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第二話 赤い髪の王
リリーユ王が戴冠する半年ほど前の事だ。
当時の王の名は、アトレイ。
齢七十を過ぎ、跡継ぎがいなかったアトレイ王は、王族に連なる支族から次なる王を選ぶと号令を発した。
かくして“選王の儀”が執り行われる事となった。
次王候補の中から王自らが選ぶと言うこの選王の儀、条件は男女問わず“血族”である事と“若い”ということ。
具体的に言えば、一般的語学力を有した二十歳までの若者という条件だった。
そして条件に合致した王の血族は五名。
北の【ブレスト地方】から三名。
王都からほど近い、【バヤン港都】から一名。
そして【古都ルクルカ】から一名。
しかし、直ぐにブレスト地方から二名が辞退。
結果、王は三名の中から選ばれる事となった。
そして号令から半年経った春の日、候補者の三名は王城へと呼び寄せられた。
ブレスト地方から来た【フーリス】は十九歳。
大柄で逞しく、見目良く最有力と目されていた。
次に、バヤン港都から来た【ミカ】は十七歳。
魔術に長け、赤茶けた長い髪が特徴的な、これまた美形の娘だった。
最後に、古都ルクルカから来た【リリーユ】は十五歳。
小柄で目つきが悪く、王にするにはあまりに貧相だと思われていた。
何より一番問題視されたのは【魔抜け】という事だ。
【魔抜け】とは、生まれながらにして、魔力を持たない者の事だ。
これは、全人口の約一割以下で、年々減少傾向にある稀有な存在だ。
王族が、しかも王に成る者がマヌケとは、さすがに体裁が悪いだろう。
誰もがリリーユに王の見込みはないと、そう断言した。
しかし大方の予想は、いともたやすく覆される。
アトレイ王は、三人の肩を順に叩き、事も有ろうかリリーユを選んだのだ。
側近たちは直ぐに異議を申し立てたが、王は異議を全て退けた。
三人の中で、リリーユが選ばれた理由は何だったのか。
燃える様な赤い髪をしていた【始祖王リリィ】に肖り、王族は赤い装飾で髪を彩る風習があった。
フーリスは、黒髪を赤いサークレットで飾り、ミカは自慢の赤茶髪を、深紅の羽飾りで飾っていた。
しかし、リリーユだけは赤い装飾で髪を飾ってはいなかった。
何故なら、リリーユは産まれながらに、燃えるような赤い髪をしていたからだ。
王は恐らく特別視したのだろう。
風習としてしか残っていなかった赤い髪の伝説を、長らく生まれる事の無かった赤い髪、リリーユの赤い髪を。
【選王の儀】の行われたその日の内に、【戴冠の儀】も行われた。
こうして最悪の王と呼ばれたリリーユ王が誕生したのだ。
――さて、王になったリリーユは、玉座に着くなり最初の命を発した。
なんと、リリーユの王位継承に反対した側近たち四名の解任を言い渡し、王都からの即刻退去を命じたのだ。
事実上の追放である。
勿論、追放を言い渡された側近たちは謝罪し、あるいは激怒し、処分を取り消すよう願い出たが、王は聞く耳を持たなかった。
此れには他の側近も面食らったが、明日は我が身、庇い出る者も異論を挟む者も直ぐに居なくなった。
――暫くして血生臭い事件が起きた。
追放された側近四名が、王都外れの水路で死体となって発見されたのだ。
この時、証拠は何もなかったが、側近の多くがリリーユ王の仕業と疑った。
結果、他の側近はさらに口を堅く閉ざし、【選王の儀】で敗れたフーリス、ミカの両名も、用意された側近の座を辞退。
早々に王都を去った。
――側近が減れば、埋める必要がある。
リリーユ王は、故郷である【古都ルクルカ】から、都長補佐をしていた【ビルク】を呼びよせ、大臣の座に据えた。
このビルクという男、年齢は七十半ばで束ねた白髪。
早くに両親を亡くしたリリーユの育ての親に当たる人物だ。
地方の都長補佐から国の大臣。異例の大出世だ。
現側近たちは快くは思っていなかっただろう。
だが内心はさて置き、命と地位が取られては堪らないと、誰一人として口に出すものはいなかった。
王に近すぎる側近はさて置き、少し離れた地位の貴族などは、
『ビルクが裏で王を操っているのではないか?』
などと、大胆に噂する者もいた。
噂はどうあれ、ビルクは人当たりも良く、とても仕事のできる男だった。
何よりリリーユ王との間に入ってくれる唯一の人物だった為、側近たちは直ぐに彼を頼るようになった。
――その後もリリーユ王は、【古都ルクルカ】からの人材を何人も重用した。
戦士の才に恵まれた少女リュシー。
茶髪でボーイッシュな彼女は側近の地位、戦士長に置かれた。
魔法の才に秀でた少年ロジェ。
