恋の処方箋

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 夏休み直前。放課後の保健室――。  静かで穏やかな時間が流れる中、女性が二人、それぞれ思い思いの恰好でその時を待っていた。  一人は白衣を着て、髪をロングスタイルの巻き髪にし、理知的な感じを醸し出す美人養護教諭――新見久恩(にいみくおん)。  学園で名高い美人三姉妹の長女だ。  普段はビシっと知的な印象を漂わせている二十代半ばの人気の養護教諭で、その魅力に、休み時間の度にラブレター片手に保健室を訪れる男子生徒が絶えないという、(まこと)に罪作りな教諭である。  勿論、誰一人として相手にされていないのだが。  その美人養護教諭だが、流石に放課後までは才女エネルギーがもたないようで、診察机に座ったまま、つまらなさそうにスマホを弄っている。  そしてもう一人。  高校一年の女子生徒が、二床あるベッドの内の一つを占拠し、気怠(けだる)そうに目を閉じて横になっていた。  熱冷ましのシートをおでこに貼っている様子からすると、貧血か熱中症か。  いずれにせよ、その辺りの原因により気分が悪くなって保健室に来たのだろう。  窓が開いていて、そこを穏やかな風が通り過ぎる。  カーテンが微かに揺れる。  ガラっ。  静かに保健室のスライドドアが開けられる。 「失礼します……」  寝ていたはずの少女の目がパっと開く。  待ち人来たり――。  どう見てもその表情は、寝ていなかった顔だ。  その目に、期待の表情がありありと浮かんでいる。  だが少女はすぐにまた、何事も無かったかのように目を閉じる。 「久恩姉ちゃん、莉恩(りおん)、起きてる? カバン持って来たけど帰れそうかな」  少年が恐る恐る養護教諭に話し掛ける。 「(えい)ちゃん、わざわざ悪いね。莉恩のそれは、ちょっとした眩暈(めまい)、息切れ、動悸(どうき)ってやつよ。もう落ち着いたろうからいつでも連れ帰っていいわ。んじゃ、私は職員室に行くから。あと宜しくね」 「適当だなぁ、久恩さん……。仮にも妹だろうに心配じゃないのかよ……」  少年――長峰瑛斗(ながみねえいと)は、家が隣という、幼馴染三姉妹の長女のスチャラカぶりに呆れつつも、そっとベッドに近寄った。  少女――新見莉恩(にいみりおん)が、気怠そうに目を開く。 「莉恩……起きてるか? あぁ、無理して起きなくていいよ。まだ(つら)いだろう? カバン持ってきたぞ」 「ごめんね、瑛斗。迷惑掛けちゃって」 「気にするな。長い付き合いじゃないか。起きられるか? それともまだしばらくここで寝ているか?」 「ありがと……。ちょっとだけまだフラフラするけど……起きる。……あっ」  上半身だけ起こしたところでやはり熱でもあるのか、莉恩は少しふらつき、瑛斗にもたれ掛かった。  二人しかいない空間で、お互いの胸の鼓動だけが大きく鳴っている。  自分の高鳴る心音が相手に聞こえないか、二人してギクシャクする。 「にしても珍しいよな、健康優良児の莉恩が保健室で寝込むだなんて。何か悪い物でも食べたのか?」  恥ずかしさを誤魔化すかのように、瑛斗は莉恩から離れながら、わざとおちゃらけて言った。  こういうところ。十六歳――高校一年生になっても、男の子の方が幼い。 「実はさ……告白されたんだ、わたし」 「は? ……誰に」  ボソっと呟く莉恩の言葉に、瑛人が過敏に反応する。   「佐藤先輩」 「……佐藤?」 「佐藤恭一(さとうきょういち)さん。生徒会長よ。ほら、美恩(みおん)姉ぇ、生徒会で副会長やってるから、よく一緒にいるでしょ?」 「あぁ、あの人か!」  瑛人にも思い当たった。  生徒会長だけあって頭も良く、運動神経もそこそこ良い。誰にでも優しくカリスマ性もあり、教師の信任も熱い。おまけにイケメン。    ――どっちかというと、いつも美恩さんとお似合いのカップルっぽく歩いているけど、あぁ見えてターゲットは妹の莉恩の方だったってことか? ……いけすかないなぁ。  佐藤の人となりを考えながら、なぜか瑛斗がムっとする。  