神様のくすり

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 最初は、軽い気持ちだった。  なんせ「鬱は心の風邪」と言われていたし、エッセイ漫画や芸能人の発言を見て、軽い気持ちで精神科の門を叩いた。  駅前の綺麗なビルにある精神科は、患者で混み合っていた。そのせいか不明だが、診察はわずか五分だった。  違和感を覚えつつも、毎朝の鬱症状がしんどく、仕事にも支障が出ていた。医者に出された薬を飲めば、たちまち元気にると信じて疑わなかった。  最初は確かに良かった。よく眠れたし、元気になれた気がした。しかし、五年と十年薬を飲み続けるようになると、効かなくなっていた。  眠りたいのに、ギンギンと目が冴えて寝られない。そのうち自殺願望も出てきて、職場にも行けず、首になった。  その後は、福祉の世話になりつつ生活していたが、生活できるギリギリの低賃金。どことなく福祉の連中も何となくバカにしていることが伝わり、気分が悪い。  そんな時は、よく公園にいった。緑に囲まれた公園に行くと、少しは癒された気がした。売店で買ったアイスを食べながら、ぷらぷら散歩する。溶けたアイスが、地面に落ちると、蟻が群がっていた。  そんな様子をゆっくりと観察していると、何故か今の自分とオーバーラップしていく。精神科医、看護師、薬剤師、製薬メーカー、そして福祉士。アイスにたかっている蟻一匹一匹が、彼らの姿と重なる。 「もしかして、抗うつ薬ってまずい?」  なぜかそんな考えが頭に浮かぶ。そういえば、医者は副作用などのリスクは一秒も説明していなかった。  私はその足で図書館へ向かい、抗うつ薬について調べていた。 「は?」  閲覧室は他に誰もいないが、大声を出しそうになる。  読んでいた本によると抗うつ薬の副作用が、自殺。薬で心のリミッターが外れ、海外では犯罪にまで発展しているケースも紹介されていた。抗うつ薬の処方量と自殺者の数も比例しているというデータも載っていた。  心当たりはある。福祉で出会った同じ病気の仲間は、わけのわからないポイントでブチギレたり、やたらと失礼な事もズバズバ言っていたりしていた。手の震えも止まらないものもいた。薬が合わずに、酔っ払いみたいにフラついているものもいた。元々の性質かと思っていたが、ぜんぶ薬のせい?  何より、完治している人も見た事がない。全員目が死んでいるし、人間らしい喜怒哀楽も奪われてボーっとしているものもいた。  危機感を持った私は、断薬することにした。  突然全部断薬すると、さらに悪化し、犯罪に発展したケースも本に乗っていたため、少しずつ少しずつ減らしていった。  一言で断薬といっても地獄のような日々だった。頭も痛くなるし、禁断症状も出ていた。  医者には一応相談していたが、「副作用自殺」について話すと、急に早口になり、カタカナ用語を連発。「ネットや陰謀論を見るな」と逆ギレされ、ますます不信感が募る。  福祉もなんの当てにならない。結局搾取と中抜きしている貧困ビジネスだ。患者は金銭面への不安でさらにメンタルが悪くなるという負のループが出来上がっている。  一人で断薬していく日々は、孤独でもあった。誰も頼りにならない。  抗うつ薬の薬害問題なども調べてみたが、結局薬を飲んだ患者の自己責任。元々心が疲れているものが飲む薬という事もあり、卵が先か鶏が先かわからない。患者が自殺しても精神科医や福祉士も製薬メーカーも一切責任は問われない。  こんな事している間に仕事のブランク期間も更新し、キャリア面でも不味い状況になっていた。  断薬が成功した頃には、メンタルも身体もボロボロになっていた。  安易に薬を飲んだ事、精神科にかかった事を効果したが、もう遅い。  この事で、人の嫌な部分を思い知った。一見清らかな薬も、医療も福祉もとんでもない毒だった。しかも善意でコーティングしているからタチが悪い。優しい顔で近づく悪魔のようだ。  それは何でもそうなのかもしれない。カルト被害者やアルコール中毒者も似たような扱いだろう。悪魔に騙され、レールから外れた人間の救済は何もない。自己責任で終了。  一つ救いがあるとしたら、疫病騒ぎの注射を打たずに済んだ事ぐらいだろうか。散々抗うつ薬に苦しめられた私は、それが良いものには全く見えなかった。この薬害も騒がれているが静観していた。  自分が苦しんだ時、誰も助けてはくれなかった。医療利権の酷さも身をもって知れば良いのかもしれない。  そんな他人の不幸も願うような自分も嫌で、再び死にたくなってきた。どうせブランクもあって新しい職場も決まらない。薬漬けと断薬で失った時間は、あまりにも長かった。 「そうか、死のう」  荷物を処理し、一人自殺スポットに近いホテルに泊まった。最後に遺書をここで書き、命を断つつもりだったが。  ホテルの引き出しには、聖書が入っていた。外国人客向けに置いてあるのかと、ペラペラとめくる。さして興味もないが、福祉施設で一人クリスチャンがいたのを思い出していた。その人は「人間は全員クソだけど、神様だけは信じられる」と言っていたっけ。 「だったら、神様。私を救ってください……」  なぜか聖書をめくっていると、泣きたくなってきて、必死に助けを求めていた。 「もうダメです、神様。薬で潰された時間はあまりにも長い……。身体も心もボロボロです。もう他に誰も頼れない……」  聖書にはポタポタと涙が落ち、汚れていた。 『そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。』  聖書の文字が涙でふやけて見えない。 『そのお受けになった傷によって、あなたがたは癒されました』(第一ペテロ・二章二十四節より)  もうどうでも良い。とにかく楽になりたかった。  いつの間にか泣きつかれ、眠ってしまった。  翌朝、目が覚める。  心に溜まっていた落ち込み、鬱、自殺願望が嘘のように綺麗に消えていた。 「あれ?」  本当に神様がいるとしたら。  助けを求める声を聞いてくれたのだろうか。あの聖書の言葉は私にとって薬だったのだろうか。  再び、聖書を開き、あの言葉を探す。窓の外から、朝の光が降り注いでいた。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!