その名はハッチ

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その名はハッチ

休日の図書館は秘密基地 そーっと忍び込んで・・・ なんて嘘 預かっているマスターキーで解錠して中に入る もちろん内側から施錠するのは忘れない 注目図書や新刊のお知らせが貼られた薄暗い廊下を進んだ先 二メートルは優に超えている吊り下げ引き戸を開くと 大きな窓から差し込む暖かな陽射しに包まれた ・・・暖かい 春とはいえ風はまだ冷たくて 厚いカーテンのかかった暗い屋内の肌寒さを少しでも和らげようと、朝食の後重い重いカーテンを開きに来て良かった もちろん換気のために格子付きの窓も五センチずつ開けている 週末の休みの日に此処を訪れる生徒は居ない 入学前の理事長面談で『希望はありますか?』と聞かれて頭に浮かんだのは此処を使うことだった 『青山(あおやま)さんだけに与える特別使用許可証です』 そう言って理事長から渡されたのは複雑な細工の施されたマスターキーだった 実は県内随一の冊数を保有しているらしい ただ、それは非公表でもあるらしい 校舎から僅かに離れた位置にある其処は 八角形に円錐形の屋根という特徴的な建物なのに普段から利用生徒が少なく寂しい場所らしい 理事長に早口で説明された図書館の秘密は、もちろん他言無用 休日に図書館を使える有り難さに幾度も頷いたのが懐かしい ・・・今日は何を読もうかな 余りある時間を埋めるための一冊を見つけるべく一歩先に進もうとした脚が止まった 「・・・?」誰 鍵を開けて入ったから 誰も居ないはずの図書館 陽当たりの良い読書スペースの一角に 突っ伏して寝ている人を見つけた なるべく靴音を立てないよう数歩だけ近づいてみる それでも十メートル程の距離はあるけれど さっきよりその人がよく見えた 「・・・っ」人外? 最近ハマっているファンタジー小説に出てくる獣か はたまた女の子の憧れるお伽話の中の王子様のような風貌に心臓がひとつ強く打った 僅かに開いた窓から入ってくる春風が そのサラサラの前髪を遊ばせている 流線型の眉。閉じた目蓋を縁取る長い睫毛 薄い唇 目を閉じているはずなのに 間違いなくイケメンだと思う秀麗さに呼吸を忘れて魅入る 男性に向けての表現として間違っていそうだけれど “綺麗”以外に当てはまる言葉が見つからない 図書館に通うようになって三年目 初めて見かけたイケメンさんは無防備な姿を晒していた 普段なら警戒心も持っているはずなんだけど 何故かこの時はそれが作動することはなく ただただ、その美しさから目が離せなかった どのくらいそうしていたのか カーテンがフワリと持ち上がったところでハッとする 寝ていると体温が下がるから もしかしたら寒いかもしれない 風邪をひく前に 窓を閉める? でも・・・ その音で目を覚ましてしまうかもしれない 少しの葛藤の後 持っていたブランケットをその人にかけることにした お気に入りだけど 仕方ない 起きたら気付いて置いて行ってくれることを願って 肩にそっとかけたあと 気配を消すように図書館を出た だから・・・ 実は起きていたとか 長い睫毛の隙間から射抜かれていたとか 知らない
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