生来の白髪の彼を、同じく側近の地位、魔術師長に任命。
――数年間は驚く程何もなかった。
それから即位五年目の春先の事、体調を崩し、長く臥せっていた前王アトレイが亡くなった。
前王の葬送は王族と側近のみで執り行われた。
それは王族に似つかわしくない程しめやかなものだった。
そして王族の喪は三か月が普通の所、リリーユ王は『七日間喪に服すよう』国民に通達したのだ。
良くは無かったリリーユ王の評判が、目に見えて落ち始めたのはこの辺りからだ。
喪が明けた八日目、玉座からリリーユ王が言った。
「税を二割上げろ」
大臣ビルク以外の、整列する側近たち全員がギョッとした。
勿論、異を唱える声は無い。
と、思われたその時だった。
「陛下、ど、どうか、お待ちください」
おずおずと末席の若者が手を挙げたのだ。
その若者の近くにいた上役の財務長は慌てて、
「おい、馬鹿者、やめないか!」
と、自分に責を向けられては堪らないと、若者に叱り口調で言った。
「いい、言え」
と、王の声が響いた。
「早く、陛下にお詫びして、撤回し、……へ?」
財務長は困惑した。
若者の襟首をつかみかけた手が宙で止まっている。
若者は、財務長の手を両手で握り、そっと腰の位置に下ろしてからリリーユ王の前に進み出た。
そして片膝を付いた。
「恐れながら、南方は豊作ですので問題ございませんが、他の地域が凶作に見舞われております。全体的に見ましても、二割相当は無理と存じます」
「ほう、お前は全土の状況を把握しているのか?」
「はっ、大体のところは」
リリーユ王は僅かに口の端を持ち上げた。
そして今度は緩慢な動きで汗びっしょりの男を指差した。
「では財務長、お前はどうだ? 南方都市ユルドの作物はどうだ?」
「ユ、ユルドは、確か、凶作でございましたでしょうか……」
と、財務長の目は泳いでいた。
南方は豊作と今聞いたばかりだったのに、相当テンパっていたのだろう。
「お前、名前は?」
王は、矛先を若者に変えて言った。
「レミュール・ハークに御座います」
「ハーク? ブレスト地方の、賢者を輩出してきた名家だな。よし、レミュール答えろ」
「は、ユルドは、前年が凶作でしたが、今年は五割増しで豊作となりました。産業も順調で、税収も申し分ないかと」
レミュール・ハークは、先程とは打って変わり、自信満々で告げた。
すると、王は視線だけを大臣ビルクに向ける。
「レミュール・ハークの申す通りに御座います」
と、大臣ビルクは、察したように小さく頷いて応えた。
「ふむ。分かった。レミュール・ハークよ、大臣補佐に任ずる。今日中に可能な数字をまとめて、俺の所に持ってこい。いいな?」
王は玉座から立ち上がった。まさに鶴の一声だった。
それを聞いたレミュールは、挙動不審になりながら、
「ぎょ、御意のとおりに」
と、深く頭を垂れた。
王が玉座の間を去っていく途中、玉座と扉の中間で王は足を止めた。
「財務長?」
「は、はい!」
「お前も、励めよ?」
と残し、王は笑って出て行った。
そして財務長は、滝のような汗を流しながら、その場にへたり込んだ。
財務長の反応も仕方ない。
リリーユ王の圧は、二十歳そこそこの若造のそれとは明らかに違ったのだ。
その日、レミュールはリミットの今日中をいっぱいで使い、出来得る限りの資料を纏めた。
そして日付が変わる前にと、王の間に急いだ。
衛兵には話が通っていて、レミュールはすんなりと王の間に繋がる廊下に出た。
走らない程度に急ぎ足で向かうレミュール。
突然、王の間の方から、
『ドンッ』
と、大きな物音が聞こえた。
レミュールは首を傾げ、王の間の扉の前に立った。
すると、僅かに扉が開いている。
レミュールは、何の気なしにその扉の隙間を覗いた。
部屋は蝋燭が少なく薄暗かった。
その角度から見える王は、窓際に立っていた。
「陛下、レミュール・ハーク参りました」
「あぁ、入れ」
「は、失礼します……。なっ」
レミュールは、扉を開き、体を滑り込ませた所で目を見開いた。
王は、見慣れない形状の、片刃の剣を握って立っていて、足元にはメイドが倒れていた。
事切れているのが明らかな程、夥しい血が流れている。
「これは、一体……」
レミュールが、震え声を吐いた瞬間だった。
王の燃えるような赤い髪が揺らめき、白銀が翻った。
そして瞬く間もなくレミュールの首筋に、刃が食い込む手前で添えられた。
「お前は、どっちだ?」
そう言い、鋭い視線がレミュールを凍らせた。
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