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 「すみません、長々と話してしまって。疲れたでしょう?」  真由美は髪を耳にかけながら言った。喋り疲れたのだろうか。蛍光灯に照らされた彼女の顔はほんの少しだけ赤みを帯びていた。  驚きを隠せなかった。世間では怨恨による殺人だの、快楽目的の殺人だのと囁かれていた小野田事件に、こんな背景があったなんて誰が予想できただろう。  正義の名のもとに、世間の人々の手によって男たちに鉄槌を下させる。ネット社会をならではの復讐の方法だ。想像しただけでもぞっとする。  けれど最も恐ろしいのは、玲奈と真由美が実際にこの計画を実行に移したということだ。普通の人間ならば思いついてもやらないだろう。小野田真由美だけでなく沼坂玲奈もまた狂っていたということだ。  「いいえ、大変興味深いお話でした」私は椅子に座り直してから言った。まだ心臓がバクバクと脈打っていた。「ただ二点、分からないことがあります。あなたは沼坂玲奈さんの遺体を解体し、両手足と胴体を男たちに送り付けました。しかし頭部だけは未だに見つかっていません。彼女の首はどこにやったのですか?それと、あなたが法廷で述べた『私が殺したのは一人ではありません』という言葉。小野田さん、あなたは玲奈さんのほかにいったい誰を殺したのですか?」  「本当は、頭部は玲奈ちゃんの父親に送る計画だったんです。だけどあんまりにも綺麗な死に顔だったから、勿体なく思えてきて…。とある場所に隠しました。隠し場所は私だけの秘密にしたいので、言いたくありません」  真由美は卓上に置いた自分の手に目を落とし、言葉を続けた。  「私が殺したのは玲奈ちゃんの父親です。彼は玲奈ちゃんの母親と別れて以降は、天涯孤独の身だったし、仕事もろくにしていなかったので、遺体を送り付けたところで何の意味もありません。だってあの人には積み重ねてきたものも、失いたくないものも無いんですから。だからあの人が唯一持っている大切なもの──命を奪いました。遺体は××山の山中に埋まっているはずです」  真由美は顔を上げ、私に視線を向けた。  指紋で曇ったアクリル板の向こうで輝く彼女の眼は、肉食動物の眼そのものだった。いや、肉食動物なんて生易しいものではない。沼坂玲奈のことだけを見て、沼坂玲奈のためにだけ動く。玲奈が望むのなら喜んで自らの人生を投げ出し、狂気の底に沈んでいく、化物の眼だ。  「私にあなたの復讐の片棒を担げというのですね」  「片棒を担ぐだなんて、そんな大それた言い方…。私はただ日下さんに記事を書いて欲しいだけです。ありのままに」  同じことだ。記事を出せば世間は否応なしに反応する。それも彼女たちが望んだ方へと。  だが私はありのままを書くと約束してしまったのだ。この怪物と。  「世間の人々があなたの思う通りに動くとは限りませんよ」私は悔し紛れにそう言った。  「必ず動きます。マスコミの人達だって、メディアの使命だの正義だのと言いながら、人を貶める様な記事を好き勝手に書いているじゃないですか。正義ってすごく気持ちがいいんですよ」  真由美はそう言って微笑んだ。  私は何も言うことが出来なかった。腕時計の針の音だけが静かな面会室に響いていた。
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