殺人と殺戮

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殺人と殺戮

 会食後。福島にいる伯母夫婦から送られてきた桃をデザートに出そうと私は台所に立っていた。すぐ隣ではアレスさんとイリスさんが洗い物をしてくれている。アレスさんはともかくイリスさんはお客様なのでゆっくりしてくださいと断ったのだが、彼女が頑なに手伝うことを申し出たので、甘えさせてもらっている。テーブルの前に座るヘルメスさんはテレビを見ている。 「続いてのニュースです。連続殺人事件と思われる事件が東北地方を中心に発生。死者数は三〇名を超え……」 ニュース番組のアナウンサーが今日の被害者を読み上げる。アナウンサーの淡々とした説明から一転、インタビューに答える遺族らしき人の啜り泣く声が聞こえてきた。 「このニュース。最近日本を騒がせているらしいね」 私はガラスの器に切り落とした桃を落とし入れると、ヘルメスさんの方を振り返った。 「知っているんですか、ヘルメスさん」 「うん。イリスと共にアレスを探している最中にね。……惨いことするな」 私はちょっと意外だった。トロイア戦争は増えすぎた人類を減らすためにゼウスが仕組んだ戦いであるという説もあるし、何より神々のエピソードを見るからに、人間の命は軽んじられていると思っていたから。 私のそんな感情が顔に出ていたのだろう、ヘルメスさんは苦笑しながら言った。 「別に僕たちだって、人を大事にしないわけじゃないよ。それに、この事件の犯人がやっていることは大義名分のない殺戮だ」 「? 殺人に大義名分なんてあるんですか?」 「あるときはあるよ。君だって、親や兄弟を殺されたら憎い、殺してやりたいと思うだろう?」 「……いまはないですけど、そうですね。もしそうなったら、私は自分を制することができないかもしれません」 私はヘルメスさんから顔を背け、ガラスの器に目を落とす。 考えようとしなかった。いや、あえて考えたくなかったからこそ目を背けていた。 一連の殺人事件で、自分は助かっても、親や兄弟たちのほうに被害が出たら? うちは珍しい七人兄弟で、それはすなわち誰がいつ被害にあってもおかしくないということ。 犯罪組織の手が北海道にまで及んでいないとは限らないのだ。兄は家を継いで畑仕事と酪農をしているから外で活動しなくてはならないし、農林水産省に務めている姉も同様。妹たちだってまだ学生だ。そうでなくても、祖父母や両親だって被害に遭う可能性は高い。 もし自分の身内が被害に遭ったとき、私は犯人を憎まずにいられるだろうか? 「でもそれはさ、身内を愛している人間なら仕方の無い感情なんじゃないかな。誰しも身内を殺されたら許せない、復讐してやるって思うことはあるわけじゃん。殺すのが正統な方法とは、現代社会では言えないけどさ。愛する人のために悪になるっていうのは、一つの正義だと思うよ」 ヘルメスさんは視線はテレビに向けたまま、しかし確かに重みのある言葉を紡ぐ。 桃を全て切り終えた私は、ヘルメスさんを見た。 「でも、自分の正義のために人を殺すっていう方法が間違っているって思ったからこそ、君たちは殺人を禁忌としたんだろ? その代わりに秩序を守る人々が生まれて、手で掬いとれる人を救っている。――そうじゃないの?」 ヘルメスさんはテレビから目線をずらし、私を真っ直ぐ見た。 表情はとぼけたような笑顔を浮かべているけれど、その目は真剣そのものだ。 私は表情をきりっとさせて、頷いた。 「はい。そうであると、信じたいです」 「そ、よかった。んで、殺人と殺戮の違いね。あのね、殺人っていうのはさ、動機は数あれどちゃんと信念や正義が宿っているんだよ。でも、殺戮は違う。殺人と殺戮の明確な違いは、目的なんだよ。殺人は自分の気持ちを救うため、あるいは故人の無念を晴らすために行われるもののことだ。殺戮はね、初めから人間を殺すことを目的とした行為だ」 「……つまり、感情が宿らない、ってことですか?」 イリスさんとアレスさんが脇にずれる。私は水道で手を洗いながら、ヘルメスさんに尋ねた。 「戦争は醜いし好き好んでやるものじゃないけど、国のためという大義名分のある殺人だからまだ救いがある。雀の涙ほどだけどね。でも、殺戮はそうじゃない。人を殺すことだけが目的の殺戮こそただの暴力だよ」 「つまりヘルメスが言いたいのは、これは連続殺人事件じゃなくて、連続殺戮事件だってことだな」 私とヘルメスさんの会話に、食器を洗い終えたアレスさんが口を挟む。 私は桃の入ったガラスの器を持って、黙った。 犯人は目的があって殺人を繰り返しているわけではない。 ただ、人を殺すという目的のために殺戮を繰り返している。 ――でも、何のために? 「殺戮に感情が宿るとしたら二つだ。快楽と、憎悪。その二つしかない」 アレスさんが濡れた手を拭きながら言った。その横顔は無表情だったが、私には怒っているようにも見えた。 「犯人は、憎悪か快楽のどちらかで動いているってことですか」 「いや、多分憎悪はないよ、まことちゃん。