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「すみません」 「ううん、全然いいんだよ。それにボクから話しかけたんだからリラックスしてね」 ロイに言われるまま階段を離れると、マネージャーさんに話してロイの楽屋へと招かれる。 なんだこれ、本当に現実なのか? 未だに目の前の光景に理解できずに棒立ちしていると、ロイが座布団を用意してくれる。 そこにおそるおそる正座をすれば、自然と背筋がピンと伸びた。 「まだ気分悪いかな? よかったら、これ飲んで」 「あ、ありがとう、ございます」 真正面にいるロイを見られずに目を伏せていると、ロイがペットボトルの水を差し出してくれる。 それを恐縮しながらも一口飲めば、カラカラに乾いた口内が潤ってこっそり息を吐き出す。 「そういえば、マネージャーさんはなんて言ってた?」 「メンバーを家に送ったら、また迎えに来てくれるって言ってました」 「それはよかった。二人いたし、ゆっくりできそうだね」 そう言うと、俺の目をしっかり見つめながら優しく笑いかけてくれる。 熱愛が報道されたとき、あんなに絶望したのにどこか気持ちを忘れられなかった。 そんな人が手を伸ばせば届くところにいて、自分の名前を覚えてくれていて、初対面の俺のことを心配して気遣ってくれる。 こんなこと、どんなに有頂天のときだって少しも想像できなかった。 「あ、あの」 「どうかした?」 心臓は緊張がバクバクと激しくてうるさいけど、気分的にはだいぶ落ち着いてきた。 そうするとずっと黙ったままでいるのは失礼だと思えてきて、精いっぱい勇気を振り絞ると自分から話し出した。 「俺のこと、知っていてくださったんですね」 若干声を震わせながらもなんとか尋ねる。 今はロイではなく本名の西大路尊として活動していて、この前も主演の映画が公開されたりと精力的に活躍している。 だから人気と言ってもらえるようになったとはいえ、まだまだ芸能界ではひよっこの俺のことを知ってくれているとは思っていなかった。 「ああ、昔からアイドルが好きなんだ。だから、自分もアイドルをやっていたわけだしね」 唐突な俺の質問にロイは笑顔で答えてくるも、その目はちょっと寂しそうにも見えた。 「碧くんたちのことはデビューしたときからずっと応援してるんだ。だから碧くんが辛そうに歩いているのを見かけて、思わず話しかけちゃった」 ごめんねと言うと、ロイは目にかかった前髪をかき上げる。 それは昔、ライブで見た姿と重なって、心臓が高鳴ると同時に涙腺を刺激された。 「俺もずっとReXが好きで……、ロイさんに憧れてて……」 熱愛報道を見たあの日。 あんなにロイを嫌悪したのに今も追いかけているのはアイドルだったロイの背中で。 どんなに距離を置こうとしても惹き寄せられるようにロイが出演している映画やドラマを見てしまう。 あのキラキラと輝いた幻のようなロイはどこまでも俺の心を掴んで離さない。 たとえそれがロイの手によって壊されたとしても、俺の中にはずっと変わらずあって。 多分、これからどんなに偉大な人に出会おうと俺の憧れはロイなんだと思う。 「あ、あの……、こんなこと聞くのは失礼かもしれないんですけど」 「うん、せっかく会えたんだしなんでも聞いてよ」 今の今まで逃げ回っていた自分の気持ちに気づくと、なおのこと聞かずにはいられなくなった。 太ももの上で拳を握りしめると固唾を呑みこむ。 返ってきたロイの寛容な言葉に改めて覚悟を決めると、ロイの目をしっかり見つめた。 「どうしてあんな熱愛を撮られたんですか? あんなことしたら撮られるなんてロイさんならわかりきっていましたよね?」 できるだけ遠回しな表現は避け、聞きたかったことを言葉にする。 あのとき、男性アイドルはReXが一強だった。 そうなってくると、ただでさえ週刊誌の記者たちはスキャンダルを求めて目を光らせているのに当時はもっとすごかっただろう。 なのにそんな中であまり変装せずに恋人とデートして、路上でキスなんてしたら絶好の餌になるのはアイドルじゃなくてもわかるはずだ。 