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38 新聞記事と火事
「お嬢さま! おめでとうございます」
セバスが嬉しそうに笑みを浮かべている。セバスが笑っているところはめったに見れないので、貴重だ。
「ありがとう」
本当に婚約したんだよね……。お父様にも伝えたし、あとでベラルント伯爵のほうにもご挨拶に伺う予定だ。あまり実感はないけど。
知らないうちにベラルント伯爵家からお父様に婚約の打診は来ていたみたいで、マキウス様はしっかりと外堀を埋めてらした。
びっくりした。さすがというべき?
こういうところまで私の知恵が回らないのは、おそらく辺境で貴族の争いにもまれてこなかったせいなんだろうな。経験値のなさだ。これからはしっかり学んでいこう。
ぎっくり腰のお父様やお母様のほうがよほど貴族の闘い方を熟知しているとおもうと、領地経営ができると自負していた自分が恥ずかしくなった。
お父様がもう少し元気になったら、貴族的な処理の仕方をもう少し勉強させてもらおう。いずれマキウス様のもとに、ベラルント伯爵家に嫁ぐことになるんだし。
「今朝の新聞です。お読みになった方がよろしいかと」
「ええ。わかったわ」
「早めに」
セバスの眼力が強い。
今すぐ?
セバスがじっと私を見る。
「わ、わかったわよ」
セバスが引き下がらないので、机の書類を一旦置いて、王都新聞と王都商業新聞に目を通す。
「うわ!」
淑女らしからぬ声を出してしまった。
セバスが咳払いする。
なんと一面に私とマキウス様が載っていたのだ。
王都新聞には『婚約間近!? カルカペ王国を担う次世代』という記事が……。私とマキウス様が向かい合って微笑んでいる写真付き。いつ撮られたんだろう?
王都商業新聞は『次に来る波は産業革命!? 物流革命の影響は』『貴族社会の終焉 資本を持ったものが生き残る』と大見出し。
うわあ。これはすごい。こんなことされたら、ますます王宮議会に嫌われるわ。
ああ、大丈夫なんだろうか。私、いつか死んでしまうのではないのかと怖くなる。お願いだから、特権階級の人たちの気持ちを煽らないでほしい。長生きしたいの。
「それと、こちらは王都でまかれているビラでございます」
セバスは口角だけをあげた。
ビラですか。嫌な予感しかしないんだけど。ははは。見なさいとばかりにセバスにビラを渡された。
『貴族社会の終焉 身分差のない社会へ 解放戦線』とタイトルがあった。
解放戦線って、あの食いしん坊令嬢!?
わたしの誕生パーティーに招待状で呼んだ人以外がどれだけ来ていたのだろう。頭が痛くなった。もうすこしセキュリティ対策をしなくてはいけないのだろう。反省だ。
お父様もお母様もダメージを受けてなければいいんだけど。マキウス様やベラルント伯爵家のほうは大丈夫なんだろうか。
はあ。ため息しか出てこなかった。
「お嬢さま? ご安心ください。さきほど魔法鳥が来ました」
魔法鳥とは急ぎで届く手紙のことで、隣国ハトラウスの魔法紙を使用している。あて先を書くと、すぐに相手に向かうため、人が配達するよりもずっと早く到着する。ただし、恐ろしく高価なんだけどね。
「マキウス様からでございます」
セバスが私に魔法鳥を渡してくれる。
「大丈夫だって。ただの未来予想なのだから、ベラルント伯爵家は気にしていないって書いてあるわ」
「ようございました」
セバスは静かにうなずいた。
「ねえ? ほんとうにこんな社会が来ると思う?」
「そうですね。すぐに来るわけではないでしょうが、いずれ来るかもしれませんね」
「そのとき、セバスはどうするの?」
我が家からセバスや侍女たちがいなくなる時が来るのかもしれないと思ったら、胸が痛くなった。
「そうですね。お嬢さまがお雇い下されば、ずっとおそばに」
「そ、そう?」
セバスの意外な答え。
「いまもしっかりお給金はいただいております。ヴィスワフ家を会社に置き換えてみれば、旦那様が社長と言いましょうか? 私は社員になると考えれば、貴族社会だろうが、平民になろうが、お給金がいただける仕事であれば問題ないですから」
「そうね。確かに」
そうか。そういう考えもあるよね。
セバスの冷静な答えに焦りも恐怖も引いていく。
「ヴィスワフ家の領地経営は、会社や役所の運営のように領地内でお金を回すやり方です。ヴィスワフ子爵が資本提供している鉄道会社もありますし、温泉街もありますから、貴族社会が崩壊してもさほど影響はございません。ただし、貴族であることにただ依存していた御家ですと、いろいろあるかもしれませんね」
セバスは目を細めた。
「じゃあ、これからも領地経営を頑張るね」
「はい。よろしくお願いします」
セバスは微笑んだ。
部屋をノックする音が聞こえた。連続して4回。かなり早いリズムだ。
何かあった?
