第13章 脱出

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高橋くんはお客様待遇だから、尚更こういう貴重品は手に入りやすかったんだろう。2リットルの大型のやつを、四本ぐるぐるとテープでまとめたもの。それに引くためのロープが繋いである。 「本当は浮き輪があれば一番安心なんだけどね。そんなの技術部に頼んだら何に使うんだ?って怪しまれちゃうから…。でも、溺れたときは空のペット一本あればかなり持ち堪えられるらしいんだ。だからこれなら充分、ただがっちり抱きかかえて掴まってるだけで純架でも浮けるよ?それで俺が引っ張って行ってあげるから。ね、そう考えたら。何とかなりそうでしょ?」 その日の我が家での夕食。 高橋くんを招いてみんなで囲む心尽くしのメニュー。こうやって母と並んでキッチンで一緒に料理を作るのもしばらくはないんだなぁ。いつも手伝いなさい、ってばっかり言われて内心渋々だったのに。次はいつ戻って来られるかわからないと思うとやっぱり胸がきゅっとなる。…これはなかなか、つらい。 あんまり考えちゃうと身動き取れなくなる。今は先のことは考えない。 もっと落ち着いて振り返れるようになったら。安全が確保されて、ゆとりが出来たらそのあとで改めて冷静な頭でいろいろと考え直せばいい。 目の前のことでもういっぱい。今は、それでいいんだ。 全部終わってから考えよう。わたしがいなくなったあとの家族のことなんて、少しでも今想像しちゃったら。絶対にもうそれ以上は動けなくなる…。 高橋くんや妹が入ったあと、わたしも冷めないうちにと母から急かされてお風呂を使う。この浴槽に浸かるのも、…とか考えちゃ駄目だってば。と心の中で自分を叱咤する。本当に思ってたよりずっと煮え切らないやつだ、わたしって。 上がって丁寧に身体を拭いてから、こっそり部屋から持ってきた例のウェアをパジャマの下に着込む。忘れずにしっかりとブラも身につけた。 「水から上がるとき、タンクトップだけじゃ透けちゃうから。水着だったらわざわざそういう気を使わなくてよかったんだけど、ごめんね」 大変細かいところまで気の回る高橋くんに事前にそう念を押されてあったから。 確かに、ランニングウェアはバストトップを保護するもの何もないもんな。水着として着るにしても全く同じ感覚だとやばい目を見る。 全身びっしょりになるから水から上がったら全部着替えることになるけど。一応着替えはひと通り持参して頭の上にビニール袋で保護して載せて行ってもいいし、ペットボトルの浮きの上に少量なら防水した荷物置けるかも。だからせっかくだからお母さんに作ってもらった服も少し持って行くといいよ、あれは純架に本当によく似合ってるから。…ってもアドバイスされたなぁ。 なんて思い出して考えてると、なんか泣きそうになる。母の作ってくれた服なんて向こうで見たら。何とも言えない複雑な気持ちになりそう…。 もっとも、脱出をサポートしてくれる味方がちゃんと新しい着替え一式を持参してくれてるはずだからとのことなので絶対に必須というわけじゃないらしい。もちろん純架の分も頼んであるよ、と言われたから。わたしっていうおまけがついて出てくるってことは、既に先方に周知された既定路線らしい。 その味方の人たちにわたしは何だと思われてるのかなぁ。まさか、高橋くんと恋愛関係になって連れ出された女だとは考えられてないと思う。けど…。 一体どういう風にわたしのことを説明したのか、あとでちゃんと尋ねておいた方がいいかも。細かいことは抜きで単に一人女の子連れて行くよーとか言われてるだけだったら。…そりゃ、普通に考えたら誤解するか。ああでも、その人がどれだけ高橋くんと気心知れてるかどうかによっても。結構解釈違ってくるな。 本人をよく知ってたら、ガードが固すぎてそう簡単に短い期間で女の子と恋に落ちそうにない男だろあれ。ってことくらいはわかりそうなもんだ。 そしたらさすがにわたしが高橋くんが気まぐれに(あるいは、まじで)引っ掛けてきた新しい彼女だとか。そんな風に変な誤解はされてない、と。思いたいけど…。 などと徒然に考えながらしっかり、ブラとタンクトップ、それとランニングパンツを身につけてからパジャマを上に着込む。各戸にまではエアコンも普及してないこの集落では夏も終わり近いとはいえさすがに少し暑苦しく感じる。けど、今日ばかりは仕方ない。 クーラーがない代わりと言ってはなんだが、治安はいいから窓全開で寝るのは何処の家も同じ。海から林を渡ってくる夜の涼しい風が網戸越しに入ってくるのを感じながら、灯りを落とした部屋でじっと床に横たわっていると(たびたび高橋くんがうちに泊まりにくるようになったら、さすがに予備の布団を技術部が特別に手配してくれた)、やがて麻里奈がベッドで寝息を立て始めた。あともう少し。 両親も深く寝入った、と間違いなく確信できる時間帯まで。しばらく寝ずに待機していないといけない。 うっかり寝過ごさないように気をつけなきゃ。
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