ロイは黙って俺の話を聞いていると思えば、俺が言い終えると同時におもむろに水を飲んだ。 「まあ、撮られたのは本当に偶然だったんだけど……」 ペットボトルから口を外すと、独り言を言うように呟く。 その声色はどこか寂しげで、気を引き締めると一言も逃さないように集中する。 「あのときのボクらってさ、自分で言うのもあれだけどすごく人気だったでしょ」 ロイのその言葉に大きく頷く。 「さっきも言ったけど、アイドルになりたくてなったわけだから人気になれたのは嬉しかったんだ。でも、人気になればなるほど心も身体も疲れてきちゃって……、だんだんアイドルでいること自体が嫌になってきちゃったんだ」 ロイが語ろうとしているのは多分、当時必死に隠そうとしていた本音で。 それは今の俺にも当てはまる。 だからこそ耳を塞いでしまいたくなるけど、じっとロイだけを見つめるように努めた。 「少しでもキャラじゃない言動をすると注意されて、何も悪いことしてないのにアンチには揚げ足を取られて非難されて。なりたかったアイドルになったはずなのにどんどんどうでもよくなってきちゃって、現状を全て手放したくなったんだ」 そう言うロイの顔はにこやかだけどどこか寂しげで、じわじわと胸が締めつけられる。 自分もアイドルになって芸能界の表も裏も知った。 だけどファンでしかなかったときの俺はきらびやかな表面しか見ていなかったから当然のように完璧なアイドル像を求めた。 それがどれだけ残酷なことなのかも知らずに。 「今のパートナーは自暴自棄になっているボクを支えてくれていたんだけど、ファンや記者に付き纏われつづける生活に疲れちゃったんだよね。それでボクが暴走した結果、あの熱愛報道になったんだ」 話している内に当時のことを思い出したのかクスッと笑うと、大きく息を吐き出して後ろに手をついて姿勢を崩す。 正直、自分から尋ねたものの真実を知ったとき、どんな衝撃を受けるのかと内心恐れていた部分がある。 だけど心は想像していたよりも素直に納得でき、ロイもそうなるのかと心の距離が縮まるのを感じた。 「ボクは完全に破壊しちゃってアイドルでなくなったけど後悔はしてないよ。だけどやっぱり、たくさんの人を裏切ったことに代わりはないし、ボク自身もたくさんのものを失った」 もしも、俺が同じようなことをしたらどうなるか。 一瞬、そんな想像をしてしまって背筋が冷えた。 「碧くんはそうなったらダメだよ」 ロイの顔は朗らかに笑っているのに、全てを見抜かれているようで少し怖かった。 いっそ、全部言ってしまおうか。 でも、自分でも上手く言語化できないし、何か大きな出来事があったわけでもない。 思考を隅から隅まで巡らせた末に奥歯を噛みしめると曖昧に頷く。 「ボクでよかったら、いつでも話聞くからね」 今までよりワントーン明るくしてそう言う。 その言葉に次は大きく頷けば、ロイはそばに置いていたカバンに手を突っこんでごそごそと手を動かした。 「連絡先交換しない? ボク、後輩と連絡先交換するのって実は憧れていたんだよね」 明らかにロイが空気を変えようとしてくれているのが伝わってくる。 ロイの話を聞いてだいぶ気分が楽になったのもあって俺も口角を上げると、ズボンの後ろのポケットに入れていたスマホを取り出して連絡先を交換した。 「ふふっ、ありがとう」 「こちらこそ、すごく嬉しいです」 俺がロイと連絡先を交換するなんて思いもしなかった。 画面の中に表示されている「西大路尊」の文字にどこか信じられない気持ちを抱きつつも高揚できるくらい元気になっているのに気づいた。 「碧くん」 目の前にある現実を噛みしめようと画面を見つめていると、名前を呼ばれて顔を上げる。 目が合ったロイはアイドル時代を思い出させる満面の笑みを浮かべていて、心臓が跳ねると同時にこの笑顔には叶わないと思い知らされる。 「逃げるのも休むのも全然ありだからね」 「はい、ありがとうございます」 ロイの言葉を受け入れて深く頭を下げると、タイミングを見計らっていたかのように楽屋の扉がノックされた。
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