親友が「旦那ちょうだい」と言った

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「死ねばいいのにって思うこともあるくらい、腹が立つのよ」 「あら?じゃあ、私がもらってもいいわよね?」  え?  目の前には、高校のころからの親友の隆子。  二十代で会社を立ち上げ、今では年商何億の会社の女社長だ。  バリバリのキャリアウーマン。とても四十歳には見えないスタイルと容姿。生き生きと仕事の話をする隆子。だ。  旦那の愚痴しかでてこない平凡なパート主婦の私とは大違いだ。  自慢の親友の口から、思いもよらぬ言葉が飛び出した。 「もらうって、うちの旦那を?」 「死ねばいいって思ってるんでしょう?だったら、死んだと思えばいいじゃない。目の前から消えればすっきりするでしょう?」  何を言っているんだろう。  隆子は、私の旦那のことが好きだったの?  腹が出て、加齢臭もし始めたアラフィフ間近のおっさんだよ。  美人で、性格もいい隆子が四十になるまで独身だったのは、まさか私の旦那のことが好きだったから?  いろいろな思いが頭の中で渦巻いて、言葉が出てこない。 「そうだ、ヒロちゃん言ってたよね?旦那が死ぬと、保険金が入って、ローンの残債がなくなるって。いくら?死んだことにするんだもん。その分のお金はいるでしょ?ちゃんと支払うよ」 「本気?」 「ほ、ん、き。」  隆子がにこっと笑った。真っ赤な口紅がテロリと光る。 「いつもさ、ヒロちゃんの話聞いてて、私への当てつけかなぁと思ってたんだよね」 「え?」  何を言っているの? 「子供が反抗期で困るって言ってたじゃない?」  確かに言ったけれど……。 「それって、子供がいない私への当てつけかなぁって」 「違う、そんなつもりじゃ……」  隆子は、私に娘が生まれたときは自分のことのように喜んでくれた。  出産祝いだよって、会社を立ち上げたばかりで金銭的に大変だっただろうに、いっぱいベビー服を贈ってくれた。  忙しい中、娘の顔を見に何度も来てくれた。  歩けるようになった娘の動画を嬉しそうに何度も撮ってた。  全部嘘?違うよね。  だって、子供って好かれているか、嫌われているか見抜くよね?  会社が軌道にのり、忙しくなっても娘を抱きしめに来てくれたよね。  娘が小学校に上がってからも、年に数回は一緒に遊んでたのに。  いつから、隆子はそんなことを思うようになっていたの?  全然気が付かなかった。  隆子は、娘を姪っ子のようにかわいがってくれているんだって思ってた。  だから、何も考えずに写真を送ったりしてたけど。  そういえば「私も子供ほしいなぁ」と隆子は言っていたかもしれない。  年齢が上がるにつれて、子供の話題を出されるのが辛くなってきたのかもしれない。  当てつけのつもりなんてなかった。  だけど、気が付かずに傷つけてたんだ。私が悪いね。  十五で出会って、今年で二十五年。二十五年も親友やってて、隆子の変化に気が付かずに自分の愚痴ばかり。  だって、私は隆子は幸せなんだと思っていた。  会社が売り上げを伸ばし、海外にまで商談に出かけ、マンションを購入し、高級車を複数所有する。  あこがれて、うらやましく思って、だから、隆子は幸せなんだと……。  私の話に傷つくことなんて考えもしなかった。 「隆子、ごめんね、私無神経だったね。隆子の気持ちとか考えてなくて、ただ愚痴を言っているつもりで……」 「うん分かってるよ。さっきも旦那さんの愚痴を言っていたよね?熱が出てふらふらしてるのに、ご飯は?って言われて死ねばいいのにって思ったんでしょう?」  隆子の表情が、ずっと変わらない。  まるで能面みたいだ。  どうしちゃったの?  疲れているのかな。  改めて隆子の顔を見ると、少しやせたような気がする。顔色も悪い? 「ひどい旦那よねぇ。自分でレトルトカレーでも食べればいいのに。熱のあるヒロちゃんの心配をするどころか、食事の用意をさせようなんて」  ぞわり。  いつもの隆子じゃない。表情が動かない。 「そんなひどい旦那いらないでしょ?いない方がヒロちゃんも幸せでしょう?」  笑ってる。  隆子の口元だけが笑っている。 「だから、私がもらってあげる。人生で一度くらい結婚してみたいなぁって思っていたし」 「隆子なら、うちのろくでなし旦那なんかより、もっといい人いっぱいいるよ!」  隆子が、綺麗にくるりと毛先を巻いた髪を指でつまんでひねった。 「ねぇ、知ってる?四十歳独身女子の価値ってね、×がついていた方が上なんだって。子供がいればなお価値は上がる。四十歳だとね、初産より経産婦の方が出産の可能性が高いから。だから、ヒロちゃんなら、私よりももっといい人見つけられるよ」  ずっと隆子がそんなことを思って私と会っていたとは思えない。  もしかしたら、働きすぎてうつ病になってしまったの?