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褒められて調子に乗ったついでに、うんと身体を水平に保って脚をばたばたと交互に上下してみる。…おお。
「…進むね」
「うん、上手上手。足の甲をね、鰭みたいに考えて。膝から下を使ってね。…そう。いいよ、さっきより全然進む」
確かに。ただだらんと掴まって引っ張ってもらってるだけのときより、かなりスピードが上がった気がする。
高橋くんがロープを引きながらふと、笑みを浮かべてこっちに振り向いたのが月明かりの下ではっきりと見えた。
「純架、ちゃんと練習したら結構泳げそうじゃん。向こうで落ち着いたらスイミング、通ってみるのもいいかもね。何なら教えてあげるよ。プールだともっと泳ぎやすいよ、くらげも出ないしね」
「くらげ…」
そういえば。八月になると波打ち際までぶかぷかやってきては、毎年いくつか打ち上げられて砂浜で干からびてるあれ。夏の風物詩だ。
「くらげって。…刺すんだっけ、確か」
ちょっとぞっとなって身体が縮みそうになる。高橋くんはまるで動じずすいすいと水を切って進みながら、平然とその問いに受け応えた。
「うん、夏も終わりだからね。多少はまあ、出るかも。気をつけてねって言いたいけど気をつけようがないから…。アドバイスはね、うん、あまり考えないことかな。運がよければ刺されずに済む」
え…。
「運が悪けりゃ刺される、じゃないのか…。くらげ避けとかないの?」
「ないよ、蚊じゃないもん。モスキート音みたいのあればいいのにね。海の中じゃ音は無理か。電気は効くかもだけど人間にもこうかばつぐんだし…。あ、ほら。見えてきたよ、船の全容が」
弾んだ声で注意を促され、そっちに顔を向ける。…本当だ。
浜辺からは崖に半分以上隠れるように見えて停まっていたのが、泳いで近づくとだいぶ全体が露わになって見える。
さっき一つだけぽっと灯った灯りがこっちに向けて大きく何度も振られてるのがわかる。てか、あれって手持ちの照明か。多分懐中電灯では。
わたしも初心者なりに一生懸命脚をばたばたさせたので、後半は前半と較べものにならないくらいスピードが上がった。ので、結局は最初に考えてたよりもずっと早く船まで辿り着くことができたのだった。
高橋くんがすうっと浮きを引き寄せ、わたしを船のすぐ横につけた。そこに梯子が降ろされている。
「掴まって。…そう。昇れる?ペットボトルと荷物はいいよ、俺が引き上げるから」
「あ。…ありがと」
梯子に掴まって水から自分を引き上げると、思ってたよりも身につけてた服が重くずっしりとまとわりついてびっくりした。
高機能性のランニングウェアだし、布地面積は少ないから。そんなに水を吸うとは思わなかった。ずしっと垂れ下がる濡れた服からぼたぼたと絶え間なく海水が落ちるのを振り切るように、何とか梯子に縋ってずるずると身体を甲板まで持ち上げた。
「…ふぅ」
多分自分で思ってたよりもずっと、初めての海水浴で体力気力ともに持っていかれてたんだと思う。船の上に無事乗れた、と実感したらどっと疲れと安堵が湧いてきて。その場にべったりとへたり込んで、しばらくは言葉もなく息をついているばかりだった。
「カンちゃん。…タオル」
「へいへい」
高橋くんが誰か知らない人の名前を呼んだ。と思ったら、わたしの頭の上からふわりと大きなタオルが被せられた。
誰かがそのまま、タオル越しにわたしの頭をわしゃわしゃとかき回すように吹いてるけど顔が見えない。と身を硬くした次の瞬間、聞き慣れたいつもの声が頭のすぐ上で響いてほっとした。よかった、高橋くんだ。この手。
「…お疲れ様、純架。よく頑張ったね」
「うん…」
彼がそのままわたしの頭をざっと拭いたあと、タオルを一瞬剥がして拡げてすぐに両肩を覆うようにばさっとかけ直し、全身を包んで前を押さえてくれた。…そうか、服。
考えてみれば水着じゃないから、今この姿は下着もなんも全部透け通しだ。そんなことまでとても気が回らなかった。とぜいぜい喉を言わせながら高橋くんに胸の内で感謝する。
もっとも高橋くんだけじゃなく、船の上でわたしたちを待ち構えてた彼の仲間の人もそんなしょうもないことに気を取られるほど暇そうじゃなかった。二人がわたしの頭上越しにてきぱきと確認し合う声が素早く飛び交う。
「お二人とも乗り込みましたね。じゃあもう出しますよ、船」
「頼むわ。…あ、ごめん。この子の着替え一式頼んだやつ。どこにある?全身びっしょりで可哀想だから。着替えさせないと」
「あーえーと、ここです。…このユニ●ロの包み。頭の天辺から爪先まで無難オブ無難のセレクションですけど。すいませんね、彼女。落ち着いたら東京でもっとちゃんと気に入った服買い揃えてください」
「…いえ。大丈夫です」
若い男の子の声。『彼女』って、多分わたしのことだな。肩で息をしながら何とか切れ切れに答える。見てるとぱっと船の先頭にライトが灯り、かなり大きなエンジン音がばばばば、と静寂そのものの海の表面上に響き渡った。
これって集落まで聞こえそう、と思った次の瞬間結構な勢いでボートは走り出す。
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