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最終話 密かな英雄譚
王の最後を語り終え、勇者と聖女が私に求めた話も終わったと言っていいだろう。
逝去一週間後には勇者達が魔王を斃し、それから一か月と経たず革命が起き、民が王政を倒した。
勇者の存在が民に力を与えたのだと、多くの人は思っているだろう。
だが、事実はどうだ?
王城は、最初から明け渡される準備を終えていたし、勇者の偉業にしても王都に伝わるには早すぎた。こうなるよう誰かが“画を描き”、それが成されたのだとしたら……。
と、これ以上は蛇足だろう。
「じゃあユーリさんは……?」
素直なマクシムらしい問い掛けだった。
私はしげしげとマクシムの顔を眺める。すると彼は端正な顔立ちを歪め、難しい顔をしていた。
まあ、それも仕方ない。偉大な王の死とユーリの生存は言わば同義なのだから。
「ほら、あそこ」
そう、私は改めて一枚板の立派な王墓を指差す。だが厳密にいえば指したのは墓石ではない。
墓石の脇で住人達から供物を受け取り、丁寧に並べている青年を指したのだ。
墓地の広場に入った瞬間には視界の端にあったであろう青年の姿を見て、マクシムの視線が私の指先と青年を数回行き来している。と、その横をリュシーがルネの手を引き通り過ぎて行った。そして青年の背に向かって彼の名を呼んだ。
「ユーリ! お待たせ」
驚いた様子は少しだけで、ユーリは直ぐに笑む。
「お、なんだ、ルネも一緒か」
そしてフードを跳ねあげると日の光に赤い髪が鮮やかに踊った。
「ユーリは、組合の酒場のコックと墓守を掛け持ちしててね。この時期は大忙しなんだ。さぁ」
私は空かさず補足して、マクシムの背を押した。
マクシムの尊敬する人は、今そこにいる。
託されたものを、ユーリとして全うしようとする彼の姿だ。
進みゆく背を眺めるついでに、私は軽く手を振った。ユーリは頷いて応えてくれた。
シーマにルーシャとマーシャ。そしてシンが王墓にリリィの花を手向けに行く。
ロジェとフィンザも続く。
「リューラ。ナーシンを頼むよ」
リューラは私に同意代わりの目配せしてから、ナーシンの肩を支え王墓へと歩み寄っていった。
さて、私は私で仕事がある。
今から来る勇者と聖女以外の“客”を誘導する必要があるのだ。
今年は相当な大人数になるだろう。
と、噂をすればだ。
街を囲む城壁の名残の上に、銀糸の姫君が、ふわり、と文字通り舞い降りた。
来ることが分かっていなければ、何度だって見惚れる自信はある。
それほどに彼女は美しいのだ。
それから物音ひとつなく、城壁の上には次々と白狼の姿が集っていく。
アンを除けば、その数は丁度六十頭だ。
「すまない、みんな。少し場所を空けてくれるかい?」
そう私は住民に告げ、王墓の前に十分なスペースを確保しておく。
住民も慣れたもので、直ぐに脇へと移動してくれた。
ちなみにだが、私は白狼たちのために、場所を空けてもらったのではない。
今日は、本当に来客が多いのだ。
そして広場に影が差す。いや違うな、地面から湧き出すように上がって来たのだ。
それらは、かつて【捻じれ】と呼ばれた存在だ。
黒い溜まりから、人の形が、ぬっ、と立ち上がる。数は四十人。
それに対して住人に驚きはない。むしろ影から現れた姿に懐かしさすら覚える者もいるかもしれない。
日の光の下で、黒い人々が存在する不思議な光景だ。
ユーリやリュシーと語らっていたであろうマクシムやルネの、驚いた様子が見て取れた。
ま、彼らは事情を知らないのだから仕方ないだろう。
私だって、毎年見ているから驚きこそしないが、一年目は本当に驚いたのをよく覚えている。
そして今度は、間違いなく上空から墓地を覆うような影が差した。
「おお、シャロン様だ」
雑貨屋の老婆が聖獣王の名を口にしながら、天を仰ぎ見る。そして祈るように手を組み合わせた。
他の住人達も、一様に敬意をこめて、その姿を見上げた。
家ほど大きな聖獣王は、羽毛の如き柔らかな足運びで墓地の空いた場所に足をつける。
さぁ、これで街の住人を合わせ、全ての参列者が揃った。
すると皆の視線が一斉に王墓に向けられる。
そして王墓の後ろから隠れていたかのように白髪隻腕の美女ミスティが登場する。
……あと墓石の後ろには、“彼女”もいるのだが……。
