スパイですが標的の御曹司に求婚されています

4/11
69人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ
 デスクの島の端っこに座る、ターゲットの存在を確認した。  ターゲットは企画課の課長、秦颯真(はたそうま)、二十八歳。  気取ったところがない爽やか好青年で、そつなく仕事もこなし、社内での評判も上々のエリート社員である。しかし。  彼は、社内の情報を同業他社に漏えいしていると疑われる人物で、その証拠を掴むためにすみれはこの会社に潜入しているのだ。  すみれはハッとして、田中のデスクに置かれた、コーヒーの入った紙コップを注視する。無心にキーボードを叩く田中の肘が、今にも紙コップを倒しかねない状況だと気づいたからだ。  書類を取りにいくふりをして席を立ち、さり気なく田中のデスクのそばまで行くと、すみれは目にも留まらぬ素早さで紙コップの位置をずらした。  すみれの一連の動きに、もちろん田中は気づいていない。  そして再び席に戻ると、部下と和やかに対話する颯真へと視線を戻す。  今のところ、これだけ張り付いているのに颯真に疑わしい点は見つかっていない。ただし、そこがかえってあやしいと思わされる。叩いて埃の出ない人間などいない、というのがすみれの信条だ。  唐突に、くるりと、颯真がすみれへと顔を向けてきた。  まるで、すみれの視線に気づいたかのように。  突然のことで、しっかりと視線と視線がぶつかってしまった。  それでもすみれは、あえて平然としていた。すぐに目をそらせば、かえってあやしまれてしまう。  すると、颯真はすみれに向かってにっこりとほほえみかけてきた。すみれ以上に、泰然とした態度である。  すみれは軽く会釈して、自然に見えるようゆっくりとパソコンの画面へ視線を移動させた。  まただ。  こんなことは一度や二度ではない。  ミニマリストの財布くらい薄いすみれの存在感に、なぜか颯真だけは気づいてしまう。  普通なら、一般人にスパイ活動を悟られるはずがない。  しかし、稀にいるのだ。やたら神経質だったり、自意識過剰だったりする人間が。  颯真の場合はおそらく、女子社員は皆、自分に注目していると勘違いしているタイプに違いない。実際、常にどこかから熱視線を送られているし、食事や飲みに誘われるといった直接的なアプローチも絶えないようだ。  それらをやんわりかわすのにひと苦労、という場面も見受けられる。  モテるのも度を越すと大変そうだ。  とはいえすみれには、颯真がモテようがどうしようが関係ない。知りたいのは中身のほうだ。興味があるのは、彼がどんな悪事を企んでいるのかということだ。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!