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04.
それは店をオープンして、一か月後の事だった。
店の明かりを消して、しっかりと戸締りをして店を出ると……。
「──あれ?」
店の前に置いてあるベンチに座る、例の、彼の姿があった。
彼は毎日、決まって店を閉める頃に、俺の作った菓子を買いに来ていた。
勿論、今日だってそうだ。
彼が座る横には、食べ終わって空になったのだろう、菓子が入っていた箱がある。
「どうしたんですか?こんな時間に……」
「あ……佐藤、さん」
あ、初めて名前を呼ばれたかも。
いや、今はそんな事よりも──だ。
「何か、あったんですか?」
「……どうして、そう思うんです?」
「だって、なんか暗い顔してる」
「っ──!」
俺の言葉に驚いたらしく、彼は目をパチパチと瞬かせている。
そう──この一か月で、俺は彼の無表情が、そうでもない事に気づいた。
ほんの僅かな違いだが、彼にはちゃんと表情があったのだ。
例えば、翼の質問攻めにあっている時は、少しだけ困り眉になっていたり。
例えば、シュークリームが売り切れだった時は、少し肩を落としたり。
例えば、俺が試作品だと言って菓子をオマケした時は、口の端が少しだけ上がっていたり。
そんなほんの僅かな違いに、いつからだったか気づくようになったのだ。
「俺でよければ、話しくらい聞きますよ?」
「……だが、友人でも無いのに、そんな──」
「じゃあ、今から俺と友達になりましょう」
「……え?」
あの日、試食会の日からずっと、彼に興味があった。
それが何故なのかは、分からないけど──彼の気持ちを、少しでも晴らしてやれるのなら。
「俺の名前は、佐藤。佐藤英輔」
「……?」
「ほら!名乗ってくれないと、鉄仮面の人のままですよ?」
「……──武藤、だ。武藤春一(むとうしゅんいち)……季節の春に、数字の一で、春一」
「じゃあ、春ちゃんで」
「しゅ、春ちゃん……っ!?」
「あだ名で呼んだ方が、友達っぽいでしょ?あと、敬語も無しの方が、より……ね?」
「そ、そういうもの、なの、か……?」
鉄仮面の人──改め、春ちゃんは不思議そうにしている。
(まあ表情の方は、相変わらずなわけだけど)
「──で、春ちゃん。何があったの?」
「………」
暫く口を開かないようにしていたが、やがて観念したのか、春ちゃんはポツリと話し出す。
「……俺は、とある会社の、社長の息子なんだが……」
「うんうん」
内心では「え!?」と驚きつつ、真面目に春ちゃんの話しを聞く。
「俺は、次期社長候補の一人なんだが……俺には、よく出来る双子の弟が居て。兄である身としては、会社を継ぎたいと思って、頑張ってはいるが……弟の方が、俺よりも会社経営の才能はあるんだ」
「なるほど……弟くんが才能の人なら、春ちゃんは努力の人ってわけか」
「……そうだな」
「弟くんは、会社を継ぎたいと思ってるの?」
「いや……たぶん、俺が継ぐのが当たり前だと、思っている」
「そっかぁー……」
「そんな中、父が──社長が、そろそろ俺たちのどちらかに、会社を継いでもらうと、皆の前で宣言したらしい」
「もしかして、それが今日の事?」
「ああ……先程、電話で秘書から聞いた話しだ」
「……なるほど、ね」
次期社長候補は双子である、二人の社長の息子。
順当にいけば会社を継ぐのは春ちゃんだけど、弟くんの方が可能性は高い──と、春ちゃんは思っているわけか。
「──すまない。こんな話しを、してしまって……」
「言ったでしょ?もう友達だって。友人相手なんだから、気兼ねなく話してよ」
「そうは言っても……」
「じゃあ、気落ちしている春ちゃんに、特別!」
はい。と、俺はポケットから小袋を取り出して、春ちゃんに渡す。
「これは……?」
「余った材料で作った、俺お手製の砂糖菓子」
俺が渡した袋を開けて、中身を一つ取り出すと、それを口の中へと運ぶ。
「……甘い、な」
「あっ、少し元気になった」
「甘い物は、好きだからな……」
「じゃあ、明日も店で待ってるよ。春ちゃんの事」
ふふっと笑みをこぼすと、春ちゃんは何処か少し照れた様子で、俺から顔を逸らしてしまうのだった。
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