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誓約
狩人オリオン。
海神ポセイドンの子とミノス王の娘エウリュアレの子であり、アレスやヘルメスにとっては親戚にあたる半神半人の美青年だ。
性格は粗暴でやや傲慢。「この世全ての獣を狩れる」と豪語し、ガイアの怒りを買ったこともある。女好きであり、暁の女神エオスと恋をしたこともある。
――そして、男嫌いで潔癖な処女神アルテミスの心を唯一射貫いた男。
アルテミスと出会った後のオリオンは、人が変わったように穏やかな男になっていった。
時折アルテミスと一緒に狩りをし、獲物を二人で分けることもあった。
乙女に乱暴を働くこともあるオリオンだったが、アルテミスの純潔だけは決して奪うことはなかった。
二人の仲睦まじさは神々の間で評判になり、結婚も噂された。
ただ一柱、アルテミスの兄のアポロンだけがこれを許さなかった。
アポロンはガイアが放った刺客でもある毒サソリをオリオンに放ち、オリオンが海へ逃げたのを確認するとアルテミスに「いくらお前でもあそこに浮かぶ的は射られまい」と、海から頭だけを出したオリオンを指さした。アポロンの指さすものがオリオンだと見抜けなかったアルテミスは弓を引き、オリオンを射殺した。
浜に打ち上げられたものを見て自分が弓を引いたのがオリオンだと気付いたアルテミスは嘆き悲しみ、アスクレピオスに蘇生を頼み込むが冥王ハデスがこれに反対。ならばせめてとアルテミスは父ゼウスにオリオンを天に上げて星座にしてくれるように頼み込んだ。ゼウスは娘の頼みを聞き届け、オリオンを天に上げて星座にした。以来、オリオンは空に輝く星となっているのだという。
「――それが、オリオンの物語だ」
アレスは再び埼玉の町を見下ろしながら、語り終える。
埼玉の町からは徐々に灯りが消え始めている。人々がやっと帰路につき、眠りにつき始めたのだ。
「お前が持って来た情報と合わせてみりゃ、そのオリオンがどういうわけか天から消えて地上に降り、人々を襲って快楽を得ているっつーことだ」
アレスはこきこきと首を鳴らした。
ヘルメスは信じられない、とばかりに首を横に振る。
だが、犯人の男が纏っていた微かな神気は間違いなくオリオンのものであったし、弓を射る癖もオリオンのものだった。
何より、ヘルメスが所持しているオリオン手製の矢が一番の証拠だった。
「でも、それならおかしいだろ。自身を構成する星が砕けて天にいられなくなった星座は、魂だけの存在だからこそ天に……オリュンポスに至れる。普通ならアルテミスに会いにくるはずだろ」
「記憶がそっくりなくなっていたんだとしたら?」
アレスの言葉に、ヘルメスは「何だって?」と眉を寄せた。
「実はまことの家に転送された後、こっそり家を抜け出して、町を探索してたんだよ。そしたらオリオンにばったり出くわしてな。奴は一仕事終えて帰るところだった。それで、俺は自分の身分を明かして、オリオンに冥界に向かうように言ったんだ。するとあいつ、笑いながらこう言ったよ。――お前なんぞ知らん、てな」
アレスはヘルメスの方に体を向ける。その表情には迷いがなかった。
「あの様子じゃ、あいつはアルテミスのことも覚えてないだろうな」
「そんな……あんなに愛し合っていたのに?」
イリスの声が震える。
いつか、ヘラと共に「アルテミスとオリオンの結婚は盛大に祝おう」と笑い合ったのを思い出す。イリスは見たことがあるのだ。クレタ島で、二人がどれだけ穏やかで、ひっそりと愛を育んでいたのかを。
「ああ。その後あいつとは交戦してな、分かったことなんだが……あいつ、誰かに召喚された上に、何かに蝕まれているらしい。顔の皮膚がひび割れみたいに黒ずんでいた」
そこでヘルメスとイリスはやっと事の次第が見えてきた。
「――つまりオリオンは天から堕ちてすぐ魔術師に召喚され、精神を蝕む呪いのようなものを付与され、その結果記憶も封じられて、いまは暴走状態ってことか」
「そういうこったな。さて、どうするか」
暢気なことを言うアレスに、ヘルメスとイリスは「どうしたもこうもない」と言った。
「すぐにオリュンポス会議を開こう。オリオンがそういうことになっているなら、これは冥界だけの問題じゃない。すぐにポセイドンとアルテミスに――」
「ああいや、そういうことじゃねえんだ」
アレスの言葉を聞いて、ヘルメスは「は?」と苛立たしげに声を漏らす。
「そういうことじゃないって、どういう――」
「俺は伯父上……いや、冥王ハデスとの誓約により、オリオンを倒すことを命じられている。どうするか、というのは、どうやってオリオンを誘い出して戦うかってことだ」
アレスはけろりとした顔で言ってのけるが、ヘルメスは絶句していた。
冥王ハデスと誓約を交わしたということは、ステュクスの川に誓ったということか。ステュクスの誓いは神であっても破れない。
その誓いをするということは、アレスは命をかけてでもオリオンを討つつもりなのだろう。
昔、アポロンから聞いたオリオン殺害の本当の理由を思い出す。
アポロンは本当は妹のアルテミスとオリオンの仲を祝福していたが、彼は予言の神でもあった。
彼が見た予言は次の通りであった。
『アレスとオリオンが戦えば、アレスは命を落とし、オリオンは自害し、オリュンポスは愛する者を二人失うだろう――』
アレスが腰に手を当てて、ニカっと笑う。
「なあに、ほんの少しじゃれあってくるだけだ。勝てずとも、オリオンを正気に戻すことくらいはしてやるさ」
ヘルメスはアレスの眩しすぎる笑顔に、ただ苦しそうに顔を歪めた。
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