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「……あんまりいいエアコンがないわね」
しばらく無言の時間が続いた後、妻が突然そんなことを言い出した。
壁に並ぶエアコンたちには目もくれず、俯いてじっと床を見つめたまま彼女は続ける。
「私暑がりだから温度は低いほうがいいけど、寒がりだから風量は抑えてほしい」
「結構前から知ってる」
「それに案外怖がりで寂しがりだから、できるだけそばで手を繋いでてほしい」
「結婚前から知ってる」
そう言って僕の存在を知らしめるように、繋ぐ手に力を込めた。
しかし、それだけじゃ彼女には物足りないかもしれないと思い直す。
「……君のハードルは高すぎるんだよ」
繋いだ手を開いて、指と指を絡ませる。それからまた強く握り直した。
簡単には離れないように。簡単には薄れないように。
今日を忘れるくらいの思い出を、これからも二人で作っていけるように。
「僕くらいのエアコンじゃなきゃ越えられないね」
妻が顔を上げた。目が合う。
それと同時にずらりと展示されたエアコンが眠りから目覚めたように一斉にライトを灯した。激しい駆動音を唸らせながら、大きく開いた口から大量の冷風を吐き出す。
僕たちの間を風が勢いよく流れ、彼女の前髪が涼やかに揺れる。
「……ふーん。結構賢いのね、AIって」
耳の先を朱く染めた妻はくるりと前を向き、そのまま早足で歩きだした。
僕は繋いだ手に引っ張られるように歩を進める。ぎゅっと握られた手は離れる気配はない。
数歩進んだ先で、風を纏う後姿がぼそっと小さな声で呟いた。
「大好き」
「なにか言った?」
「いいえなにも」
(了)
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