と、莉恩が俯きながらボソっと呟いた。 「ねぇ、瑛斗。わたし、どうしたらいいと思う?」  さっきまで寝ていたからか、莉恩のショートヘアも若干乱れている。  普段の元気溌剌健康優良児(げんきはつらつけんこうゆうりょうじ)とのギャップのせいか、アンニュイな表情も相まって、そこはかとなく雰囲気を醸し出している。 「……なぜボクに聞く?」 「……幼馴染にはシード権があると思ってたんだけど……違う?」 「そいつは寡聞(かぶん)にして知らなかったな。全国共通の認識なのかな?」  おちゃらけてはぐらかそうとする瑛斗を、ベッドに座ったままの莉恩が真っ直ぐ見る。  瑛斗はその視線に耐えられず、誤魔化すように目を背けた。  莉恩はしばらくそんな瑛斗を見ていたが、やがてこのままでは何も進まないと判断したか、ため息を一つ付くと立ち上がった。 「ん、ありがと、瑛斗。もう大丈夫。わたし、行ってくるね」 「え? どこへ?」 「佐藤さんのとこ。この時間ならまだ生徒会室にいるはず」 「行ってどうするんだよ」 「どうするって、受けるに決まってるでしょ? 頭もいいし顔もいい。先生の信任も厚く将来性は抜群。女生徒のあこがれ。蹴る理由が無いわ。瑛斗は先帰っちゃっていいよ。また明日」  莉恩は瑛斗に向かって手をヒラヒラさせると、上履きを履き、保健室から出て行った。  瑛斗は何かを言いたそうな、だが言えない苦悶の表情をしつつ、自分の手を強く握りしめた。  ――行かせて良かったのか? いやいや、そりゃ莉恩のことはずっと好きだったけど、幼馴染が恋人になるってそう単純なことじゃないだろ? だいたい莉恩の気持ちはどうなんだ? 本当にボクのこと好きでいてくれてると思うか? 幼馴染としての『好き』と恋人としての『好き』は全く別物だぞ? 新たな関係が築ければいいけど、最悪これまでの関係を失うんだぞ? あぁでも! 莉恩が他の男と一緒に歩くのは嫌だ! 耐えられない! これ、嫉妬か? ボクは嫉妬しているのか?   一瞬の間の後――。  誰もいない保健室で瑛斗は叫んだ。 「好きだよ! あぁ好きだともさ! 好きで何が悪い! ふっざけんな、こんなんで終わってたまるか! 莉恩を失ってたまるか!!」  大混乱しつつも、瑛斗は遮二無二(しゃにむに)駆け出した。  行き先は生徒会室。  目的は莉恩が生徒会長と付き合うのを止める為。  瑛斗は、莉恩が生徒会長と付き合った場合の今後のアレコレを想像しつつ、半泣きで走った。  ◇◆◇◆◇  だが――。  廊下の陰に隠れて瑛斗の暴走をこっそり見ていた者が一人。  スマホを左手でササっと操作すると、すぐさま左耳に当てた。 「あー、こちらクー(くおん)ミー(みおん)? 聞こえてる?」 『クー姉ちゃん? はいはいこちら美恩、予定通り生徒会室です。あぁ、今莉恩がこっちに着いたところ。莉恩、その位置でストーップ。んで? 瑛ちゃん、どうなった?』 「今、半狂乱でそっち駆けてったわよ。お薬、効きすぎちゃったみたいね」    『ホント? ホント?』  電話の向こうで莉恩がハシャいている声が聞こえる。  久恩が思わずため息をつく。 「ホント末恐ろしい妹たちだわ。あんたたち、瑛ちゃん純情なんだから、あんまり(いじ)めちゃ駄目よ?」  電話を切った久恩は、再び別の番号に電話した。  五秒で繋がる。 『はい、長峰』 「あー、圭人(けいと)さーん! クーでーっす。ねね、圭人さん、クーね? 今夜圭人さんに逢いたいの」 『今夜? あー、えーっと……うん、大丈夫だな。駅着くの、多分十九時頃になっちゃうと思うけどいいかな。何食べたい?』 「クー、イタリアンがいいー。前行ったお洒落なとこー。連れてってぇ」 『あー、あれね。おっけおっけ。じゃ、そういうことで』 「はーい。あいしてるぅー」  彼氏――長峰圭人との電話を切った久恩が、今夜の彼氏とのデートを想像して緩み切った顔をしている。  普段、キリっとした顔で保健室を取り仕切っている有能な養護教諭と同じ人物とはとても思えない。  だが、恋する乙女とはこんなものなのだろう。  