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収録の終わりを知らせる声をスタジオに響いた途端、密かに息を吐き出す。
楽屋へと帰っていく共演者のみなさんに向かって挨拶をしつつ、先を歩く晃希と諒の背中を追って足を運ばせていく。
「お疲れ様です、ありがとうございました」
「おつかれえ」
今日は晃希と諒の三人でバラエティー番組に出演した。
この番組の出演でアルバムのプロモーション活動は終了し、息をつく暇もなかった忙しない日々から少し離れられる。
プロモーションのおかげか、アルバムの売り上げランキング・ダウンロードランキングで何週にも渡って一位を取れた。
ファンのみなさんからもSNSを通して喜びの声をたくさん貰えたし、共演したタレントさんやスタッフさんも聞いてくださったようでお褒めの声をいただいた。
俺としては、今回の活動はとても学びがあった。
特にSNSに対して勝手に難しく考えていたけど、一人の生配信を経験したおかげでもう少し気軽に考えられるようになった。
すごくファンのみんなから喜ばれたし、もっと自発的にやってみたい。
懸念点としては、体調があまり芳しくないこと。
どこかが悪いというわけではないんだけど、なんだか急に動悸が激しくなったり過呼吸ぎみになったりする。
と思ったら、きっかけもなしに気分が落ちこんでなかなか浮き上がってこられなくなる。
いつその症状が出てくるかわからなかったから不安だったし、そばにいてくれる伊織くんにはいっぱい甘えてしまった。
だけど、なんとか全部の活動に参加できてよかった。
「あっ、あの、すみません」
今日はこれで終わりとあって二人の後ろで静かに考えを巡らせていると、いきなり高い声に話しかけられる。
反射的に足を止めれば、晃希と諒の前に同い年くらいの女性が立っていた。
たしか、同じ番組の収録にいた女性アイドルグループのヒナタさんだっけ。
ヒナタさんの後ろには付き添いなのか、同じグループの人が二人ちらちらとこちらを見つつも小声で話している。
「あの、私、皆さんのファンで……、連絡先を交換していただけませんか?」
ヒナタさんは緊張した様子で胸の前で手を握りしめると、上目遣いで俺たちを見つめる。
その表情は多分可愛らしいんだろうけど、今はそれよりも晃希の反応が心配でそろりと視線をやった。
晃希、ちゃんと断るよな?
いや、その前に俺が言ってしまったほうが……。
「いいですよ。スマホ取ってくるんで、ちょっと待っててください」
「ちょっと、晃希くん!」
心の中で願ったものの叶うわけもなく、晃希はいつものように感じのいい返事をすると足早と楽屋の中へと入っていく。
それを諒が追いかけると、二人の後ろで固まっていた俺が置いてきぼりになった。
「あっ、えっと」
無言で立ち去るのはさすがに失礼だろう。
そう思うけど、こういうときはいつも優成くんが対応してくれていたからどういう言葉をかければいいのか考えたことすらなかった。
「私、実はデビューしたときから碧くんのファンなんです。だからできれば、もっと仲良くなりたいなって思ってて……」
「あ、ありがとう、ございます」
ヒナタさんはちょっとずつ近づいてきながら視線や表情から好意をぶつけてくる。
今すぐ逃げたいのに足の裏に根が張ってしまったように全く動けず、ヒナタさんと楽屋の扉の間を何度も目を泳がせるので精いっぱい。
「碧くん、どうかしたの?」
緊張や焦りで音が籠り、背中に冷や汗が流れる。
申し訳ないけど無言で逃げようと大きく息を吸いこんだとき、マネージャーさんの声が鮮明に耳に飛んできた。
振り返ると、マネージャーさんが小走りでこちらに向かってくる。
「マネージャーさん」
ホッと息を吐き出すと、それだけで身体に入っていた緊張が幾分か解ける。
マネージャーさんはすぐに俺の前に立ってくれ、俺もそっと後ろに隠れると胸に手を当てて深呼吸をする。
「うちのものが何かありましたか?」
「いえ、ちょっと話してただけです。すみません」
マネージャーさんが尋ねると、ヒナタさんたちはあっさりと去っていく。
その背中をマネージャーさんの後ろから眺めていると、徐々に締めつけられていた胸が治まっていく。
だけどそれでも苦しくて心臓の辺りを押さえて背中を丸めると、マネージャーさんが隣に来て背中を撫でてくれる。
「大丈夫、だいじょうぶ」
マネージャーさんの声に合わせて大きく息を吸いこんでは吐き出す。
そうして何度も繰り返しているとちょっとずつ苦しさは紛れていき、なんとかマネージャーさんに向き直った。
