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「それは佐上のこと好きってことなの?」
「……なんですかね?」
「私に聞かれてもわかんないわよ。あんたに聞いてるんじゃん」
「僕だってわかりませんよ」
舟場先輩が畑の雑草を抜きながら「なによそれ」と口を尖らせる。
石澤さんの言葉を聞いた後、いてもたってもいられずに僕は準備室を逃げ出してしまった。やみくもに廊下を猛ダッシュしているところを偶然通りかかった舟場先輩と和田先輩に捕獲され、そうしてなぜだか青空の下事情聴取を受けているのだ。
「しっかし石澤先輩が佐上を、ねえ……」
舟場先輩のつぶやきに和田先輩がうんうんと応える。
「確かに驚きだね。去年は石澤先輩目当てで生物部に入ってくる子もいたけど、本人は恋愛には興味ないって感じだったよね。やっぱり大学生にもなると変わるのかな」
「それで? 連絡先くらい交換したんでしょう、当然」
僕の腕をつつきながら、なぜか舟場先輩がにやりとする。
「してないですけど」
「なんでしないのよ? 連絡先も交換しないで、どうやってお互いのこと知っていくっていうの!」
「それは……」
舟場先輩に言われてはっと思い出した。準備室から逃げるように出たとき、石澤さんに「待って」と呼び止められた気がする。僕はそのまま飛び出してきてしまったのだが、もしかしたら石澤さんは僕の連絡先を聞こうとしていたのかもしれない。
話の途中で逃げてきちゃって、失礼なことをしたなあ……。次に会ったときは謝らなくちゃ……。
だけど次に会うことを考えると気が重い。どんな顔をしたらいいんだろう。
「あああどうしたら……」
僕は頭を抱えた。どうして人間は恋愛ごときに多大なエネルギーを使うのだろう。理解しがたい。悩んだり悲しんだりする分のエネルギーを勉学なり部活なりに注げば、すばらしい結果が出るに違いない。それなのに何という損失。
「まあ今はいいんじゃないかな。そのうち部活で会うだろうし、そのときにでも……」
和田先輩が言い掛けたところに、舟場先輩が食いついた。
「えっ! また部活で会うってどういうことですか? もしかして大学の生物部と合同で何かやるってことですか?」
「あれ、聞いてない? 奥多摩のフィールドワーク、大学と合同になったって結城先生言ってたけど。だから今日はそれの打ち合わせをしてるんだと思うよ」
僕と舟場先輩は顔を見合わせた。
「ふ、舟場先輩。どうしたらいんでしょう……」
「……お互いに試練の時期だわね」
舟場先輩は舟場先輩で大学の生物部に所属する彼氏とけんか中だし、僕は僕で石澤さんとぎこちなくなってしまった。フィールドワークは一体どうなってしまうのだろう。
僕と舟場先輩がそろってため息をついたとき、校舎の向こうから結城先生がやってくるのが見えた。舟場先輩が先生に向かって「結城せんせーい!」と手を振る。
しかし結城先生は「佐上!」と言ってちょいちょいと手招きをした。「え、僕?」と自分の鼻あたりを指さすと先生はうんうんとうなずいたので、僕は先生のもとへ小走りで近づく。
「ほら」
結城先生は手に持ってた本を僕に差し出した。
「これを借りに来たんだろう?」
「え」
僕は驚いてしまった。わざわざ持ってきてくれたのだろうか。
「最近何かと慌ただしくて悪かったな。もう少ししたら落ち着いて時間がとれると思うから、またなんでも質問にくるといい」
「……ありがとうございます」
礼をして受け取る。なんとなくばつが悪くて先生の顔を見れなかった。なんとなくばつが悪くて先生の顔を見れなかった。
正直に言うと、塩野先生が来てから生物準備室の雰囲気ががらっと変わってしまって嫌だったのだ。しかも結城先生ともゆっくり話をすることができないし。
そんな僕の気持ちなどとっくに見抜かれていたに違いない。じんわりと恥ずかしさがこみ上げ、でも気にかけてもらえていたことが嬉しかった。頬が緩みそうになって、僕は奥歯を噛みしめた。いままでささくれ立っていた心が静まっていく。
「それとな」
と先生は言い、スラックスのポケットを漁り始めた。そして一枚の紙切れを取り出した。
「石澤から預かっている」
「え?」
二つ折りにされたクリーム色の紙が差し出され、僕は面食らった。
「こういうものを橋渡しをするのは立場上よろしくないんだか、実は塩野先生が請け合ってしまったようでな」
先生は困ったように眉を下げた。
「いったん石澤に返して、今度会うときに本人から渡してもらうのが一番いいんだが、それでいいか? それともこのまま受け取るか? どうする?」
ーーどうするって言われても。
僕はクリーム色のメモ用紙を見つめた。うっすらとだが、数字とアルファベットの文字が透けて見えた。きっとこれは石澤さんの連絡先だ。
石澤さんが僕に連絡先を渡すという意味に、結城先生も塩野先生も気づいているのだろう。それが分かったうえで今、結城先生は僕にこの紙を差し出している。
そこまで思い至ったとき、かあっと頭に血が上った。胸にこみ上げてきたのは間違いなく怒りで、体の横で握りしめた拳がふるふると震えた。
たまらず僕は先生の指先から、紙切れを奪い取った。驚いたような結城先生の顔を見たら、腹の底から怒りがわいてきて、口から勝手に言葉が飛び出した。
「最低だ」
「なんだって?」
僕の小さな声を聞き取れなかったのか、結城先生は戸惑ったように聞き返した。そんな先生を見ていたら痛めつけたい気持ちになって、僕は先生を睨みつけた。
「こんなの渡すなんて、先生は最低だって言ったんです」
呆然と目を見開いた結城先生に、僕はわざとゆっくりと毒を吐き出した。
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