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一旦、活動を休んで心身を治すなら今が一番タイミングいいんだろう。
だけど、いまいち一歩が踏み出せない。
ソファに両足を乗り上げて小さく丸まると、クッションを抱きしめる腕に力を込める。
これを考えるたび、動悸が激しくなって喉の奥がギュッと締まる。
するとたちまち苦しくなっていくから深くゆっくりと呼吸するように心がけると、クッションに額を当てて身体を落ち着かせていく。
こんな身体じゃあ、いつか人の目があるところで倒れちゃうかもしれない。
それだけは嫌だし、このままでもけっこう辛い。
でも仮に休んだとして、ファンのみんなは受け入れてもらえるだろうか。
休んで復帰した後、休む前と同じように活動できるのだろうか。
考え出すと見えない未来への不安がどんどん膨らんでいって、悩む時間ばかりが積み重なっていく。
ロイと話したおかげで選択肢が増えたのは良かったかもしれない。
早く決めればいいわけではないからまだ悩んでいてもいいんだろうけど、現状を考えると先延ばししつづけられないだろう。
……ちょっと、治まってきたかも。
ゆっくりとソファに身体を倒していくと、抱いていたクッションを枕にして仰向けになる。
そうしてぼんやりと天井を見つめると、丸めていた身体を伸ばした。
ロイとは、あれから数回会話をした。
助けてもらったお礼から始まり、アルバムの感想から活動休止の相談まで。
会ったときも思ったけど、ファンとして見ていたときに抱いていたイメージよりもずっと気さくで話しやすく、やっぱりあのときは一部分しか見ていなかったんだとしみじみと感じている。
それからロイのアドバイスもあって、まずは伊織くんに自分の体調や考えを話した。
伊織くんは俺が体調を崩す姿を何度も見ているのもあってすぐに受け入れてくれ、支えになるからいつでも頼ってくれとまで言ってくれた。
その後、伊織くんに付き添われながらマネージャーさんと優成くんにも話した
二人とも周りをよく見ている人だから前々から俺の不調には気づいていたという。
だけど俺の性格を考えて俺から話すまでは待っていてくれて、話した後には打ち明けてくれてありがとうとまで言われてしまった。
正直、人に自分のことを話すのはどうしても苦手意識があった。
それだけにみんなが俺のことを心配してくれるのは申し訳なかったけど、一人で考えていたときに比べて身体が軽くなったのを感じた。
……ロイもそうだったけど、俺も完璧になんてなれないんだ。
俺の心を曝け出し、みんなの言葉に耳を傾ける内、まだ完全ではないけどそんな考えを持てるようになったのも大きいかもしれない。
今まで完璧なアイドルを目指して活動し、完璧じゃなくなるものを排除しようと自分に鞭ばかりを与えてきた。
そのせいで自分でも知らない間に精神に負荷がかかり、じわじわと心身を蝕んでいった。
それがロイの本当の姿を見て、伊織くんたちの優しさに触れ。
だんだんと完璧じゃなくてもアイドルとして存在していいんだと、自分を許せるようになってきた。
まだ苦しいけど、そのおかげで見えてきたものもある。
マネージャーさんから、完璧を求めるあまり臨機応変に対応しないといけないファンとの交流が苦手なんじゃないかと言われたときは、なんとなくSNSを避けていた理由が明確化されて目の前が明るくなった。
まだデビューして二年だし、色々と変えられるだろうか。
盲目的に自分の中にある完璧なアイドル像だけを追いかけていたけど、これからは見られ方や応援のされ方について意識して考えていかないといけない。
もっとやれることがあるかもしれない。
なんか、考えている内に前向きになってきたかも。
思考が明るくなるとともに動悸が治まっているのに気づいたとき、机に置いていたスマホが鳴った。
『はい、碧です』
『碧くん、今どこにいる?』
『今ですか、今は家にいます』
『はあ、よかったあ』
のっそりとスマホに手を伸ばすと、寝転んだまま電話に応答する。
スマホから聞こえてくるのはマネージャーさんの声で、焦ったような様子に聞かれるままに答えれば、俺が家にいるとわかった途端に心底安心した声に変わる。
どうか、したのだろうか。
基本、穏やかなマネージャーさんの慌てぶりに上半身を起こすと、なんとなく空いているほうの腕でクッションを抱きしめ直した。
『碧くん、落ち着いて聞いてね』
その言葉に思わず固唾を呑みこむ。
口を固く閉ざしてじっとマネージャーさんの言葉を待ちつつ、何かいけないことをしてしまったかと最近の自分の様子を必死に思い出した。
『明日、晃希くんの熱愛報道が出る』
熱愛? 晃希が?