「ほら、恥ずかしがってないで貴女も出てきたら?」
「ああ、うん。そうだね」
例年通りなら、彼女は王墓の後ろから出てこないのだが、今年は違う。
少し恥ずかし気に、赤い髪の始祖王リリウム・リリィが現れたのだ。
その瞬間、わぁ、と歓喜交じりに周囲がどよめいた。
私自身も声は幾度となく聞いてきたが、その顔を初めて見た。
初めてなのに、美しくも愛らしい始祖王リリウム・リリィに、私はどこか懐かしさを覚えている。
「ルネ、手伝ってくれるかしら?」
そうミスティは、ユーリの傍らの聖女に視線を向けた。
ルネは不思議そうに首を傾げてから、少しだけ速い歩みでミスティへと近寄り、リリィにも会釈を向けた。
師匠に会うのは久しぶりなのだろう、その顔は自然と綻んでいる。
ミスティが何も言わず片手を差し出すと、察しのいいルネらしく、ミスティの片手代わりに、その手が結ばれた。
「この世界に再び生まれ出たい者は、前に出てくれるかしら」
本屋の主の凛とした声が黒い集団に向けて告げられると、直ぐに黒い影の約半数が前へと進み出る。
そしてルネとミスティの声が揃って祝詞を紡ぐ。
「「御霊は天へ、肉体は地へ、貴方達は生の終いに着いた。安らかな眠りあらんことを」」
それは、幾度となく聞いた聖女教の祈りだ。
その瞬間、太陽光に混じって、暖かなオレンジの光が降り、そして影の彼らを包み込む。
ある者は天を見上げながら。ある者は聖職者のように祈りを捧げながら。またある者は、住人の中に家族を見つけ手を振っていた。
そして、彼らは光の中へと消えていく。神々しく厳かな光景。
言葉の通り彼らは、この世界のどこかで赤子として生まれ出るのだろう。
「ルネ。あとは任せるけれどいいかしら?」
「……勿論です」
そう白い主と聖女が笑みを交わす。
だがルネの笑みは少しだけ悲しげで、努めて笑顔を作っているのが分かる。
ただのそれだけでルネは、ミスティの意図を汲んだのだろう。
それから始祖王リリィは、王墓の墓石に手をかけ、巨大な墓石の全面が扉のように開かれた。
霧の回廊によく似ているが、違うものだと直感が告げた。
そして開かれた扉に向かい、残った影の人々は、ぞろぞろと進み征く。
最後の一人が扉の枠を潜り終わった瞬間、聖獣王シャロンの大きな影が消えた。私が振り返るとそこにはシャロンをそのまま小さくしたような、一角の白い狼が佇んでいた。
「おいで、シャロン」
そう始祖王は微笑み、友を招くように手を泳がせた。一角の狼はゆったりとリリィの傍らに進む。
そしてリリィを見上げてから、そのまま扉に入り込んで、今度は“向こう側”から“こちら側”を眺めている。
すると、それを合図にしたように白狼が次々飛び降りてきて扉の中に飛び込んでいく。
ソワサンテ・アンもまた扉の前に降り立つ。だが、彼女だけはそこで立ち止まった。
「君は、残るんだね?」
『アン、この世界、ユーリ、傍らにある』
彼女特有の音は、そうリリィに告げた。
リリィは微笑んで頷き、ユーリに視線を向けてからアンを眺め見た。
「そっか。じゃあ、この世界とユーリを頼むね」
頭では分かっていたことだが、ようやく私の心も事実を受け入れ始めた。
これは“完全な別れ”なのだと。
私は酷く呆けた顔をしていたかもしれない。そんな私の耳にミスティの声が入り込んできた。
「そうだレミ。あれは持ってきてくれたかしら?」
「あぁ、それなら彼が」
そう私は勇者マクシムを指差すと、彼も察して小脇に抱えた漆喰の箱を運んでくる。
「あの、この中身は一体……」
「勇者マクシム。知りたい? いいわ、教えてあげる。それはこの世界に残っていたすべての魔王核よ」
「魔王核……?」
「ええ。だから、この世界にもう魔王は現れない」
実は魔王が消えたその日から、深淵が消え、闇犬だったものも自我を取り戻した。
そしてミスティ達が、五年と言う歳月をかけ、天へと、次の生へと送り出してきた。
魔王が現れないという事は、すなわち【捻じれ】も現れないという事だろう。
先ほど、最後の【捻じれ】の眷属の半分は空へ、そしてもう半分は扉の向こうへと向かった。
私の中で、我慢の糸が『プツリ』と切れた。そして私は、聞きたかった言葉を放つ。
「ミスティ、……貴女も行ってしまうのですか?」
本当は、もっと他の事を聞くべきところだろう。だが、寂しさが勝り口からついて出たのだ。
すると彼女は私の知る限り、初めて驚いたような顔をした。
