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7
「服、どうだった?」
夕飯も風呂も終えてソファでゆっくりしていると、廊下から足音が聞こえてくる。
振り返って声をかけると、風呂から出てきた伊織くんの全身を上から下へと見てみる。
「やっぱりちょっと小さいな。でも大丈夫」
「伊織くんのほうが大きいからしょうがないね」
俺が着たら大きめのTシャツがちょうどよくなっているし、ズボンは少し短くなって足首が完全に出ている。
練習着でも私服でもおしゃれな伊織くんが、俺の緩さ第一の着古した部屋着を着ている。
風呂上がりとはいえ整った顔をした伊織くんがそれを着ているアンバランスさに、思わず笑いが噴き出してきた。
「なに笑ってんだよ」
「だって、いつもかっこいい伊織くんがサイズの合っていない服を着てるのがなんか面白くて」
「なんだよそれ」
同じように笑う伊織くんの問いかけに正直に理由を話せば、いきなり頭を乱暴に撫でられる。
その手に揺らされるままに上半身を左右に動かすと、頭の上に乗っていた手が離れて伊織くんが隣に座る。
「今日、泊まってくれてありがとう」
「どういたしまして。まあ、半分くらいは泊まるつもりで来たけどな」
「それならよかった」
お礼を言いつつ伊織くんに身体を寄せると、いつものように太ももに伊織くんの手が乗る。
風呂上がりだから普段より温かな体温が手のひらから伝わってきて、心から一人じゃないと安心できる。
今日、伊織くんと一緒に夕飯を食べると一人でいたくなくて泊まってもらった。
初めてのメンバーのスキャンダルで心細かったのもあるし、一日中一人で考えていたのもあって誰かと話したかったのかもしれない。
「明日は仕事あるか?」
「午後から雑誌の撮影が一つある」
「俺も午後からだ」
明日、外に出ないといけないと思うとそれだけで憂鬱な気分になってしまう。
芸能界なんて毎日のようにスキャンダルが飛び交っていて、働いている人たちも慣れているだろう。
それに俺自身は何もしていないんだから普段通り仕事をしていたらいいのはわかっているけど、初めてのことはやはり怖いと思ってしまう。
「何も心配することはない」
一度考え出すとどんどん思考の奥へと嵌っていき、黙って考えこんでいると突然手をつながれる。
その感覚に我に返って顔を上げれば、真面目な顔をした伊織くんと目が合った。
「優成が近々、グループ全員で話す時間をつくるって言っていた。だから、そのときまで報道のことは忘れてろ」
「でも、俺……」
伊織くんから目を逸らすと、つながれた手を見つめる。
俺と晃希はグループで唯一の同い年で、練習生のときから一緒にいることが多かった。
最近は自分のことで精いっぱいだったけど、俺がもっとちゃんと注意したり話を聞いたりしていたら、今回のようなことにはならなかったかもしれない。
今更どんなに悔いたところで、決まってしまった熱愛報道を取り消すことはできない。
それはわかっているけど、どうしてももっとできることがあったのではないかと考えてしまう。
「あいつはマネージャーや優成から何度叱られても共演した女性に声をかけたり女性からの誘いに乗ったりするのを止めなかった。だからいっそ、早めの時期に報道されてお灸を据えてもらったほうがあいつも反省するだろ」
伊織くんは吐き捨てるようにそう言うと、強く手を握りしめる。
……そういう、ものなんだろうか。
自分には全くない考えだからあまりピンと来ていないが、伊織くんがそう言うならそうなのかもしれない。
「はい、この話はここで終わり」
そうしてまた考えそうになったとき、伊織くんがさっきまでの話し声より少し大きく声を出してこの話の区切りをつける。
「雑誌の撮影なら、早めに寝たほうがいいだろ。俺はソファ借りるからもう寝な」
そのきっかけとともに表情を和らげると俺の手を握る手を離し、その手で促すように俺の太ももを軽く叩く。
「えっ、ベッドで寝ないの?」
泊まってほしいとお願いしたときから一緒に寝るものだと思いこんでいたから、伊織くんの言葉に驚いてつい尋ねてしまった。
「俺のベッド、大きいから二人くらいなら寝れるよ」
当たり前だと思っていたし、なんとなく今夜は一人で寝たくなくて言葉を加えてしまう。
俺のベッドはゆったり寝られるように大きめを選んでいる。
だから、成人済みの男二人が横になっても普通に寝られるだろう。
とはいえ、やっぱり男同士で同じベッドで寝たくなかったりするのだろうか。
「いや、なんというか……」
伊織くんはどこか躊躇っているのか、大袈裟に目を泳がせている。
これは……、あと一押しでいけるかもしれない。
そう思うと今度は俺が伊織くんの手を握り、じっと伊織くんの顔を見つめて訴える。
「嫌なら無理強いできないけど、できれば一緒に寝たいなって」
「いや、嫌じゃないんだけど……」
「伊織くんも明日仕事あるんでしょ? だったら、ベッドで寝たほうがいいよ」
嫌じゃないと言質を取ったのもあり、つながった手を引っ張って一緒に立ち上がる。
「俺と寝たくない?」
「うっ……、寝たいです」
改めて了承の言葉を引き出すと、伊織くんを連れて廊下を歩き、肩を並べて歯磨きをする。
口を漱いでまた手をつなぐと、寝室の中へと入っていった。
「本当にいいのか?」
「いいよ、ほら入って」
さあ寝ようとベッドに入れば、伊織くんは立ったまま固まっている。
何をそんなに躊躇っているのだろうか?
