アルゴリズムの恋人

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「ねえ、これを見て。髪型を変えてみたの。どう? 似合ってる?」  朝礼を待つ教室の中で、サラが弾むような口調で僕に話しかけてくる。そして横を向いたり後ろを向いたりしてその短くなった髪を見せてくれた。 「すごく似合ってるね」と僕はサラに向かって言う。「なんだか小さい頃を思い出すよ。サラの髪の毛がすごく短くなってたときがあったよね。たしかあれは小学三年生くらいのときだったっけ」 「あーそれってもしかしてさ。わたしの前髪がほとんどなくなっちゃった時の話でしょ?」 「そうそう。あの時のサラってば、顔を真っ赤にして恥ずかしがってたよね」 「もう。それは忘れてって前に言ったでしょー」  頬を赤く染めて抗議するサラを見て、僕の顔は自然と笑顔を作っていた。こうしてサラと他愛もない会話をできるだけで、僕の日常は彩りを持つものになる。  そうしているうちにだんだん人が増えてきて、教室内が騒がしくなってきた。朝練終わりの疲れで眠そうな生徒。遅刻ギリギリで教室に駆け込んで来る慌てた生徒。いつもと変わらない平和な青春の一幕だ。 「朝から教室のど真ん中でそいつと話すなんて常識ないんじゃない? ちょっとはみんなの事も考えてほしいんだけど」  そんな棘のある声音でそう話しかけてきたのは同じクラスの女子生徒のヒナタだった。そこからはかつて柔軟な笑み向けてきてくれていた時の面影はなく、睨むように攻撃的な視線が僕を貫いている。  気づくと、クラス中の視線がこっちに集まっていた。好奇な視線で見る者もいれば、蔑むような目で僕を見る者もいる。少なくとも、こっちの肩を持ってくれる生徒はいないようだ。  僕が黙り込んでいると、ヒナタはこっちに近づいてきて勢いよく机に手を突いた。大きな音が鳴り響き、教室内が静まり返る。 「正直に言ってすごく迷惑なの。みんな立ち直ろうとしてるのに、あんただけがそんな紛い物といつまで経ってもくっついてる。いい加減前をみなよ」まだなにも言わない僕らを見て、ヒナタは茶色の瞳の中に怒りの色を宿した。「あんたがまだ現実を見れないなら、何回でもあたしが教えてあげる。もう死んだんだよ。あいつはさ」  教室内は静まり返っていた。事の成り行きを見守る彼らの視線は好奇に充ちているというよりかは、同じ辛さを共有しようとしているようにも見えた。 「ねえ、ヒナタ。最近ずっと変だよ」沈黙を破り、そう言ったのはサラだった。「そんなに私がユウと一緒にいるのが気に食わない?」 「……あたりまえでしょ」 「そっか。残念だな。私は前みたいに三人で仲良くしたいのに」 「そんなのできるわけない」 「どうして?」サラは平然とした口調で言ってから首を傾げる。 「……死んだ人はね、生き返らないからだよ。いくら精巧な技術があったとしてもさ」  チャイムが鳴ると同時に担任の先生が教室に入ってきた。会話を聞いていた生徒達は止まっていた時が動き出したように、生徒達は各々の席に戻っていく。  立ち去っていくヒナタの背中を見つめて何か言いたげの様子のサラだったが、悲しそうな笑みを浮かべるだけで結局はなにも言わなかった。 「ねえ、サラ。ヒナタと仲直りできないかな?」  放課後の帰宅途中。僕は元気なさそうに俯いているサラに向かって言った。 「ヒナタと? ああ、朝の事があったもんね。別に喧嘩したんじゃないよ。ただ……ちょっと、分かり合えないだけ」  俯いているサラの表情は見えない。でもその声音から今朝のヒナタとの一件を今日ずっと考えていたんだろうというのが簡単に推測できた。 「前は仲良くしてたよね。放課後はいつも三人で遊びに行ってさ。ほんとに楽しかった。ヒナタってば、近所の森の中に秘密基地を作ったとか言ってさ、自慢げに見せてくれたよね。ほんと子供みたいだよ」 「でもあそこ、私は嫌いじゃなかった。静かですごく落ち着くの」 「もうその時みたいになれない?」 「……わたしもできるなら、そうなりたい」そう言って、サラは寂しそうに笑う。「でもさ。きっと前みたいには戻れないよ」    僕はサラに触れようとして手を伸ばそうとしたが、もちろんそれは叶わなかった。彼女に触れることはできない。これは絶対に変えられないことなのだ。でも、僕はどうしても彼女に触れたかった。その不安定そうな小さな身体を抱きしめてあげたかった。  どうすれば彼女の悩みを取り除き、その手に触れることができるのか。家に帰るまで僕はずっとそんなことを考えていた。
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