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第一話 酒場にて。
『カランッカランッ』
夜半に差し掛かるところでカウベルが鳴り、二人連れの男女が酒場に冷えた外気を運び込んだ。
肩に積もった雪を払いながら男の方が言った。
「リリウム王の話が聞きたいんだ」
「……王の話だって? 胸が熱くなるような勇者の話でも、心温まる聖女の話でも無くかい?」
と、私はカウンターに置かれたメニュー板を指先で叩く。
ここは酒場だ。分かるだろう? と言う意味を込めて。
二人は、カウンター席につくと、フードをかぶったまま男の方が安酒を指差し、程なく今度は女の方が言った。
「何か、お腹に入れたいのですが」
そう注文と言うより問い掛けのような、冷え切ったのか、か細く震えるような声だった。
すると今度は男の方がカウンターに銀貨を置き、
「つりはいいから。それより【リリウム・リリーユ王】の話が聞きたいんだ」
これでいいんだろう? と言わんばかりに話を強請ったのだ。
私はピカピカの銀色を懐へ入れた。
「はぁ」
そして無意識に、溜息と呼吸の間と言った風情を零していた。
「さて何処から話そうか。そうだな、じゃあ風評から始めよう。知っているなら“おさらい”だと思って聞いてくれ」
私は前置いてから、長い夜語りの序の口を始めたのだ――。
――伝説の、始祖王の子孫が聞いて呆れる。
酷い王だと、皆が言った。
子供の頃は利発な子だったのに、王になった途端に変になったのだと。
上流貴族は、王家の行く末を憂い嘆いていた。
妃を迎える事も無く、社交界の付き合いすらしない。
貴族の娘達は、良く分からない王だと囁いていた。
「何一つ楽にならねぇ」
「今年は凶作だってのに……」
民には重税を課し、政はおざなりで、愚鈍な王だと農民は頭を抱えた。
十五歳で即位の後、約十年。
王の威厳は、墜ちる所まで墜ちた。
なのに、底知らずで、まだ墜ちていく。
「王は何かしたか?」
「いや、これと言って何も?」
ここ数年、良い変化など一つも無い景気に、怠惰な王だと商人達が嘲り笑う。
「王は、夜な夜な遊びまわっているらしい」
「最近は、公務でもお見かけした事が無い」
城の広場では、剣の稽古よりも噂話の方が躍った。
騎士たちは、放蕩な王だと肩を竦めていた。
そんな悪名高い王の名は、【リリウム・リリーユ】
千年続いたリリウム王家を終わらせた最悪最後の王だ。
そんな最後の王が、最も国民を失望させた事柄がある。
「魔王が現れるって時に!」
「なんて愚かな事を!!」
呆れ、慄き、国民は人目も憚らず王を罵った。
さて、王は一体何をしたのか。
【リリウム歴千年、魔王が再び現れる】
国民なら誰でも知っている予言書の文言。
魔王再来が二年後に迫ったリリウム歴九九八年春、王は【勇者】として覚醒した十六歳の青年を追放してしまった。
そして同年、あろう事か【聖女】として覚醒した十五歳の少女までも追放してしまったのだ。
その後も有能な若者達を王国から追放。
気に入らなければ、誰でも追放する【追放王】と呼ばれるに至る。
そして迎えた運命の年。
追放された勇者達は困難に打ち勝ち魔王を討伐した。
朗報が国内を駆け巡ると、それを聞いた国民は歓喜し、そして国民も起ち上がった。
そう、革命が起きたのだ。
不名誉な二つ名を幾つも持ったリリーユ王は、敢え無く王の座から引き摺り下ろされた。
最後は、自分が“追放”されたと言う訳だ。
最後にたった一つだけ、民は王を称賛した。
それは何か?
城から兵を下げ、潔く王座を退いた事だ。
おかげで、革命では誰一人の血も流れ無かった。
王は臆病なだけだと言う者もいたが、
『そんな事、平和に終わったのだからどうでもいいじゃないか』
と、言う者もいた。
まあ、そんな話も直ぐに消えたがね。
そして気が付けば、王も何処かへ消えていた。
こうしてリリウム王国は、リリウム共和国と名を変えた。
民主政治の時代が始まったわけだ――。
――おさらいは、こんな所だ。
時代が変わって五年。
丁度その頃、私もここのマスターになった。
此処は、街の食堂兼酒場。二階には宿もある。
「あがったよ」
厨房のコックの声を合図に、私は小窓から出された料理をカウンターへと運ぶ。
「山鳥の煮込みだよ。柑橘のソースは酸味が強いから好みでかけてくれ」
私は大きな器に盛られた煮込み料理を置いた後、取り皿の上にナイフとフォークを二組乗せた。
評判の料理だ。
大きな鳥のもも肉は、ハーブとブラウンソースで煮込まれ、軽く押すだけで解けるほど柔らかい。
柑橘のソースや野菜の酢漬けと、混ぜたりパンに挟んだりと、色んな食べ方ができる。
この料理を目当てに来る客もいるが、今夜はカウンターに二人だけだ。
朝方になれば朝食を求めて街の住人がやって来るが、この時期は決まって客が少ないのだ。
まあ、雪深いせいもあるが……。
この雪深い都市の名は、【古都ルクルカ】
伝説の英雄を多く輩出したこの土地は、英雄たちを支えた最後の女王に因んで名づけられた。
千年以上前の“昔話”だ。
「建国祭には行かないのかい?」
カウンターの二人がフォークを置いたところで、私は問いかけた。
そして客の少ない本当の理由がそこにある。
【一つ風の十八日】五年前の今日、リリウム共和国が誕生した。
王都だった【ガダ】では、新年の祝いと共に、毎年恒例の建国祭が開かれ、多くの観光客が訪れる。
したがって此方は閑古鳥が鳴くと言う訳だ。
「賑やかな場所は苦手なんです」
女の方が、鈴を転がす様な声で言った。
その間、男の方は天井か、あるいは手前の虚空に目をやっていた。
そして一呼吸程の間を挟んでから、
「貴方は詳しいのだろう? それに“物知り”だと聞いたんだ」
と、問いかけには似つかわしくない、睨むような視線で私を見ていた。
抑えてる心算なんだろうが、視線からの圧が痛い。
「はぁ。誰に聞いたんだか……」
私はワインボトルを傾け、二人の杯に順に注いだ。
そしてカウンターの内側から私専用の木製マグを取り出しワインを注いだ。
窓の外では深々と雪が降り、昨日を覆い隠していく。
私は窓の外を一瞥の後、溜息に近い息を吐いた。
私は木製マグを二人に掲げ、告げた。
「言ったろう? “おさらい”だって。雪の夜は長いんだ。……じゃあ始めようか」
【勇者も聖女も追放した、嫌われ者で愚かな王様の話】を――。
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