どこかおかしい。 「あ、はは、無理だよ、隆子みたいに私はきれいじゃないし、子供産んでから十キロ以上太ったし……」  あっ、 子供を産んでからなんて、今の隆子には嫌味に聞こえる言葉なのかもしれない。  私は、単なる事実を言っただけで、本気で綺麗でスタイルのいい隆子がうらやましいし、十キロ以上太った自分を醜いとも感じている。  何気ない一言が、傷つけてた?  そんな、だって……。  何年か前に笑ってたよね? 「産後太りから、戻らないままだよ」 「あはは、産後太りじゃなくて、産後戻りじゃない?高校二年のころって、ヒロちゃんこんな感じだったよ。また頑張ってダイエットしたらいいよ」」  あの時は……。 「せっかく子供が幼稚園通いだしてゆっくりランチできるようになったのに、ランチを我慢するのは無理」  って答えたんだ。  子供が幼稚園に通いだしたということは、まだ三十歳と少しの年齢だった。  隆子だって、きっとこれから結婚して子供を産んでと、そう信じられた時だ。  いつから、隆子は子供の話題が苦痛に感じていたの? 「隆子……」  言葉が見つからない。  目の前には二十五年の付き合いの親友。 初恋も歴代の恋人も初体験も……好きな食べ物も、嫌いな虫も、全部お互いに知ってる仲なのに……。  今、目の前にいる隆子が何を考えているのか分からない。  いっぱい言い争いもしたし、喧嘩もした。  無表情はやだよ、隆子。  私の言葉に傷ついたって、怒ったり泣いたりしてよ。 「流石に、旦那さんの意思を無視するわけにはいかないわね。一度会って本人の意思を確認するわ。それで同意を得られれば問題ないでしょう?」  問題ない?問題だらけだよっ!  隆子が伝票の上に、648円置いて去っていった。  いくら隆子がお金持ちになったからって、いつまでも対等でいるために、奢ったりおごられたりはしない。  いつもきっちり割り勘。  そして、ランチする店は、私の財布でも何とかなるお店をチョイスしてくれる。  いつも通りなのに、隆子だけがいつも通りじゃない。 3日経ち、隆子から会おうと連絡があった。 「同意が得られたわ。ふふ。ヒロちゃんは、これで死んでほしい旦那の顔を見なくて済むようになるね」  旦那が同意したと言う言葉に、さして驚きはしなかった。  もう、私たちは冷めきっている。  会えば喧嘩。子供の前で喧嘩しないようにと、顔を合わせないようにしている。  平日、旦那はご飯を食べるとすぐに部屋にこもっている。旦那が一日家にいる土日に、私はパートを入れている。 「じゃぁ、これ」  隆子が旦那の署名と印の押してある離婚届を取り出した時には、流石に驚いた。  もしかして、もっと前から旦那と隆子はできていたの?ありえないと思いつつ疑念が頭をもたげる。 「私、略奪婚ってことになるんだよね。だったら、ヒロちゃんには保険金相当額とローン残債額に加えて、慰謝料も払わなくちゃいけないね。あ、あと、ちゃんと養育費も毎月入るようにするからね」  口調は楽しそうだけれど、話している内容は常軌を逸している。  相変わらずの無表情だ。やはり、精神のどこかが壊れているようにしか思えない。 「知ってるでしょう?私、お金はいっぱい持っているから。それくらいのお金なら何とかなるわよ。生活費は私が出すから、旦那……じゃない、ヒロちゃんの元旦那の給料は全部養育費として渡すからね。そうすれば、ヒロちゃんはもうパートに出なくてもよくなるでしょ?ほら、言ってたじゃない。そろそろ親の介護のことも考えないといけないとか。パートに行きながら介護は無理だって」  隆子の言葉に、ぎゅぅっと心臓をつかまれた。  私にとっては、将来の不安を話していただけだ。だが、すでに両親とも他界している隆子にとっては……。もしかすると親の話も当てつけに聞こえていたのだろうか。 「一人っ子だから、こういうとき兄弟がいたらよかったのになぁって思う」  って言葉も……、どんな気持ちで隆子は聞いていたのだろう。金の無心をする兄と縁を切ったと言っていた隆子。  私の無意識の言葉の暴力が、少しずつ隆子を追い詰めてしまったんだろうか。 「ヒロちゃん、ほら、書いて。ハンコはいつも持ち歩いてたよね」  離婚届を前に、動かない私に隆子が声をかける。 「もしかして、子供から父親を引き離すことを心配してる?大丈夫。今まで通り会えるようにするし、離婚したこと子供に黙ってればいいじゃない。私も言わないし。あ、もし就職とか結婚とかで、片親だと不利になるというようなことを心配してるなら大丈夫よ。ちゃんと考えているから」  異常だ。  旦那には、離婚という言葉が頭をよぎった。  仕事はまじめに行っている。休みの日に子供を遊びに連れて行っている。ゴミ出しをしてくれる。  それだけで「いい旦那さんねぇ。子供の面倒を見てくれて」だの「家事も手伝ってくれていいわねぇ」と言われる。  