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****   「うわー髪の毛さらさら。なんか特別なトリートメントとか使ってんの?」 「あれ、目の色薄くない? もしかしてハーフとかなわけ?」 「ほんとに細いよねえ、王子って。腕なんか私の手首の太さくらいしかないじゃん。うらやまし~」  人が疎らになった放課後の教室に、賑やかな声が響く。  僕は帰り支度の手を止めて目を瞬いた。『王子』というのはどうやら僕のことらしいのだ。  『僕っ娘』という少し不名誉なあだ名はいつのまにか返上され、次に手に入れたのが『王子』という理解に苦しむ呼び名。抵抗感がないわけではないが、それでもクラスの女子から話しかけてもらえるようになったのは大きな嬉しい変化だった。 「ええと、僕の髪はこういう毛質のようです。シャンプーとリンスが一緒になったものを使ってますが、特別な手入れなどはなにも。目の色に関しては、血を調べてもらったときにロシア系の血が少し混じっていると聞いたことがありますのでその影響かと。腕については……貧弱で恥ずかしい限りです」  言い終わると同時に、教室の中がしんと静まり返った。  僕は内心あれ? と首を傾げたが、すぐにはっとする。やらかしてしまったのだ。きっと何か変なことを言ってしまったに違いない。僕がひとり焦り始めたそのとき、三人は「ぶふっ」と一斉に吹き出した。 「え……?」  きょとんとした僕の肩を、三人は楽しそうにばしばしと叩く。 「まじ王子面白いんだけどー!」 「ウケるー」 「うけ……ました?」 「うんうん、ウケた!!」  笑顔で返され、僕はほっと息を付いた。せっかく話しかけてもらえるようになったのに、また遠巻きにされては寂しすぎる。 「王子ってマジメだよねぇ。可愛いけど」 「ほんと可愛い。なんかの動物みたい」 「そうそう、あれだよあれ、ミーアキャット!」 「え? あの同じ方向向いて岩の上に集団で立ってるやつ? そう言われてみれば似てるかも~」  三人は顔を見合わせると、笑い声を弾けさせた。教室が一気に華やぐ。  女が三人寄ればやかましいなんて言葉があるが、なるほどその通りかもしれない。途方もないパワーに僕が呆気に取られていると、三人組の中のひとり・吉川さんのスマホが振動し始めた。 「あ、彼氏だ」  吉川さんはそうと言うと、電話を耳にあて廊下へ出て行く。さらに田中さんまで「私も彼氏にライン返さなきゃ」とスマホを取り出した。 「……あの、みなさん『彼氏』っているんですか?」 「彼氏はいないけど好きな人はいるよん」  との長い髪の丁寧に結いあげた小嶋さんも嬉しそうに答える。  「そうなんですか……」  この場にいる三人のうち二人には特定の相手がいて、残りの一人も好きな人がいる。ということは全員恋愛中ということだ。巷にはこれほどの恋愛が溢れているのか。 「で王子はどうなの? 彼氏いないの?」  スマホに目を落としていたはずの田中さんが急に切り込んできて、僕は驚いて首を振った。 「そんなのいないですよ」 「じゃ好きな人は? 気になる人とか、一人くらいはいるでしょ?」 「ええ?」  田中さんの猛攻に僕がたじたじになり始めたとき、教室の引き戸からひょこっと舟場先輩が顔を出した。 「ちょっと佐上! いつまで油売ってんのよ!」  突然現れた先輩に田中さんたちは驚いたようだったが、僕が慌てて立ち上がると道を開けてくれた。 「またねー王子」  田中さんたちがひらひらと手を振ってくれたので、僕もぎこちなく手を振り返した。なんだか友人同士のようなやりとりに顔がにやけてしまう。  顔を引き締めながら舟場先輩のところに走り寄ると、先輩はふくれっ面で廊下に立っていた。 「今日は早めに生物室に集合って言われてたでしょ? もうみんな集まってるわよ」 「……あ」 「さてはあんた忘れてたわね?」  すみません、と謝って僕は早足で前を歩く舟場先輩を追う。  うっかり頭から抜けていたが、うちの高校では今日から教育実習の先生が来ているのだ。そのうちの一人は結城先生が教育担当になっていて、生物部の活動にも参加すると一昨日の部活で説明があった。 「ほんっとに佐上はぼーっとしてんだから。