マネージャーさんの一言で途端に頭の中が真っ白になり、上手く考えることができなくなる。
その上、耳だけが水の中に入ったみたいに音がぼんやりとしか聞こえない。
マネージャーさんがまだ何か話しているのはわかるけど、今は自分が相槌を打っているかさえあやふやで、スマホを握っているだけで精いっぱい。
『……っ、あおい、碧!』
自宅の真っ白な壁を視界に映して呆けていると、いきなり伊織くんの声が俺の名前を呼ぶ。
『いおりくん』
『もうすぐお前の家に着くからそれまで待ってろ』
『わ、わかった』
突然の伊織くんの登場に驚きつつ、スマホから聞こえる伊織くんの声に安堵し始める。
すると次第に朧げだった思考が明瞭になっていって、ちゃんと伊織くんの話を理解できるようになっていった。
『大丈夫だからな。あともう少しだから』
『うん、だいじょうぶ』
『今日は何か食べたか?』
『きょうは、なにも』
『それじゃあ、適当に買ってくるからちゃんと待ってるんだぞ』
『うん、待ってる』
お互いに惜しみながらもどちらからともなく電話を切る。
そうするとまた静かになってしまって、一旦整理しようと息を吐き出すと、ソファの背もたれにもたれかかった。
そういえば、もう夕飯の時間なのか。
今日は起きる時間自体遅かったけど、起きてからというものずっと考えこんでいて、空腹なんて忘れてしまっていた。
とりあえず伊織くんが来るなら、何か用意したほうがいいだろうか。
でも、冷蔵庫の中には何もなかった気がする。
だけど何かしないといけない気がして立ち上がれば、クッションを抱きしめたままリビングを意味もなく歩き回る。
……落ち着かない。
伊織くんが俺の家に来るの、初めてな気がする。
視界の端にインターホンを映しつつ、手持ち無沙汰を解消しようと無駄に冷蔵庫の中を覗いてみたり寝室の扉を開け閉めしてみたりしてみる。
ちょっと、ドキドキする。
動悸とはまた違う心臓の高鳴りを感じて立ち止まると、部屋着にしている服の裾を引っ張ってシワを伸ばす。
き、着替えたほうがいいかな?
そう思ったとき、インターホンが部屋中に響いた。
小走りで近寄れば、インターホンの画面に伊織くんが映っている。
身バレ防止のために着けているマスクを下げ、帽子を脱いでいる姿を確認すると、すぐにオートロックを開いた。
伊織くんが中に入ってカメラから外れるまで見守ると、早足でまっすぐ玄関へと向かっていく。
いつ来てもいいように玄関の扉を凝視すれば、くうと小さく腹が鳴った。
エレベーターに乗っているのかなあ。
エントランスから俺の部屋までの道のりを頭に思い浮かべて今か今かと待っていると、タイミングよくチャイムが鳴った。
「伊織くん」
胸に溢れる嬉しさに突き動かされるままに玄関を開けると、弾んだ声で名前を呼ぶ。
帽子とマスクの間から見える伊織くんの目と目が合うと、そっと腕を掴んで部屋に引き入れた。
「体調はどうだ?」
「全然大丈夫」
「それはよかった」
後ろで鍵が締まる音を聞きながらそんな会話をすれば、自然と口角が上がっていく。
伊織くんがそばにいるとそれだけで心が緩み、最近はすっかり甘えきってしまう。
「腹は減ってるか? 一応、食べやすそうなのを色々と買ってきたけど」
「今やっと減ってきた」
「じゃあ、ちょうどよかった。俺もまだ食べてないから一緒に食べよう」
その言葉に頷くと、掴んでいる腕を引っ張って部屋の中へと招き入れた。
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