久恩は軽くスキップしつつ、職場――保健室へと戻って行った。  ◇◆◇◆◇ 「頼もう!!」 「……はーい」  扉を開けると、生徒会室には三人の男女の姿があった。  机に座った生徒会長・佐藤恭一。隣の席に座る新見家の次女・新見美恩。そして、部屋の中央に立つ新見家の三女・莉恩だ。  三人が揃って瑛斗を見る。  しばし無言の時が流れる。  美恩が微笑んだまま、そっと肘で、笑顔の恭一の脇腹を突く。 「ぐがっ!」  鳩尾(みぞおち)にクリティカルヒットしたのか、恭一が悶絶気味に口を開く。 「くっ。何か御用かな? あー……」 「長峰瑛斗、一年です」 「ふむ。長峰クン。今ちょうどいいところなんだ。用事は手短に済ませてくれないか?」  恭一が言いながらその場で立ち上がると、ギクシャクとポーズを決める。  それに対し、瑛斗は戦意をむき出しに恭一を(にら)みつけた。 「すぐ帰りますから。彼女を連れ帰りに来ただけなんで」 「瑛斗? 何言ってるの?」  莉恩が慌てる。  どちらかというと内向的で気持ちを表に表さないタイプの瑛斗が、真向(まっこう)、喧嘩モード全開になっている。  こんな瑛斗、見たことがない。 「いやいや長峰クン。キミは何の権限があってそんなことを言っているんだ? 莉恩クンは別にキミの彼女というわけでは無いんだろう? なら彼女が誰と付き合おうと――」 「オレの! 彼女に! 手を出すな! 言いたいことはそれだけです。それじゃ!」  瑛斗はムっとした表情のまま強引に莉恩の手を取ると、さっさと生徒会室を出て行った。  扉が閉まる。  そしてそのままほんの数秒――。 「こ、怖かったよぉ、ミーたん。僕、こういうの苦手なんだって!」  生徒会長・佐藤恭一が普段のキリっとした姿はどこへやら、半泣きになりながら美恩に抱き着いた。  美恩が恭一をハグしながら、笑ってその背中を撫でる。 「はいはい、よしよし。ありがとね、恭くん。感謝感謝」 「これで良かった? もう僕、やらないからね!」 「多分大丈夫でしょ。瑛ちゃんもずーっと、幼馴染から一歩も踏み出せずにイジイジウジウジしてたけど、お薬、無事効いたみたい。ふぅ。やっとこれで肩の荷が下りたわ。妹の頼みとはいえ、お姉ちゃんも大変なのですよ」 「うん。……でもとりあえず今日はもう、僕の彼女モードのままでいてくれないか。ちょっとダメージでかい」 「はいはい、甘えん坊さんなんだから」   美恩は恭一を抱き締め、頭を撫でてやりながら、クスっと笑った。  他に誰もいない生徒会室。  夕日で外が薄っすら赤み掛かってくるまで、恭一と美恩は、しばらくハグを続けていた。  ◇◆◇◆◇ 「はぁぁぁぁぁぁぁ」  瑛斗は莉恩を連れて学校を出てすぐ、道に置いてあった自販機に手を当てると、その場で大きなため息をついた。  そのまましゃがみ込む。  緊張やら恥ずかしさやらで身動きが取れない。  莉恩がそんな瑛斗をニヤニヤしながら後ろから覗き込んだ。 「……後悔してるの?」 「してない!」 「ホントかなぁ」 「してないったら!」 「はいはい。でもわたし、瑛斗の口からまーだ何も聞いてないぞぉ」 「分かってるったら!」  さすがにこの状況で事態を先送りするのは有り得ないと思ったか、瑛斗は深呼吸をすると莉恩に向き直り、右手の平を上にし、前に出した。  瑛斗の顔が真っ赤だ。  それを見た莉恩の顔も徐々に赤くなる。 「その……なんですよ。つまり……ボクの……彼女になってください」 「うん。まぁ……じゃあ……。今日からは彼氏彼女ってことで……」    莉恩は莉恩で、テレテレの真っ赤な顔をしつつ、瑛斗の広げた手の平の上にお手のようにして自分の手を乗せた。  二人してテレ顔のまま笑い合う。    「アオハルってやつ?」 「アオハルってやつ」  こうして長峰瑛斗と新見莉恩は、長かった幼馴染関係からようやく、彼氏彼女の関係に昇格したのであった。  そして、二人のアオハルが始まる――。  END
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