歓迎会

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歓迎会

ヘルメスさんと出会ってから一週間も経たないうちに、ヘルメスさんとイリスさんが本当に隣の部屋に引っ越してきた。 二人は近隣住民に挨拶をし終わった後、お酒とご馳走を手に我が家にやってきた。 事前に訪れることは知っていたので、私たちのほうでもお酒とご馳走を用意していた。 「というわけで、無事に引っ越してきました~。イェイっ」 「それではこれからよろしくお願いしますね」 「はい。ヘルメスさんとイリスさん、よろしくお願いします」 ご馳走を並べ終え、四人で対面する。 「それじゃ、乾杯!」 ヘルメスさんが乾杯の音頭をとり、私たちはビールを注いだグラスをカチンと合わせた。 それからは楽しくお話しながら料理をつまんだ。私とアレスさんの出会いを聞いたヘルメスさんは「うちの馬鹿長男が勝手に上がり込んでごめん」と謝罪する一方、イリスさんからは「見ず知らずの男性を家に住まわせるのはよくありませんよ」と注意された。私はそれに苦笑しながら頷いた。確かに、アレスさんにトラブルを起こさせないためとはいえ、男の人を家に住まわせるのは独身女として危なかったかもしれない。アレスさん、恋愛に関するエピソードも多いし。 それにしても、アレスさんだけじゃなくてヘルメスさんやイリスさんまで私の家にいるなんて。 私がそわそわしていると、それに気付いたアレスさんが三杯目のビールを飲みながら尋ねる。 「どうした?」 「……こうしてギリシャの神さまと話すことができるなんて、夢みたいだなって」 「? どういうこと?」 私はヘルメスさんとイリスさんに、数ある神話の中で一番ギリシャ神話が好きなことを説明した。 ちなみに二番目に好きなのはエジプト神話で、三番目が日本神話とメソポタミア神話だ。 「好きだよな、オリュンポスの神々のこと」 「はい! 元々星座が好きで星座にまつわる話を集めていたんですけれども、星座に関するエピソードを集めていくうちにギリシャ神話に辿り着きまして……」 そうして私は、いかにギリシャ神話が面白く楽しい神話であるか語り始めた。 ゼウスが最高神になるまでの物語はもちろん、各神々に関するエピソード、そして神さまの魅力について。 酒の勢いも余って、うっかりギリシャ神話について熱く語る私をどうどうと宥めつつ、ヘルメスさんが尋ねる。 「本当に好きなんだね、僕たちのこと。でもなんで神話が好きなんだい?」 「私の民族の伝承が好きで、そこから神話や世界の民間伝承も好きになっていったんです」 私がそう言うと、ヘルメスさんはああ、と納得したように頷いた。 「そっか、まことちゃんはアイヌの血筋だったんだよね。じゃあアイヌの民間伝承を知っているのは当然か」 「……あれ? 私、ヘルメスさんにアイヌの血筋だって説明しましたっけ」 私が首を傾げると、ヘルメスさんが「しまった」と言わんばかりに口を隠す。 「……科学博物館での会話、聞いちゃっててさ。ごめん。あんまり触れられたくない話だった?」 「いえ、大丈夫ですよ。そうですね、全てのアイヌの人々がそうであるかはわかりませんが、私は祖母によくお話を聞かせてもらってましたね」 私の答えに、今度はアレスさんが首を傾げた。 「何でおばあちゃんはお前にアイヌの昔話を教えたんだ? お前にアイヌ語を教えないくらいだったんだから、民間伝承も教えなさそうだが」 アレスさんの問いに、私は一瞬どうしようかと考えた。祖母がアイヌの民間伝承を教えてくれるようになったのはある事件からで、その話もしなければならない。 でも、蛇ってギリシャ神話では怪物のイメージのほうが付き纏ってなかっただろうか。話しても大丈夫だろうか。 私は一同を見まわして、私の過去を話すことにした。 「蛇と友達だったんです、私」 アレスさんが拍子抜けしたような声で「蛇?」と復唱する。私は頷いた。 「弟たちの時はまだマシだったのかもしれませんけど、私がまだ子どもだった頃はアイヌに対する差別が残っていて。……子どもは残酷ですよね。自分とは違うものを徹底的に排除しようとする。だから私はいつもひとりぼっちで、でも親を心配させたくなくて。