第14章 新世界より

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歩くと相当な距離なんだろうけど(その後、新幹線の中でスマホの地図を見せてもらって確かめた)、自動車でだと30分もかからない。 あとで車の速度は普通道路ならまあ50からいって60km/hくらい。高速道路だと100km/h近くまでになることを知った。すごいじゃん、車。 集落ならあっという間に端から端に着いちゃう。ああ、でも。こんなので思いきり走れるような広くて平坦な道、考えてみたらあの土地には全然ないや…。 乗り心地はゆったりとして、スピードがこんなに出てるとは信じられないくらい静かで滑らかだ。生まれて初めて自動車に乗る子どもみたいに(てか、まんまそれだし)目を輝かせて最初から最後まで窓の外の眺めに齧りつきっ放しなわたしの背中に向け、高橋くんが隣の席からこっちのことを微笑ましく思ってるのが丸わかりな声をかけてきた。 「車、気に入った?もしよかったら。東京に着いてしばらくして生活が落ち着いたら、ドライブに行こうか。いろんなところを見ておくといいよ、せっかくのチャンスだからね。頑張って集落を出てきたのは見聞を広げるためでもあるし」 どこがいいかなぁ、箱根とか。横須賀とか房総あたりもいいかも。あ、でも考えてみたら海と山とで自然がいっぱいって、純架が元いた環境にむしろ近いのか。東京の都心とか横浜の街並みみたいな人工物で構成された風景の方が楽しめるかな?とか言ってる本人も少し楽しそう。わたしは振り向いて彼に遠慮がちに尋ねてみた。 「もしかして。…高橋くんも自動車の運転免許とか。持ってるの?」 「うん、仕事で使うからね。車は使うたびに借りることが多いから、自分のって持ってないけど。都心で暮らす分には普段の生活では車なくても充分何とでもなるし。それに同じ車でずっと行動しない方がいいんだ、概ね。仕事柄ね」 ああ、…尾行するときとか。確かに、スパイがいつも自前の同じ車であとつけてたら。絶対覚えられるし警戒されるもんなぁ…。 高橋くんはちょっと浮き浮きと聞こえないこともない調子で、さらにあとを続けた。 「楽しみだなぁ、純架をいろんなとこに連れて行くの。きっと一緒にいる自分も初めて見る気持ちを追体験できそうな気がする。何もかも新しい経験って、俺たちが想像する以上に大変だろうなと思うけど。新鮮な発見や驚きもあって、きっと知らないことを初めて知っていく喜びもあるよね。そう考えると羨ましい、…とかは。気軽に言っちゃいけないんだろうけど」 「ううん、そんなこと」 言ってることはわかるような気がするから。わたしはゆるゆると首を横に振った。 「だって、わたしもちょっと同じこと思ったもん。高橋くんが初めて集落に来た頃…」 あの日の記憶が脳裏に活き活きと、鮮やかに甦る。 いきなりカラフルな派手派手七色の平べったい風船で、わたしの目の前の海辺にばっさり降りてきて。そういえば初対面でパラグライダーを畳むの、有無を言わさず手伝わされたなぁ。集落まで連れて行く間にも早速あちこち見回して、あれは何?あっちには何があるの?って、目をきらきらさせてひっきりなしにわたしに尋ねてきてた。 あのとき彼がやたらと若く見えてたのは、知らない初めての環境に乱入してきて何もかも目新しく、全てのものに興味津々だったからなんだなと今になって改めて気づいた。 同じ立場になったら、多分誰だって小さな子どもみたいな反応になってしまう。もちろん今このときのわたし自身も。 「あの日の高橋くん、何を見てもすごく感心したりびっくりしたり、わたしの説明に真剣に聞き入ってへぇ〜って驚いたりしてた。こっちにとっては全部子どものときから見飽きた、ありふれたものなのに。外から来たらこんなものも珍しくて目新しいんだな。一体この人の目にはこの場所はどんな風に見えてるんだろ。同じものを見てもわたしとは全く違って見えてるんだろうなって…。ちょっと羨ましいような。不思議な感覚だったな、あのとき。と思って」 高橋くんは静かなタクシーの車内の空気を憚ったのか、抑えめな声でふっと小さく笑った。 「…そういえばそんな感じだったかも。確かに、今の純架と。あのときの俺、ちょっと似てるのかもね」 呟いてから、流れていくタクシーの窓の外の風景に目をやる。しみじみと、納得した様子で低く呟いた。 「そうか、今純架が感じている気持ちって。あの瞬間の俺自身を思い起こしてみれば大体想像つくんだってことだな。集落の造りもみんなの暮らし振りも中で出会う人も。何もかもが初めてで、真剣に目を奪われてたなぁ…」 「うん。クリスマスのショーウィンドウに夢中で齧り付いて絶対にそこから離れようとしない子どもみたいだったよ?…映画で見たことある、あのよくあるやつ」 わたしたちは後部座席で並んで目を合わせ、声を抑えて微かな忍び笑いを交わした。前の座席の神崎さんがやけに大人しいなぁ、全然話に入って来ないけど。と一応頭の片隅でちょっとだけ気にかけながら(実際はもう既にすかんと寝入ってた)。 あのときはこんな風な日がほんの数ヶ月後にやってくるなんて。もちろん全く想像の外だったな。 人生って不思議だ、やっぱり。
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