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神崎さんが指先で薄板のようなスマホの表面を、もの慣れた手つきでぱっぱっ、と滑らせるようにしてる様子に自然と目を奪われた。
あれって一体どういう操作なんだ。漫画だと動きがないし、アニメでもそこまで詳しい描写はないからよくわからん。大抵画面を見てるだけで、その前の動作は省略されてるし。
…しかし、こんな風に。と改めて現実がじわりと身に沁みてくる。
スマホも全然知らないわたしが、この現代(というか、わたしたち集落の人間の感覚で言えば。むしろ失われた大昔の過去)の日本に適応して。普通の人に紛れて目立たず暮らせるような日が、いつか本当にやって来るのかな…。
二人は真剣に額を突き合わせて小さな画面を見ながら何やら相談を続けてる。
一方でわたしはと言えば、すぐそこに近づいてきた表の道路から視線が離せない。…いや、知ってるよ?もちろん。あれが自動車だってことは。
いろんなもので見たことはあるし。…けど、ほんとに。本物が、何台も。次々と走ってる…。
大きさも形もそれぞれ、全然違うよ!わかってる、そういうもんだってことは。けど、…本当に。外はTVの世界そのまま、なんだなぁ…。
「新幹線の停まる大きな駅まで行けばちゃんとしたビジホあるけど。どのみち早朝にチェックインはまあ無理でしょ、普通。そうするとラブホだけど幹線道路沿いか観光地にしかないから、遠路はるばるタクシーでそっちまで行かないと…。そこまでして落ち着けるかどうかわからない微妙な空間借りるより。いっそもう新幹線乗れたら乗っちゃった方がむしろ座席で快適に休めると思うんすよね。…ほら。このひかりに間に合えば…」
「あ、ほんとだ。そうか、この駅まで行けばあとは東京までたったの約一時間半かぁ…。8時過ぎには東京駅着くじゃん。それで急いで駅前でタクシー拾って、さっさとうちまで連れて行けば。あとはどれだけぶっ続けで何日間寝てもらってもいいもんね。気兼ねないし、そしたら」
「問題は今ここから最寄りの駅まで、歩くとかなりあるから。タクシー拾えるかどうかっすね。アプリとかでここまで呼べるかなぁ、こんな時間に」
しきりに首を捻ってスマホを検索する神崎さん。タクシーって、よく映画とかで見るやつだよね。あと世界タクシー紀行みたいな番組見たことある。あれ、何とはなしにただぼんやり見てるの結構好きだった。…あ。
「…高橋くん、あれ。タクシー?」
思わず彼の服の裾を引っ張って遠くからやってくる自動車を指差す。そっちに目をやった高橋くんがばっ、と反射的に手を上に上げて大きく目立つように振って合図した。
「…タクシー!」
ここまでめちゃくちゃ『タクシー』って単語、何回も出た…。
かくしてわたしたち三人は無事、夜明け後間もない超早朝のマリーナから新幹線の停まる駅まで向かうタクシーに揃って乗車することに。わたしと高橋くんが後部座席、神崎さんが助手席。
「うわ。…ぁ」
多分現代の日本社会で、こんなにうっとりと自動車が行き交う道路の光景に夢中で見惚れる人物って、今のところわたしくらいなんじゃないだろうか。もちろんこのあと集落の存在が陽の下に明らかになって、中のみんなが外の社会に解き放たれた未来のケースを除くけど。
目をきらきらさせて夢中で車窓に張りついてるわたしに、高橋くんが苦笑気味に背後からそっと声をかけた。
「やっぱ珍しい?でも、TVや映画では。普通にこういう景色、何度も見てるでしょ」
わたしはすれ違う色とりどりの車体に目を奪われながら、上の空でぼんやりと答える。
「それは、そうなんだけど。…でも映像で見るのとこの目で実際に見るのとは。やっぱ全然違うよ」
すごい、見上げるほど巨大なトラックが何台も続けて通った。ちょっとした家くらいの大きさじゃない?何を積んで運んでるんだろう、一体。
たかが車道でこれならわたし、この先どうなっちゃうんだ。と頭の中では考えつつ、口先は適当に高橋くんに対する答えを探す。
「高橋くんたちだって。南極でオーロラとか宇宙空間とか。ドキュメンタリーの映像とかで何度も見たことあっても、現実にその場に居合わせたらやっぱりうぉ、となって見入るでしょ。それと同じだよ」
「同じ?…かなぁ。だって、オーロラとか宇宙は単純に光景として美しいってのもあるし…。珍しいからってだけでなく、綺麗だから見惚れるんじゃないの?珍しい、初めてこの目で見るけど別にきれいじゃないもの。…うーん、何とか?例えば、該当するものって…」
高橋くんが真剣に考え込んで首を捻ってる。わたしは構わずうっとりと行き交う車たちに見入って呟いた。
「綺麗だよ。フォルムに無駄ってものがない。人が作った実用品て、いいよね…」
助手席に座った神崎さんは乗り込んだのちはやけに静かで大人しかった。後部座席からはその様子が見られなかったのだが。あとで聞くと結局、座席に身を埋めるなりすぅーっと自然な流れで寝入ってしまったらしい。
いざ車で移動するとなると、新幹線の駅はもとの地点のマリーナから思いの外近かった。
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