を歩きまわるためにつくられたロボットだ。人間に対するマナーなど、要求されたことがない。保育に関する情報といっしょにダウンロードしておけばよかったと思っても、いまはどうにもならない。
そんなわけで、ユクヒトはできる限りの行動をとることにした。
相手の目を見るべく、頭部をまえにさげた。
その結果、布にくるまれた頭頂部が見えた。目は見えない。
なぜか。考えるまでもない。
あいての身長は一一五センチ。生後七年が経過した日本人種の女児としては一般的な大きさだ。対するユクヒトは、一七五センチ。男性型ロボットとしてもっとも標準的な全長で作成されている。
そのため目の前の子どもとユクヒトが目線を合わせるにはユクヒトが下を見るだけでなく、相手にも上を向いてもらう必要がある。
「……」
その体勢で見つめることしばし。
ふと、ユクヒトは片ひざを地につけてみた。そのまま前を向けば、子どもの視線とまっすぐに向き合うことができた。
布の隙間にきらめく子どもの目線と高さをあわせて、いざあいさつを。
「はじめまして。地上巡行用ヒト型ロボット、識別名ユクヒトと申します」
言いながら口角をあげ目を細めれば、返ってきたのは頬を赤く染めて歯をむき出しにした笑顔。
「ユクヒト、よろしく!」
へへへ、と笑いながら飛びついてきた子どもごと転倒しないように、ユクヒトはあわててそのちいさな体を抱えたのだった。
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