そして、別にそんなつもりもなかったのだが、初めて驚かすことが出来たのが不思議と誇らしかった。
「レミュール・ハーク。貴方がユーリと親友であるように、私もリリウム・リリィと親友なのだから」
彼女の瞳が『貴女には素敵な妻が二人もいるでしょう?』と、そう語った気がした。
違う。私は師として貴女を見ていたのだと、私はそれ以上の言葉は飲み込む。
結局はただの言い訳にしかならないからだ。
箱は、マクシムから始祖王リリィに手渡され、そのタイミングでミスティは私に視線を向けたままで言った。
「リリウム・リリィ。貴女も何か言ったら?」
ミスティはあえて“最後だから”という枕詞を避けたのだろう。
そして振られたリリィは、やはり照れくさそうに鼻の頭を掻き、私の顔から眼をそらすように言った。
「レミ。あのね、君は、そのよく似てるんだよ……」
「ん、と言うと誰にです?」
「レミュール・ハーク。貴方の先祖の事よ。ライル・ハークと言うのだけれど、彼ね、リリィに告白したのよ」
ミスティが差し込んだ言葉に、私は、ふっ、と思わず吹き出してしまった。
思わぬタイミングで、私が顔を合わせられなかった理由が氷解したのだ。
何故、今更そんなことを、とも思ったが、まるで年頃の少女のように照れた様子の愛らしさの残る始祖王を見て、私はその問いも飲み込んだ。
そして告白の結果は、私が王族の末席にいなかった事でも明らかだろう。
私は、一度深く息を吸い込み万感を抑え込む。そして改めて赤い髪のリリィに問いかけた。
「それで、貴女方は、これからどこへ?」
「とりあえず、みんなで新世界に行くよ」
それはピクニックにでも行くような気楽さだったから、やはり私は笑ってしまう。
彼女は自らの手で【捻じれ】と、それにまつわる全てを、この世界から別つという事に他ならないのに。
そして、それこそが、彼女が生きてきた目的だったのだろう。
私は『貴女が真魔王だったのですね』と問うのも止めた。
だから血を引く王族は、“見えない適正”を持っていたのだろうし、リリィが千年を生きていたのも辻褄が合う。
そして真魔王であるがゆえに、我々には分からないような制約の上で生きていたのだろうと勝手に理論付けた。
だが、全ては今更だ。
ミスティとリリィが扉の向こうに納まり、いよいよ別れの時が来た。
「ユーリおいで。それと希望の子らと、勇者も聖女も」
リリィは、向こう側からユーリと私たちに手招きを向けた。それから彼女は向こう側から、さらに奥を指し示す。
私も含め、招かれた全員で扉の前に立ち、少し狭いながらに覗き込む。
向こう側はただ白く、そして広く。
白狼たちと黒い姿の者たちの他に、沢山の人々がいた。
その人々は、きっとリリィの仲間であり、我々の先祖なのだ。火炎魔人や先代の勇者もいるだろう。
戦士風の男や、魔法使いや、老婆や給仕のような姿まであって、それぞれが、とてもいい顔で笑っている。
そしてその人々の中に、彼もいた。
「そこにいたのかよ、爺さん……」
そうユーリから零れた。それは嬉しそうでもあり、呆れたようでもあり。
“むこう側”にいる最後の王も“こちら”を見ながら、楽し気に笑っていた。
そんな我々の間を割って、フードの姿が扉の向こうへと飛び込んだ。
「私も、連れて行ってください」
そうリリィに縋りついたのはミカだった。
彼女が何を思いその考えに至ったのか、私には分からないが、リリィはどういう返答をするのだろう。
「いいよ」
リリィは、なんの躊躇いもなく彼女の手を握った。
ミスティが微笑み、リリィが片目を瞑ると、扉は向こう側から閉ざされる。
最後でも、やはり彼女たちは、さっぱりとしていた。
思い出という残滓だけを“こちら側”に残し、彼女らは新世界へと旅立った。
突然、強い風が墓石の広場に吹き込み、手向けられたリリィの花が盛大に舞った。
この日、新リリウム暦五年、一つ風の十九日。
一つの時代の終わりを見送り、新たな時代の始まりを迎え入れた。
やがて年老い、懐古に浸る時が来たのなら、その時もまた親友達と共に語り合おう。
リリィの花を眺めながら、我々だけの知る、色褪せることのない英雄譚を。
【勇者も聖女も追放した、嫌われ者で愚かな王様の話。】
完。
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