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小説を書き始めると世界はまるで時計の中に閉じ込められたように静まり返る。 今日も俺はいつものカフェで筆を走らせる。 いや、正確にいえばキーボードをパチパチと弾いている。 今日は珍しく進みがいい。 定員が閉店の知らせを雰囲気で伝えてくるまで外が真っ暗なことにも気付かなかった。 外に出ると雨上がりの後の湿気が体にまとわりつく。 晴れるはずだったのに。 そう思いながら家路を急ぐ。 アパートの階段を上がりきったところで彼の姿を見つけるまではマシだった。 彼は無言のまま俺に近づいてくる。 「また鍵無くしたのかよ。」 「帰りが遅いな。何してた?」 「仕事に決まってるだろ。」 ドアを開けて電気を点けると彼が後ろから抱きついてきた。 「香水くさっ。」 「スナックの新しいママ。」 「美人?」 「まあまあ。」 「でも香水臭いのは勘弁だな。」 彼を払いのけて俺はキッチンで洗い物を始める。 彼は相根洸一。 同じ歳。 俺たちの関係は、なんていうか。 恋人ともセフレとも友達とも言いにくい関係だ。 同居して5年になる。 が、俺は彼のことをあまり知らない。 彼も俺のことを知らない。 でも何が好きで何が嫌いかは分かるし、顔を見れば何を考えてるか分かる。 俺たちが同居を始めたのはただ金がなかったからだった。 出逢ったのは7年前、銀行だった。 あの日俺たちは銀行強盗に監禁され人質になった。 彼は俺の隣で事もあろうに寝始めた。 解放された時も寝ぼけてたし。 後で聞くと徹夜明けでボロボロだったらしい。 それからしばらくして、また別の場所で彼と再会した。 それが俺の行きつけのゲイバーだった。 お互い別のパートナーといたけど、早く別れたいと思ってた。 だから協力しあった。 が、別れた後行き場がなくて彼はうちに転がり込んできたというわけだ。 もう5年。 いつか家を見つけて出ていくと思ってたのに。 彼は大層この家を気に入っている。 そして多分、俺の体も。 それは俺も同意する。 彼とは相性がいい。 しっくりくる。 今まで何人もの男たちと寝てきたが正直一度も気持ちいいと思ったことがなかった。 ただ相手が気持ちよくなるために使われてるような気がしてた。 でも彼は違った。 自分を犠牲にしなくていいセックスは気持ちがいいんだと初めて知った。 だけど、そこに気持ちがあるのか?と聞かれるとさっぱりわからない。 興味もなかった。 それは俺が捨てられた子供で親からの愛を知らないからかもしれない。 人から受ける優しさや思いやりに感謝するとき、どこか形だけになってしまう。 いつか心から思えるときがくるんだろうか? この人がいてくれて良かった、とか。 彼は彼でよくうなされている。 そういう時、そっと頭を撫でると止む。 脛に傷を持つ同士だから分かり合えるのか、もしくは堕落してるだけなのか。 ただ、彼と出会ってから俺は余計なことを考えず執筆に集中できるようになった。 もしかして幸運の女神? 女神というより巨人だけど。 あんな出会い方しなければ絶対に関わらなかっただろうな。 顔怖いし。 時々、彼の身体から海の匂いがするからもしかするとアクアマンなのかもしれない。 俺はこの海の匂いが好きだ。 実際の海の匂いよりも。
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