薄く眉間に皺を寄せる伊織くんに首を傾げつつ掛け布団を上げて誘えば、何か覚悟を決めたように頷いた布団の中に入ってきた。
「伊織くん、真っ暗じゃないと寝れない? 俺、いつも小さく明かりをつけていないとダメなんだけど」
「ああ、俺はどっちでも大丈夫」
「よかった。じゃあ、いつも通りにさせてもらうね」
そう言い、小さな明かりだけにする。
そうして掛け布団を肩までかけ直すと、薄暗い寝室で伊織くんと向き合った。
「なんか、修学旅行みたいだね」
枕に頭を乗せて居心地のいい場所を探しているとふいに思いついてしまい、くすくすと声を潜めて笑う。
懐かしい。
友人たちと観光名所を巡って、眠たいのに夜深くまでくだらない話をして。
デビュー前で友人と遊ばずに練習漬けの日々だったのもあって、すごく楽しい記憶として刻まれている。
そういえば前、優成くんがグループみんなで旅行に行きたいって言っていたっけ。
そのときは軽く流していたけど、今になってワクワクしてきた。
……もっと、頑張ろう。
今までより視野を広げて身近にある楽しいことに目を向けて、仕事も大事だけど休むことも大切にして。
辛く苦しかった分、それを踏み台にして少しずつ新たな自分に変わっていきたい。
「伊織くん……」
囁くように名前を呼んでみる。
この思いは一人で抱えているだけでもいいだろうけど、早い内に誰かに伝えておきたかった。
そのほうが、確固たるものになる気がして。
縋るように見つめれば、伊織くんが身体ごと俺との距離を縮める。
それに伴って俺も近づくと、一つの枕に二人で乗っかる。
「俺、ずっと活動休止しようと思ってたけど、もう少し頑張ろうと思う」
次はちゃんと声を出して告げると、伊織くんが掛け布団から手を出して俺の頬を撫でる。
その手のひらがとても優しくて、心ともなく猫のようにすり寄ってしまう。
「無理してないか?」
そう尋ねる伊織くんの声は触れる手のひらから伝わる体温のように温かく、本当に俺のことを心配してくれているのがわかる。
「無理してたら、伊織くんが止めてくれる?」
「ああ、わかった。強引にでも止めるから」
「ありがとう。伊織くんも無理しないでね」
ただ支えられるだけじゃなくて、俺だって伊織くんやメンバーのことを支えたい。
そっと頬に置かれた伊織くんの手を取ると、壊れ物に触れるように両手で包みこむ。
「俺はいつだって碧を応援してる。それこそ、練習生のときからな。だから、もっとワガママも弱音も全部、俺に言ってくれ」
伊織くんの言葉の一つひとつが俺の胸の奥深くへと入っていく。
その度にじわりと両面の表面が涙で覆われていき、目の前にある伊織くんの顔が滲んでいく。
「俺だって、応援してる」
心臓が高鳴り、その衝撃を受け入れるように固く目を閉じる。
目に覆い被さった瞼に押されてこめかみに涙が流れると、目の縁に柔らかい感触が触れた。
「い、伊織くん……」
いきなりのことに驚き、目を開ける。
見てはいないけど、触れた柔らかいものの正体の見当はついているし、実際伊織くんの唇がほんのり濡れている。
「今はまだ、わからなくていい。ただ、そばにいさせてくれ」
伊織くんは今まで見た中で一番穏やかな笑みを浮かべてそう言うと、静かに目を閉じてしまった。
だからこれ以上何も言えず、俺も真似するように目を閉じてみたけど、頬に帯びた熱がなかなか引いてくれなかった。
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