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「だからびっくりしたよ。君のほうからエアコンを見に行こうって言い出すなんて」  彼女にとってエアコン売り場は楽しい場所じゃない。むしろトラウマだらけの近づきたくもない場所のはずだ。  同棲を機にあのときの店からは遠く離れた場所に引っ越したけれど、その程度で治るような傷ではないだろう。  現に今も、彼女は僕の手を離そうとしない。 「ごめんなさい」  妻はくるりと振り返って頭を下げた。白いつむじがこちらを向く。 「エアコンを探してるっていうのは嘘なの」 「そうだったんだ」 「人のボケにツッコんだりスベったときにフォローしたり、ちょっと小腹が空いたときにそっとあたたかいお茶漬けを出してくれるエアコンなんて本当にあると思う?」 「お母さん設定が増えてる」  エアコンにそんな気の利いたことはできない。それを為すのはAIではなく愛だ。 「正直、信じてなかった。もうきっとあの日のことなんか憶えてないって思ってた」  だから思い出して欲しかったの。妻はそう言ってからもう一度謝った。  別に怒ってはいない。むしろ彼女の信用を取り戻せてほっとしているくらいだ。  でも、気にはなった。 「なんでそんなこと」 「幸せだから」  彼女は簡潔に答える。 「今がとっても幸せで、それが薄れていくのがとっても怖いから」  そう言って僕の存在を確かめるように、繋ぐ手に力を込めた。
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