「もう、だいじょうぶ」
ゆっくりと背筋を伸ばすと、目の縁に溜まっていた涙を拭う。
「何があったか聞いても大丈夫?」
「うん。その、連絡先を聞かれて。晃希が頷いちゃったから断ろうとしたんだけど、言葉が出てこなくて……」
「そっか、晃希くんかあ」
なんとか言葉を連ねて説明すると、呆れたような声が返ってくる。
晃希はいい奴だ。
メンバーの中でも明るく喋るのが得意なのもあって、いるだけで人を笑顔にさせる。
その上、誰とでも仲良くなれる柔和さを持っているから、喋りが必要となる場ではとても重宝されている。
だけど、交友関係が広いが故に女性とも関わりが多い。
晃希は女性が好きで恋に積極的なのもあって、そこがアイドルである晃希にとって欠点になっている。
「あっ」
黙って晃希のことを考えていると、静かな廊下に気まずそうな声が響く。
その声のほうへマネージャーさんと同時に顔を向ければ、晃希がスマホを持って立っていた。
「晃希くん」
いつもの柔らかな声なのにどこか圧があるマネージャーさんの声。
それが恐ろしくも心強く感じれば、晃希は楽屋の中へと逃げようと後退りしようとしている。
「ちょっと話そうか」
そう言って足早に晃希に近づくと、晃希を掴んでほぼ引っ張るように俺から離れていく。
その二人の姿を見て改めて大きく息を吐き出せば、晃希が塞いでいた楽屋の中から諒が出て来た。
「碧くん、大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
心配そうに駆け寄ってきた諒に笑顔で返す。
グループ内で唯一年下である諒には弱った自分を見せたくなくて、諒を前にすると自然と何でもないように装える。
「晃希くん、前々から注意してるよね?」
「でも、俺だってアイドルである前に人間なんだから女の子と遊んだり付き合ったりしてもいいでしょ」
そんな二人の会話が聞こえてきた瞬間、頭から冷水をぶっかけられたみたいに全身が冷たくなった。
アイドルとはいえ人間だからどんなに自分を制御していたって人のことを好きになるし、その先の関係になりたいと思うのは気持ちの流れとして当然だろう
だけど、アイドルを生業としている俺たちが考えなしにそれをしてしまったら傷つく人がいるのはわかりきっているし、確実に自分たちが築いてきたキャリアが多少なりとも崩れるだろう。
……何より、それをした結果を俺が一番知っている。
だから早く止めないといけないと口を開けてみるも、途端に喉が締まって声が出てこない。
「碧くん、本当に大丈夫?」
「あ、ああ……、ちょっとトイレに行ってくる」
ここにこれ以上いるとどんどん思考が暗くなっていくし、何より諒を心配させてしまう。
それは嫌だなあと霞がかった思考で思うと、適当にここから離れる口実を言って後ろを振り返った。
「えっ、碧くん!」
誰もいないほうへと歩いていく。
後ろで諒が何か言っているのは聞こえているが、今は声が出せそうにないから代わりに手を上げて誤魔化す。
足が重い。
今日は別に踊っていないのに疲労感が半端ない。
おもりをつけたような身体を引き摺って進んでいき、トイレの前を通り過ぎていくと、ほとんど使われていない薄暗い階段の一段目に座りこむ。
上半身を倒して膝に額を当てると、目を閉じて小さく丸まった。
俺らはアイドルで、ファンのみんなに応援してもらって成り立っている。
だから恋や愛にうつつを抜かせば、その人たちを傷つけてしまう。
だけど俺たちも人間で、どうしたって心があって……。
応援してもらうためには完璧じゃないといけないけど、完璧であるためには恋愛なんてしてはいけなくて。
でも、それはできなくて。
……なんか、よくわからなくなってきた。
「うっ、……」
突然、腹から気持ち悪さが込み上げてきて吐きそうになる。
とっさに口に手を当てて押さえると、気を紛らわせるように鼻で大きく吸いこむ。
「君、大丈夫?」
マネージャーさんと晃希が話しているとはいえ早く戻らないと。
そう自分を急かすと、いきなり中低音の穏やかな声が頭上から聞こえてきた。
こ、この声は。
耳にこびりついた忘れられない声に反応して勢いよく顔を上げれば、目の前にロイが立っていた。
「あっ、君、たしか碧くんだよね?」
目が合うと、ロイは安心させるように微笑みながら俺の名前を呼ぶ。
まさかこんなところで会うなんて思っていなかったから一瞬にして頭が真っ白になった。
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