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最後のディスクの切欠きをそろえ、かんぬきが滑らかに動いたとき、及川が声をかけた。早苗は息を吐き、振り返る。すぐ後ろには及川の紅潮した顔がある。思わず、早苗も顔をほころばせる。
「ひらけごま、って言えば開くわよ」
「さすがですね」及川が口元を緩める。「早苗さんの金庫破りとピッキングの腕は一流ですよ。ルマークとも、いい勝負になるんじゃないですか?」
馬鹿じゃないの、と早苗が呆れた顔をする。
それから再び手袋をはめた。そして、持ってきたハンカチで金庫の指紋を丁寧にふく。こういうのは、すぐにやるのがよい。うっかり忘れてしまったり、あるいは急に家主が帰ってくるようなことが起こった場合、証拠を消さずに現場を離れてしまうことになるからだ。
準備を終えてから、レバーをつかんだ。この瞬間は、いつでもわくわくする。慣れることがない。いったいこの中には何が入っているのだろう? どのような獲物が待ち構えているのだろう? 金庫を開ける瞬間には、いつもこのような高揚と背徳感がつきまとった。扉を手前に引く瞬間、及川が「この中にルマークの指環があればいいんですけどねえ」などと言った。
金庫は三段にわかれていた。一番下に鍵穴つきの引き出しがあった。それから空間を仕切る鉄製の板があり、真ん中には封筒やクリアファイルが置かれていた。一番上の段に、目的のものはあった。
及川はそのなかから、一つの束を無造作につかんだ。パラパラと音をたてながらめくり、うちわのようにする。「けっこうありますね。おおよそ、一千万というところですか」
「そうみたいね」早苗はにやける顔を隠そうともせずに言った。「これは、なかなかの収穫じゃない? 現金でこんなに置いてある家は久しぶりよ」
「そうですね」及川が鼻の穴を膨らませる。「さっさといただいてしまいましょう」
二人は背負っていたバックパックを降ろした。中身は空だった。そこに、先ほどちょうだいした戦利品、今夜の獲物を詰め込んでいく。早苗は途中で、札束の匂いをかいだ。新札で、インクの匂いがなんともいえず香ばしかった。頬ずりしたいのを堪えながら、バックパックに詰め込む。
「これでまた、心おきなく創作活動に専念できますよ」現金を詰める早苗を見ながら、嬉しそうに及川が言う。
現金を詰め終え、さあとんずらしようという段になり、ふと及川がこんなことを言った。「しかし、この中には何が入っているんですかね?」
一番下の、鍵穴のある引き出しのことだった。それは早苗も気になっていた。こんなところに現金が入っているわけもないが、しかし泥棒の勘が働く。いや、それは好奇心といってもよかった。小説家、画家、映画監督に泥棒。創作に携わる人間なら誰しもが備えている、純粋な好奇心。ただ泥棒の違う点は、そうした好奇心を想像力の世界で消費するのではなく、すぐに実行することだった。
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