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オリオン座
美味しい夕飯の後、アレスさんが入れてくれたお風呂に浸かった私は、買ってきたお酒を飲みながらテレビでドラマを見ていた。いつもは刑事ドラマやアクションしか見ないけど、今日は偶然一話を見て以来気に入っている恋愛ドラマを見ている。今日のストーリーでは、ヒロインとヒーローの間にすれ違いが発生し、今まで構築されてきた二人の信頼関係が揺らいでいる。
お風呂のドアが開く音が聞こえ、一瞬だけ視線をそちらに向ける。お風呂から上がったアレスさんが、濡れた黒い髪を首にかけたタオルで拭きながら、座っている私の元へ歩いてくる。私は体をずらして、アレスさんが座るスペースを確保する。
ちなみに私の家のリビングは食事をするテーブルとテレビの前で寛ぐためのテーブルにわかれており、テレビの前の絨毯の上に、使うとき以外は畳んである折りたたみ式テーブルを設置している。いま、そのテーブルの上にはお酒とおつまみが置いてある。
アレスさんが私の隣に座る。アレスさんはお風呂が好きらしく、入浴後のアレスさんの体はいつも熱い。
「俺も酒、いいか?」
「もちろん。御神酒じゃありませんけど、どうぞ」
私が軽いジョークを交えてお酒を勧めると、白いTシャツとスウェット姿のアレスさんは、おつまみのチータラをつまんで口に運んだ。それから、近くにあったビールの缶を掴み、空けて口をつける。アレスさんがお酒を飲んでいると、なんだか気持ちがいいな。
「……うまいな。……なんだ、そんなに見て」
「あ、いや。本当に美味しそうに飲むなあって思って」
私は隠し事もできずに目線を彷徨わせながら答える。私の答えを聞いて、アレスさんが優しい目を向ける。
突然、ドラマが中断され、アナウンサーが現れる。
「ここで速報です。三ヶ月前から続いている連続殺人事件の被害者がまた増えました」
アレスさんの顔が険しくなる。
私も飲んでいたお酒の缶を置いて、ニュースの速報を聞いていた。
三ヶ月前、夏が始まる前に始まった無差別な連続殺人事件。
最初の被害者は一人の少女からだった。親の言いつけを破って深夜にもかかわらず町を遊び歩いて居た彼女は、突然命を奪われた。彼女は不良少女だったが、その殺され方から犯行動機は怨恨によるものではなく無差別なものであったのだろう、と警察は判断した。
しかし、少女の犠牲をきっかけに、血まみれの夜は始まった。
一晩につき一回は必ず殺人がおき、誰かが必ず犠牲になる。
警察が本腰を上げて捜査しているにも関わらず、犯人はいまだに捕まっていない。
殺害のパターン・被害者の性別や年齢に共通点はないが、殺害方法は決まっていた。
被害者は正面・背後に必ず矢を受けていた。それも、現代人が使う矢ではなく、古代文明で使われていたような矢だった、ということだ。
しかし、驚くのは犠牲者の数だった。
最初の事件を除いて、一晩の殺人につき少なくとも十名以上が必ず殺害されている。
そして場所も一定しておらず、同じ町で同じ殺人が行われたかと思えば、今度は別の町で行われる。もっと言えば、他県で全く似た手法の殺人事件が行われることもある。
警察は組織犯罪の可能性もあると見て、捜索網を全国に広げ、捜査している。
それでも、犯人の一人が捕まるどころか、尻尾すら掴めない。
日本にいる人間の殆どが、次は自分かも知れないと怯えながら夜を過ごしている。残り少ない人たちは、自分たちは大丈夫だと信じて疑わない。私は、怯えている人間だ。
「三ヶ月前っていうと、丁度あれの後だな」
アレスさんが呟く。
私は何のことか一瞬分からなかったが、すぐに思い当たった。世界中で話題になったから、忘れられるはずもない。
「事件が始まる前に、オリオン座がなくなりましたよね」
そう。事件発生の一週間前に、突然オリオン座のベテルギウスが星の寿命を終え、オリオン座は星座の中から消失した。
私たちはもう、冬の夜空を見上げても、オリオン座を見ることはできない。
「星に上った英雄は、星であることを保てなくなったらどうなるんですか?」
「星が消え、星座でいられなくなった魂や物はその後地上に降りて神々の元に呼ばれる。ねこ座として天に昇った猫はいま、オリュンポス十二神たちに可愛がられているんだぜ」
私はへええ、と感心した。
「じゃあオリオンさんは今頃冥界にいるんですね。アルテミスさんと会えているといいんですけれども」
私はなんとなく思いついた考えをアレスさんに話す。オリオンといえばアルテミスとの話も有名だろう。純潔を固く誓ったアルテミスが唯一恋をした相手。それがオリオンだ。
二人の恋の終わりは悲劇に終わっている。不貞を犯そうとしたオリオンを罰するためにアルテミスがサソリを使って殺害した話もあるが、悲恋として語り継がれているのは、アポロンに騙されたアルテミスがオリオンを射殺してしまい、星座にしたというものだ。
「あー……どうだろうな。冥界には俺でさえ滅多に行くことはできないし、会えることはないんじゃないか?」
アレスさんの言葉に、私は少しだけがっかりした。
オリオンとアルテミスの逸話、結構好きだから再会してほしいんだけどな。
「ところでまこと。なんか今日はずいぶん酒の量多くね?」
「仕事が忙しかったし、ミスもしたし、たまには贅沢しようと思って。……もっと頑張らなきゃ、って思うんですけどね」
言いながら、嫌な記憶が蘇ってしまって、表情が硬くなる。
わかってはいるんだけどな。仕事なんだから「個」はあまり出しちゃいけないって、わかってるんだけど。それでも傷つきやすい心はついた傷を修復してはくれない。
俯いている私の肩に、アレスさんの腕が回された。そして、ぐっと抱き寄せられる。
「アレスさん?」
アレスさんを見上げると、彼はもう片方の手で私の頭をガシガシと撫でる。
せっかくドライヤーで乾かし綺麗に梳いたボブカットの髪をぐちゃぐちゃにされ、私は慌てる。
「ちょ、アレスさんっ、何ですか急に」
「俺は千里眼を持ってるわけじゃねえから仕事のことはわからないけど、お前はよくやってるよ、まこと。それは神である俺が保証する。お前は少し、自分に対して変に厳しすぎるんだ。たまには俺や自分に素直に甘えろ」
アレスさんが白い歯を見せて笑う。
励ましてくれているのかな。そう思ったら、私は嬉しくなった。
まだまだ甘えたの自分で、自分なりに一生懸命やっても理解されてもらえないことの方が多いけれど、自分なりに頑張っていこう。
「ありがとうございます。アレスさんがいるなら、私、頑張れます」
「おう。でも、無理だけはするなよ?」
私たちは顔を見合わせて、くすくすと笑い合う。
血にまみれた気配が漂う日常の中で、私たちは微かな温もりを頼りに明日を生きていく。
明日も笑って生きていくことを夢見ながら。
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