わざわざ外から見えることだけ選んでしているとしか思えない。  娘が高熱を出して大変な時に、友達と飲みに出かける男の、どこがいい旦那だ!  一日娘を旦那にお願いしたとき、ゲームに熱中して娘にご飯を食べさせるのを忘れたことがあった。子供は低血糖になり入院した。まさか、一食、二食抜いたくらいでそんなことになると思わなかったと言い訳ばかりの旦那にあきれた。子供に万が一があれば、殺してやろうと思った。  だが不思議なことに本気で離婚までする気などなかった。  けれど、隆子に差し出されたペンをとり、名前を書いた。旦那が離婚しようと言うのを引き留めるようなことはプライドが許さなかった。もしかして、これも隆子の思う壺なのかもと一瞬頭をよぎる。  鞄から印鑑を取り出し、手を止める。  能面のような隆子の顔を見て尋ねた。「ねぇ、隆子、私のこと好き?」  無表情だった隆子の目が笑った。  ああ、私の大切な親友の優しい目だ。  私は、判を押した。  隆子を見たのがそれが最後だった。  次の日、一言の会話もないまま旦那は荷物を残して家を出た。娘には長期出張へ出ると言ったようだ。  ほどなくして、私と娘の通帳にすごい額のお金が振り込まれていた。  お金の心配はなくなったけれど、パートはしばらくは続けることにした。 「ママ、ごみ箱いっぱいだよ。ちゃんと捨ててよね!パパならこんなことないのに」  娘の言葉に小さいため息が漏れる。  次の週末、娘が熱を出した。パートには休みの連絡を入れた。  あれほど、いなければいいと思っていたけれど……。  週に4度のごみ捨て。電球の付け替え。網戸の張替え。それから、娘との買い物。  文句も言わずに続けていたから、やってもらっていることを忘れていた。  私は、ありがとうと言っていただろうか?    二か月後、元旦那が戻ってきた。  小さな包みを抱えて戻ってきた。 「何、それ?」  何しに来たのかと問うよりも前に、旦那の抱える包みのことが気になった。  だって、それ……どう見ても……。 「昨日、葬式を終えたよ」  葬式?  誰の?  その胸元にあるのは、骨壺を入れる包みだよね?なんで、そんなものを抱えて来るの? 「癌だったんだ。もう、末期で助かる見込みもなかった」  癌?  誰が? 「相談されたんだよ。両親も亡くなっていて、子供もいない。親戚もいないから、死んでも喪主を務めてくれる人はいないと。唯一血のつながりのあるのは縁を切った兄だけ。だが、その兄は死を悼むどころか財産が手に入ると喜ぶだろうと。だから喪主になってくれと……」  隆子が癌?  隆子が死んだの?  喪主が必要だったから、結婚したかったの?  私が、喪主するのに。ああ、でも違うのかな、親友っていう立場では喪主になれないのかな。親族じゃないと……。  だから、結婚する必要があったの?  だったら、言ってくれればよかったのに。なんで、隆子はあんな言い方をして、悪者みたいにふるまったの?  ヒロちゃんへ  ごめんね。いろいろ驚いたよね。  私ね、死んじゃうみたいなんだ。癌なんだって。若いから進行が早くてもう手遅れだったって。  笑えるよね。世間的にはもう若くないのに、病気の時はまだ若いとか。    旦那を略奪してごめんね。  喪主が欲しかったし、一人で死ぬのは怖かったの。それから……ヒロちゃんの話ができる相手がよかったんだ。  毎日、ヒロちゃんの話ができて幸せだよ。    きっと、なんで相談してくれなかったのかって思ってるよね?  私にはろくでもない兄が一人いるだけで、ほぼ天涯孤独でしょ?  稼いだお金、兄にだけは1円も渡したくないの。借金を両親に肩代わりさせ、保険金で支払えばいいだろうと父親に刃物を向けた兄。許せなかった。どれだけ両親が無理をしたか。  会社はすでに売却した。  所有しているマンションや車は「主人の名義」に変更した。  そして、略奪妻として、多額の慰謝料を支払って、もうすっからかんよ。  どこでかぎつけたか知らないけれど、兄が私の病気を知って探偵を雇っていたから……。  本当に略奪するしかなかったの。  ごめんね。辛い思いをさせちゃったよね。  ……本当言うとね、死ぬのが怖くてヒロちゃんにそばにいて欲しかった。  娘ちゃんのことは、姪どころか半分自分の子供だと思ってた。もっと会いたかった。  お金が入るようになってね、周りの人はみんな変わっちゃった。  変わらなかったのは、ヒロちゃんだけだった。  時々私自身も、調子に乗って悪いほうに変わりそうになったんだよ。だけど、ヒロちゃんと会って、昔の話とかすると自分を取り戻せた。  両親が亡くなってからは、私のことを心配してくれるのも、叱ってくれるのもヒロちゃんだけだった。  ヒロちゃんのこと大好きだよ。  ずっとずっと親友でいてくれてありがとう!
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