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「それにしても、暑いなー」
会議から戻った部長が、ハンカチで額の汗を拭っている。恰幅が良い部長は暑がりで、もう秋だというのに冷房をガンガンに効かせたがり、女性社員は黙って寒さに耐えている状況だった。
「誰か、エアコンの温度を下げ……あ、こんなところにうちわが。これはちょうどいい」
部長が機嫌よく扇いでいるのは、すみれがさりげなく準備しておいたうちわだ。
部長の席のすぐそばに座る女性社員が、きらきらした表情でうちわを眺めている。
「シャドウプリンス? バーンして? 誰だか知らんが、ありがとう」
部長が手にしているうちわは、すみれの推しで、キレキレなダンスが売りの男性アイドルグループ、〝シャドウプリンス〟の応援うちわだ。大事なうちわではあるが、職場の平和のためには致し方ない。すみれは、ふっ、と含み笑いをする。
そして、すぐさま気持ちを切り替えると、田中のいい加減な指示はスルーして、仕入先になりそうな養鶏農家を独自にネットで探しはじめるのだ。
その合間にも、視界の端では、スマホを手に席を立つ颯真の姿を捉える。鞄は置いたままだ。外出するわけではないのだろう。だとすると、他の部署か休憩スペース、またはトイレに向かっていると考えられる。
トイレなら残念ながら諦めよう。
すみれは、誰にも気づかれないよう席を離れると、ひとつ下のフロアにある休憩スペースへ向かうことにした。
念の為、エレベーターではなく非常階段を使おうと、ドアを開け七階の踊り場に出たところで、話し声が聞こえてくる。
気配を消し、相手から死角になる位置で、すみれは身を潜めた。
「申し訳ありませんが、今週末はちょっと……」
その声は、ターゲットである颯真の声だ。誰かと電話をしているようである。
「ええ、その日はパーティーがあるんです。いえいえ、違いますよ。パーティーと言っても、婚活パーティーなんです」
婚活パーティー?
すみれは、耳を澄ます。
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