あいつ笑ってたし」 私の呟きに、ヘルメスさんが自身の見解を述べた。なるほど、笑ってた――って。 「ヘルメスさん、犯人見たんですか!?」 「ヘルメスさまだけではありません。私も一緒に現場を目撃いたしました。残念ながら足が速く、捕縛には至りませんでしたが」 今まで黙っていたイリスさんが食器棚から取り出したフォークを四本手にし、私の持っているガラスの器を奪う。 なんで初めて来たのに食器の位置を把握されているんだろうって違う違う。 「お、お二人ともおけがされなかったですか……!?」 私が尋ねると、ヘルメスさんと、ヘルメスさんの近くまで進んでいたイリスさんがお互いの顔を見合わせる。そして、声を上げて笑った。 「あはは、大丈夫だよまことちゃん。神はどれだけ怪我を負っても死なないし」 「それに私たちは伝令神ですから。足の速さには自信があります」 「ま、俺には負けるけどな」 アレスさんが私の横を通り過ぎていく。私はほっと胸を撫で下ろしてから、アレスさんたちの後を追い、テレビの前のテーブルに着いた。 「それで、犯人ってどんな人だったんですか?」 私は正座してヘルメスさんに尋ねる。ヘルメスさんは桃を口に運びながら私の問いかけに答えてくれた。 「黒ずくめの格好をした、体格のいい男だったよ。身長は二三五センチってとこかな。痩せ型だけど、筋肉はついてたね。発達した胸板が浮き出ていたし。顔は半面の仮面を被ってたから下半分しか見えなかったけど、口元はずっと笑ってたよ。黒いロングコートのフードを目深に被ってたから髪型もわかんなかった」 「じゃあ、その情報を元にすぐに警察に通報すれば――」 「いえ、それはやめたほうがいいです。まことさま」 腰を浮かせた私を、イリスさんが止める。 私は眉を寄せた。 「何故ですか? 犯人像が分かれば、逮捕に至らなくても、被害を最小限に抑えることはできるかもしれな――」 「……相手は人間じゃない、だろ?」 アレスさんが口を開く。ヘルメスさんとイリスさんが頷いた。 「どういうことですか?」 「奴には生者に漂っているはずの生気というものが感じられなかった。あるのは死者の気配だけ。完全に死人だよ、あれ。第一、現代人が一晩で複数人も殺害したり、古代の弓矢で人を殺すかい? 銃のほうが手軽に決まってる」 言われて、私ははっとした。確かにそれはそうだ。生者には無理な瞬間移動だって、死者なら可能かもしれない。 では、犯人はアレスさんたちが言うように死者なのだとしたら。 「現代の人間の法では裁けない、そもそも捕まえることすらできないということになりますね……」 「そういうことだ。第一、そんなに詳しい情報を喋ったら、お前が共犯者だと疑われちまうぞ」 「う……それもそうですね。軽率でした」 アレスさんに言われて、反省する。危うく自分の社会的立場が危うくなるところだった。 「でも、相手が死者の場合ってどうすればいいんですか? 実際に被害も出ているわけですし」 「とりあえず日本の冥界、黄泉の国に情報は伝えてあるから、国つ神と天つ神が会議している頃じゃないかな。……それにあの気配、間違いがなければ……」 最後のほうでヘルメスさんはぶつぶつと何かをつぶやき始めてしまった。考え事を始めてしまったヘルメスさんに変わって、イリスさんが話を引き継ぐ。 「とりあえず、まことさんは必要な外出以外は控えてください。それと、私とヘルメスさまからこちらを。護符といっては何ですが、ラピスラズリのイヤリングです」 イリスさんから渡されたそれは、現代的にアレンジされたギリシャ風のイヤリングだった。ラピスラズリは確か、邪悪な物から守ってくれると言われているんだっけ。 「心休めにしかならないとは思いますが、ご馳走を振る舞ってくれたお礼です。今後外に出るときはつけていただくと我々が安心します」 「そんな……充分すぎます。ありがとうございます」 私はラピスラズリのイヤリングを大切に両手で包んだ。 隣に座るアレスさんに背中を叩かれる。加減されているとはいえ、重い一撃が背中を襲う。 「まあ、俺もいるんだ。そう心配するなって。何かあったら俺が自慢の足で駆けつけてやるからよ」 「あ、ありがとうございます……アレスさん……」 背中がめちゃくちゃ痛いのを我慢して、アレスさんにお礼を言う。 自分のことは心配ない。これだけの神さまに見守られているのだ。頼もしくないはずがない。 ――ただ、犯人が北海道のほうに北上しているのだけが気になった。 嫌な予感がよぎる。家族が血まみれになっている姿を幻視する。 どうかこのまま、何事もなければいいのだが。 「そういえばまことちゃん。一つだけ気になったことがあるんだけど、聞いていい?」 「はっ、はい。何でしょう」 「事件が起きたのって、オリオン座が消滅した後?」 私は首を傾げつつも頷いた。それが今回の事件に何の関係があるのだろうか。 「そっかそっか。ありがとう」 ヘルメスさんはお礼を述べると、また桃を口に運んだ。
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