そのうちナマケモノみたいになっちゃうわよ」  ミーアキャットの次はナマケモノか。僕は苦笑したのだが、舟場先輩はむっつりと口をへの字にしている。どうやら機嫌がよろしくないようだ。 「というか先輩どうしたんですか。なんか怒ってます?」 「え……」  驚いたように足を止めた舟場先輩は、僕の顔を数秒眺めた後、長いため息を吐き出した。 「佐上にはばれちゃうのか。実はね、喧嘩しちゃって……」  もちろん彼氏とだ。どうやら舟場先輩は昨日の夜、メッセージのやりとりをしていて険悪な雰囲気になったらしい。 「会って話してるわけじゃないから、どういうつもりで言ってるかがわかんないのよね。だからって電話するのも、なんかねえ」  お互いがお互いをよく知らずに付き合いを始めた舟場先輩たちには、まだまだ遠慮があるようだ。  立て続けに深いため息をつく舟場先輩を眺めながら思う。恋愛することなんて、メリットどころかデメリットだらけなんじゃないか。数日前と打って変わって、萎れた植物のような舟場先輩の背中がなんとも不憫だった。 「すみません、お待たせしました」  生物室に到着し扉を引くと、いつもの定位置の席に座る和田先輩と黒板の前に立つ結城先生が振り返った。そして先生の向こうから、長い髪をハーフアップにした女性が顔を覗かせる。僕と舟場先輩は先生たちに礼をして、急いで椅子に座った。 「みんな揃ったな。紹介するぞ。今日から教育実習に来た塩野先生だ。担当は二年生の生物」 「塩野まなみです。よろしくお願いします」  塩野先生がぎくしゃくとお辞儀をした。緊張しているのか顔が少しこわばっている。 「キレイな先生だね」  隣の席に座った舟場先輩がため息混じりにそっと耳打してくる。それに「そうですね」と同意しながら、僕は感心して塩野先生を眺めた。  身長は僕よりもずっと高く、もしかしたら舟場先輩や和田先輩よりも高いかもしれない。胸元まで伸びる黒い髪はつやつやで、ダークグレーのスーツがよく似合っていた。大きな目に反比例をするように鼻と口は小ぶりで、そのためか顔だけ妙に幼い。 「塩野先生にはこれから二週間のあいだ、生物部の活動にも参加してもらうことになっている。みんなもいろいろ聞くといい」 「よろしくお願いしまーす」と僕たちは声を揃えて言い、塩野先生は嬉しそうにはにかんで見せた。口元からちらっと八重歯が覗いて、子供のような笑顔だった。 「それでは作業に入ろうか」  結城先生の言葉で僕たちは立ち上がった。今日は生物室の中の亀や魚、イモリたちの水槽を洗い、そのあと花壇や裏の畑に行って水やりと雑草とりをする予定だった。  力仕事が多い魚の水槽は結城先生と和田先輩に任せ、僕と舟場先輩はイモリの水槽からかかることにした。二人で水槽の両側をもち、床に下ろす。水草と水を張ったプラスチックのケースにイモリを移動させ、浮島や床面にしいた砂利、フィルターや水槽自体を丁寧に水で洗って、元通りに戻していくのだ。地道な作業だが、綺麗になると達成感があって僕はこの作業が好きだった。  僕が水道で水槽を洗っていると、舟場先輩が横にやってきた。 「ねえねえ佐上、あっち見てみ」  そう言って目で結城先生たちの方を示す。見ると結城先生と塩野先生が、黒板の横に置かれた棚の前で楽しそうに談笑しているところだった。 「なんですか?」  意味が分からずに先輩の顔をみると、曰くありげに微笑んで顎で二人の方をしゃくって見せた。もう一度見ろ、ということだろうか。  結城先生たちに視線を移すと、結城先生がなにか冗談を言ったのか、塩野先生がころころと明るい笑い声を立てた。「もう、結城先生ったらやだー」そう言って、塩野先生は結城先生の二の腕を軽く叩く。 「ね? 露骨じゃない?」  舟場先輩が、半笑いで僕の目を見た。その笑いを含んだ目つきに不快感がこみ上げる。 「何がですか? 遊んでないでやっちゃいましょうよ」  僕がそう言うと、舟場先輩はおや? とばかりに眉を上げた。 「もしかしてこっちもフラグ立ってるわけ?」  わけのわからないことを言ってふざける舟場先輩を、無言で睨みつけた。
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