上海記者倶楽部・其の一

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「それで何故、今、壇ノ浦なんですか?」  野々村が台湾産という緑茶を注ぎながら問うた。  瑞垣は、例の如く塩塚が何処かからもらってきたという揚げ餅をつまみつつ、卓上に平家物語絵巻を広げた。壇ノ浦の合戦を描いた場面の写しだ。  赤い旗を立てる平家の船が1000艘、白旗の源氏の船が3000艘、渦を巻く海中に、海豚の影が見える。 「吾妻鏡では平家が500、源氏が800だそうです。そっちのほうが現実的でしょうかね」  塩塚が茶々を入れながら揚げ餅を頬張った。  壇ノ浦は関門海峡、本州と九州の狭間にある浦だ。現在の行政区では山口県下関である。 「所謂、壇ノ浦の戦いと云えば、源平合戦のクライマクスやな。平安末期に台頭し、繁栄を誇った平家がここで滅亡する」  平清盛が没したあと、急速に力を失った平氏は、代わって武家の棟梁として東国をまとめて台頭した源氏との決戦に敗れた。そうして滅びを悟った清盛の正妻・平時子は先の帝である安徳帝と共に壇ノ浦の海に身を沈めた。 「三種の神器とともに」  そこで瑞垣は顔を上げ、野々村と塩塚を見遣る。  三種の神器、八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)若しくは草薙剣のことである。さすがに此れを知らない記者は居ない。野々村も塩塚も意味ありげな顔で頷いた。 「こっちの平家物語には、追い詰められた二位尼君・平時子は剣を腰に差し、鏡を胸に入れ、安徳帝を抱いて海に飛び込んだ、とある」 「一方、吾妻鏡では宝剣と鏡を尼君が、按察局が安徳帝を抱いて入水したとあるんですよね。微妙な差がまた小癪ですねえ」  まったくその通りなのだが、塩塚が口にすれば余計に小憎たらしい。瑞垣は、ふんと鼻を鳴らすと更に絵巻を捲る。  平家の大きな唐船、鎧のまま八艘飛びをする義経、碇を身体に巻き付ける知盛と、これでもかという名場面が続いている。 「ま、誰も思ってもみなかったんでしょうよ。まさか帝と神器諸共、海に飛び込むとは」  恐らくそうなのだろう。  あまりに惨い……決断だったのだ、何の罪もない幼子を。しかし、確かに生き延びたとしても、崇徳帝のように何処かに流されるか、飼い殺しになるのは目に見えていた。  瑞垣は深く息を吐く。 「何れにせよ、この後、鏡と勾玉は浮かんできた、又は浜に流れ着いたが、時子と安徳帝は死亡、剣も行方不明、とされている」  勿論、それぞれに諸説あるが、二人の命と宝剣が失われたというところは一致している。また平清盛の三男・勇壮な武将として知られる知盛も死亡、逆に知盛の兄で平家の棟梁・宗盛は死にきれず泳いでいたところ捕縛され、安徳帝の母である建礼門院、平徳子も髪を絡め取られ助られている。 「この合戦で勝利した源氏が新たに武家の頂点に立った。が、この壇ノ浦の顛末には頼朝も困った、というより激怒したらしい。特に、退位した事になっていたとはいえ、安徳帝と宝剣を失ったのが痛かった。平家が三種の神器を持ったまま都落ちしたことを考えても、それなりに彼の宝物が皇統の証明ではあった訳やな」  此れを許さなかった頼朝は、みすみす帝と神器を失った義経を叱責した。この後、兄弟の相剋が深まったという言もあるが、それは穿ち過ぎだろうと瑞垣は思う。元々、あの兄弟は決裂するはずなのだ。  とはいえ、それは今のところ本題ではない。 「合戦のあと、頼朝は総大将でもある弟の範頼(のりより)に命じて、宝剣をずいぶんと探させている」  瑞垣の解説に野々村が首を傾けた。 「範頼……は、頼朝の腹違いの弟でしたか」 「せやな、義経とも母親が違う。義経は水路で屋島から平家を追ったが、陸路で九州から攻めたのが範頼や」  源範頼による剣の捜索は難航した。  それはそうだろう。今のような操船や潜水の技術もない時代だ。海底に沈んだ剣を探すのは、それこそ砂浜に落ちた小さな玉を探すようなものだ。見つかるものでは……あるまい。  しかし、この神器自体が非常に奇妙な存在であった。
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