出会い

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いったい何故こんなことになったのか。それは、一ヶ月前までに遡る。 いつものように仕事終わりに三十分以上も説教され、心も体もボロボロになりながら帰宅した瞬間、部屋の中に書いた覚えのない魔方陣と、古代ギリシャ風の服を着た傷だらけの褐色肌の成人男性がいた。 パニックになって警察に通報しようとする私をなんとか止めて、魔方陣の中心に座っていた成人男性は説明する。自分はギリシャ神話の軍神アレスだと。 説明を聞けばこういうことらしい。 自分は嫌われ者の軍神で、紀元前、神代の時代からずっと神々に嫌味を言われたり陰口を叩かれたりしていた。もう二十世紀以上、ずっとである。 嫌われ続けることにいい加減疲れたアレスさんは「仕事を放棄してバカンスがしたい」と、なんと軍神の仕事を全て放って置いて知り合いの悪魔に頼み込み、ギリシャと仲が良い日本に転送を頼んだわけなのだが、どういうわけか私の部屋に転送されてしまったらしい。 「でもなんで日本? バカンスって言ったら、ハワイとかのイメージが強そうなんですけど」 「日本の神で最も尊い神の一柱、須佐之男命のおっさんと仲がいいんだ、俺」 魔方陣の中心で胡座をかきながらアレスさんは答える。 須佐之男命といえば八岐大蛇退治の英雄だ。そんなに位の高い神さまだなんて初めて知ったな。 私は魔方陣の中のアレスさんを見た。アレスさんは私が陣から出るように言わない限り、魔方陣から出られないらしい。 私は腕を組むと、うーん、と唸った。 多分アレスさんは今の今まで天界にいて、現代社会の常識を知らない。 そんな人が私の部屋から出て行って、この先トラブルを起こさずにバカンスを続けられるとは限らない。 よし、決めた。 「アレスさん。家賃はいらないので、しばらくの間私の部屋で生活しませんか?」 私の提案に、アレスさんは顔を輝かせて頷いた。 ちょろいなこの人。大丈夫なのか。 それが一ヶ月前の話。私はアレスさんが来てから一週間、アレスさんに現代日本での一般常識を叩き込んだ。戸籍のないアレスさんは病院や公共施設を使えないこと、お酒を買うにしても身分証明書がいるから買えないこと、そもそも身分証明書とは何か。自分が知っている当たり前のことを、常識を全く知らない人に説明するのは骨が折れる作業だったが、それでも私はやり遂げた。 次に私はマナーや倫理観を教えた。食事のマナーはもちろんのこと、現代日本における女性との接し方、軽率に人は殺さないこと、人を殺してしまったら重い罪に問われる事を話す。過去に娘を強姦されてポセイドンの息子を殺した結果、情状酌量の余地があるとして無罪放免になったアレスさんは納得がいかないような顔をしていたけれど、昔は昔、現在は現在だとはっきりと伝えた。 常識とマナーを教え終わったら、今度は家事の仕方を教えた。掃除の仕方と掃除機をかける時間帯、料理の仕方、買い物における節約術や野菜や肉・魚の選び方。洗濯機の使い方まで教えた。 そうして、一ヶ月かけて、私はアレスさんを現代社会に馴染むように知識をすり込ませた。 まだアレスさんは何のトラブルを起こしておらず、寧ろ仕事で疲れた私を癒やしてくれる大切な存在になっていた。 何より、ギリシャ神話が大好きで、特に軍神アレスが大好きな私は、推しと一緒に生活できることにこれ以上ない幸福感を感じていた。 時間は戻り、今日の夕飯。私はアレスさんと対面で食事をしている。ちなみに今日の献立は肉じゃがとほうれん草のごま和えだった。 推しを前にして、推しの作った料理を食べられる日が来るなんて、私はなんて幸せ者なんだろう……! じーんと涙ぐみながら肉じゃがを頬張る私を、アレスさんは不思議そうに首を傾げながら見つめていた。 「どうした? もしかして塩気が強すぎたか?」 「いえ、全然そんなことないです。美味しいです……!」 「そっか。ならよかった」 アレスさんがにっこりと笑顔を浮かべる。その眩しさと言ったら、言語化できるものではない。ああ、人気イケメンアイドルの笑顔ばりに眩しい笑顔を浮かべる神さまが、狂乱と破壊を司る軍神だなんて到底思えない……。 私は戦場に赴くアレスさんを知らないけど、きっとギャップ萌えするぐらい格好いいんだろうなあ。 「まこと、やっぱり今日なんか変だぞ? 説教の他に何かされたか?」 「へ!? いやあ、全然! そうだ、ニュースがちょっと気になっちゃって!」 ぼーっとアレスさんを眺めていると、彼に再び尋ねられたので、私は誤魔化すためにテレビをつけた。 適当につけたチャンネルのニュースでは特番が組まれ、最近空に現れるという頭と足に翼をつけた人型未確認飛行物体のインタビューと取材の様子がテレビに映されている。 「あ、またこのニュース。最近ツイッターでも話題なんですよね」 「へえ……俺はスマホ持ってないからわかんねえけど、なんかヘルメスに似てるな」 「ヘルメスって、確かギリシャ神話に出てくるゼウスの使いの神さまですよね」 「おう、俺の異母兄弟。……画像がぼやけてるからわかんねえな。まあでも、ヘルメスってことはないだろ。十三ヶ月も放置してるような神々だからな」 私の問いに答えた後、アレスさんはテレビを見ながらブツブツと何かを言っていた。 私は味噌汁を飲みながら、アレスさんと同じようにテレビを眺める。 この時、私たちはまだ気がついていなかった。 この人型未確認飛行物体こそが、私たちをある騒動に導く存在であるということに……。
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