そんな時に出会ったのが、一匹の蛇だったんです」 靴を隠され、泣きながら下校し、森の中でしくしくと泣いている私に寄り添ってくれたのが、一匹の蛇だった。 蛇は、喋った。比喩ではなく、本当に人間の言葉を喋ったのだ。 蛇は私のことを励まし、差別から守ることはできないが、これからは自分が遊び相手になると言ってくれた。 「蛇はいつも私を喜ばせてくれました。一緒に木登りをしたり、美味しい果実のなっている木を教えてくれたり、お喋りしたり……私の唯一の友達になってくれたんです。私も蛇に蛙を与えたり、宝物のビー玉をあげたり、色々な贈り物をしました」 でも、あるとき蛇と会話しているところを、私をいじめるために後をつけていた子どもに見られてしまった。そこからは大変だった。周りの子どもたちは気味悪がって近づこうとすらしなかったし、大人たちからは精神の病を疑われた。私が何度蛇を庇っても、聞く耳を持とうとはしなかった。 だけど祖父母だけは私を庇ってくれ、私の話を聞いてくれた。 「いつも蛇のいるところに祖父母を案内したんです。そしたら祖父母は持って来たイナウや礼拝の道具を蛇の前に置いて、お椀やお皿にごちそうを盛って、アイヌ語で蛇にお礼を言っていました。その後蛇が現れることはなくなってしまって……多分、寿命だったんだと思います」 蛇がいなくなって泣く私に、祖父母は「あの蛇は神さまの国に帰られたんだよ」と慰めてくれたことを思い出す。それ以降、私へのいじめはパタリとなくなった。おそらく蛇と戯れる子どもを恐れて親が近づかないように言い、また子どもも気味悪がっていただけかもしれない。でも、いじめがなくなってくれたことは嬉しかった。 もしあの蛇がいなかったら、私の心は潰れていたかもしれない。 だから私は全ての動物の中で蛇が好きだ。私が子ども時代孤独にならずに済んだのは、あの蛇のおかげなのだから。 「ふうん……蛇ねえ」 「そういえばヘルメスさんとアスクレピオスさんも蛇の巻きついた杖をお持ちでしたよね」 「うん。僕の持つ杖がケリュケイオンという名前だね。蛇は脱皮を繰り返すことから、生命再生のシンボルだったんだ」 「はい、思い出しました。私の持っているギリシャ神話に関する本にも、そのような記載がされていたはずです」 「じゃあ、その蛇は本当に神さまだったのかもしれないね。アイヌでは確か、神さまは人間の国にくるときは動物の服を着て遊びに来るんだろ?」 「ええ、そうです。……もしそうなら、また会えるとうれしいです」 私は目を細めて言った。もし、また会えることがあったのなら改めてお礼が言いたい。蛙ではなく豪華な手料理を振る舞って、ごちそうを食べさせてあげたい。私を守ってくれたお礼としてはささやかすぎるかもしれないが、それでも精一杯のもてなしをしたい。 ふと、ヘルメスさんが穏やかな表情で微笑んだ。 「君は人間にしては素直で純粋な子だね。そのままでいてほしいな」 「え?」 「なんでもないよ。それにしても、まことちゃん料理上手だね。みんな美味しいや。特に野菜を使った料理がすごく美味しい」 「ありがとうございます。兄が農家をしているんですけど、多分兄の作る野菜が美味しいのも関係していると思います」 我が家が営む農園はアイヌの英雄オキクルミの伝承が色濃く残る沙流川周辺の地域の近くにあって、そこで農業を営んでいる。 「まことってたしか弓やってたんだろ? 狩猟はしないのか?」 「高校の時は弓道部でしたけど、うちは狩猟とは無縁ですね。あっ、でも伯父は猟友会に所属していますよ。今度鹿肉が送られてくるはずなので、よければステーキや汁物にしますよ。伯父は本当に腕のいい猟師なので、美味しい鹿肉が食べられると思います」 「おっ、いいねえ」 私の言葉に、アレスさんが笑う。 ちなみに弓道はいまも続けている。続けてきたおかげで、段数もめでたく一級をとることができた。実戦向きではないものの、弓の腕なら自身はある。 それまで黙って聞いていたイリスさんが口を開く。 「まことさんはご家族のこと、大好きなんですね」 「はい、大好きです」 私は迷うことなく答えた。
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