セバスと私は顔を見合せた。
「こんなところにセバスさん! 探していたんです。大変なんです!」
「どうしたんですか」
セバスが顔をしかめた。
「火事です!」
侍女が息を切らしている。
「火事?」
セバスと私が声を重ねた。
「タクランの町で、火の元はお弁当屋さんあたりです。現在、自警団の人たちが消火活動にあたっています」
自警団とは、住所ごとに区切ってあるグループのことだ。ご近所づきあいがあったほうがいいし、自警団の活動は犯罪の抑制につながるので、一家に一人、代表が自警団として活動をしてもらっている。活動内容はタクランの町のお知らせ等の回覧や近所の夜の見回りだ。もちろん、警備隊も町にはあるんだけど、そちらのメインは犯罪者を捕まえる方だ。
「お弁当屋さんですか。火の不始末なのかしら」
「調べていますが、どうやら不審火じゃないかと」
不審火? どういうこと?
「お、お嬢さま? どちらに」
侍女の声を背に玄関に向かう。
「お嬢さま、お気をつけて。一人で深追いはダメですよ」
セバスが追いかけて来て、馬の手配を手伝ってくれた。
「分かってます。危ないことはしません」
「旦那様と奥様に報告しておきます」
馬を走らせ、二十分後。タクランの町に到着した。黒い煙が見えている。急いで現場にかけつけると、お弁当屋さんが水浸しになっていた。
「お嬢さま!」
アリアの顔を見つけた。
「アリアも来ていたのね」
「はい、お店が近くですから」
「怖かったわね」
「ええ。とても……」
アリアの顔色が悪い。自分の店が燃えてしまったらと考えたのだろう。
「マリー様! いらしたんですか」
マンタ会長が手を振っていた。
「ええ。火事と報告を受けたので」
「火の元は弁当屋ですが、裏口の付近が激しく燃えています。裏口に燃えやすいものは置いていなかったという証言があります。なので、不審火じゃないかと思われます。幸い焦げ臭いにおいに近所がすぐに気が付いたためボヤ程度ですみました。現在ほぼ消火が終わっています。ケガを負ったものがいるらしいのですが、現在確認しています」
「なるほど」
マンタ会長の話に相槌をうつ。
よかった。すぐに鎮火したんだね。
ほっと胸をなでおろす。
「朝の仕込みを終えて、弁当を売り行っていたものが多く、また店に残っていたものも販売係なので、裏口に行っていないとのことです。どうして火の手があがったのか、わかっておりません」
不審火ですか。もしかするとヴィスワフ子爵領の弁当屋さんに恨みがある人がいるようです。なんか最近、トラブルが多いなあ。
「わかりました。警備隊にも調査させましょう。放火が続くとやっかいです」
「せっかく町を整えたばかりなのに燃やされてはたまりませんからね。自警団のほうにも注意するよう通達しておきます」
マンタ会長が提案した。
「ありがとう。よろしくね」
「もちろんです。商売の恨みですかね。なんとなくきな臭いです」
まあ、火事の後ですからね。そうではないですね。はい。わかってますよ。
「この辺りは新しく商売を始めた人たちもいるのかしら」
「ええ。この辺は駅で弁当を販売する店が多いですかね。王都から引っ越してきてこちらで販売しているひともいますよ」
「ああ、ミヨーナのことかしら」
「ええ。商売を始めたいとミヨーナ以外から相談を受けたりしていますが、一番目立つのはミヨーナですかね。親切心で動いているのか、ちょっと泳がしているのですが」
マンタ会長は顎の髭を撫でた。
ミヨーナが? 何かトラブルを起こしているのかしら。
マンタ会長に詳しく聞こうとする。
「どいたどいた! ケガ人が通るよ」
4人で板を担いでいく。板の上には若い男性が乗っていた。
「ろ、ロレンス様?」
わが目を疑った。
「ロレンス様はどうやら火事の現場にいたようで……。やけどを負っているみたいです。急ぐので、これで失礼します」
担いでいた男性が簡単に説明し、医者の元へ急いでいった。
やけど? 大丈夫なの? エリザベス様に連絡しないと。それに……、ロレンス様がどうしてここに? 火事の現場になぜいたの?
胸のざわつきが収まらない。
「マリー様? マリー様?」
マンタ会長が私の顔を覗き込む。
「あ、すいません。ロレンス様がここにいたことに驚いてしまって」
「ロレンス様はここ2日ばかりこの町を歩いていたと自警団からも警備隊からも報告が上がっています。隣の領地のご子息でしたからね。面子が割れてます。悪さをしていたわけじゃないですよ」
マンタ会長はハハハと笑った。
「ロレンス様はいったい何していたのかしら」
「何か調べていたようです。そうしたら、運悪く不審火を見つけてしまったのかもしれません。もし犯人と鉢合わせしていたら、殺されていたかもしれません。やけどですんでよかった」
マンタ会長の話に背筋がぞっとした。
ロレンス様の様子が心配です。そうだ、エリザベス様に連絡しないと!
急いで魔法鳥でベラルント伯爵家へ連絡した。
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