第13章 脱出

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第13章 脱出

夏も終わりに近づいてきたある日の朝。宿舎を訪れて毎朝の習慣の海辺の気象観測へ彼を連れ出そうと誘いにやってきたわたしに、いつになく真面目な顔つきで高橋くんが抑えた声で短く告げた。 「あのね。決行日が決まった」 「へ」 あまりに唐突すぎる言葉に思わずそのまま固まった。 並んで海へ続く歩き慣れた道を行きながら、さっと周囲を見渡して他の人の姿がないのをしっかり確かめてぼそぼそと返す。 「…何となく。それは相談して決めるのかと思った。いや別に、この日じゃなきゃどうしても駄目とか特にいつならいいとか。わたしには何の都合もないけど、正直」 大して本気で不満を述べたってわけでもなく、脊髄反射でただ浮かんだままに言っただけなのに。高橋くんはそれを聞いて実に済まなそうな表情を浮かべて、すぐさま謝ってくれる。 「ごめんね。本当は純架にも日程確認してちゃんとOKもらってから決めればよかったんだけど。向こうは向こうの都合があったから…。そっち優先になっちゃったんだ。悪いなとは思ったんだけどね、結局相談なしで決まっちゃって」 向こう? 「うん…。別にそれは、全然。いいけど」 何となく、ここから脱出するのはわたしと高橋くんとの間でだけの話だと思ってた。わたしたちが話し合って出ると決めた日に出て行く。思い立ったが吉日。 そんなイメージでしかなかったが、よく考えてみれば。出て行く手段さえわたしは何もまだ知らないままなんだ…。 気を取り直して体勢を立て直し、思いきって尋ねてみる。 「さっきのは謝ってほしくて言ったんじゃないから。高橋くんは気にしないでいいよ。でもあの、えーと。『向こう』って、何?やっぱり、外に協力者とかいるの。高橋くんには」 彼はまるで躊躇なく、当たり前って顔つきで答えた。 「いるよ、そりゃ。外からの助けもなく君と二人だけでどうにかしようって言ってもどうしようもないでしょ、ここって。何の装備もなしの素で上までずっと崖をよじ登るのも難しいし、海を泳いでぐーっと崖を回りこんで上陸するのも無理。大体、相当泳いでもまだ元のここの持ち主の財閥一家の私有地だし。無断で敷地に入り込んで見つかって、大ごとになるのも避けたいしね」 「ああ。…そっか、集落を崖地で囲むようにして。その外側は今でもそのままその人の土地なんだっけ…」 他人ちの庭の中にまるごと集落がすっぽり入ってたようなもんだって考えると、改めて変な気分。 しかし思えば、何かの拍子にわたしたちがうっかり敷地に迷い込んでもそりゃ、しょうがなくないか?そもそも自分ちの庭の中で、本人たちには何も知らせずに勝手に人間の集団を飼うからだろうよ、と密かに無言でぶんむくれる。 わたしたち集落の住民はみんな、ここから一歩でも出たらもうそこは他人の家の敷地だなんて当然教えてもらってないもん。そもそもいかれてるのはそっちの一族の方だから、初めから。 「でもさ。高橋くんが最初にここに入ってきたとき、パラグライダー使ってたでしょ。そしたらあれってもしかして、その人の私有地の外から飛んできたの?」 ふと素朴な疑問が浮かぶ。高橋くんはちょっと目を見開いて、ぶんぶんと首を横に振って否定した。 「まさか。パラグライダーってそんな長い距離を飛ぶには向いてないし。基本的には高いところから下に向かって滑降するものだからさ…。まあ、不法侵入だよね。ちゃんと事前に位置調べて、ルート外して迷わないように。下手したら遭難するもんね。あと、うっかり山林を抜けてのこのこ例の財閥一家のうちの庭に入り込んじゃったら。集落に忍び込む前に捕まっちゃうしさ」 「やっぱりここの元所有者には無断での行動なんだね。一応政府機関からの依頼とはいえ、表向きは私人だから。現行犯で取り押さえられたら知らぬ存ぜぬで見捨てられちゃうのか…」 なかなか非情だ。まあ、公の立場ではできないことだからわざわざ民間の調査員を雇ったわけで、ドジ踏めば即切り捨てられるのは最初から承知の上か。 「でも、そうやって話聞くとここに侵入してくる往きのときにはなんか、単独行動みたいだけど…?一人でこっそり他人ちの私有地に忍び込んで、ここまで頑張って辿り着いて飛んだってことでしょ?協力者、どこにいんの」 ちゃんとチームのバックアップあるよみたいに見せかけといて、実は結局ぼっちなんじゃ…。 とわたしが疑ってると思ったのかどうかは知らない。彼は慌てたりむきになったりもせず、平然とそれに返してきた。 「敵地での活動は目立つと悪手だから。私有地に侵入する時点で単独行動にしたよ。どうせ飛び降りるのは俺だけって決まってたし、その直前までわざわざ一緒にいてもしょうがない。…けど、侵入する地点まではちゃんと車で送ってもらったし。万一のときに備えて連絡は取り合いながら進んだから。完全に一人で全部実行したわけじゃない。サポートはちゃんとしてもらってる」 思ってたよりはしっかりチームプレイだった。 「…えーと、じゃあもしかして。ここに入ってきたあとも、サポートメンバーとはずっと連絡が取れてるってこと?今も?」
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