昔むかしのお話

1/1
前へ
/46ページ
次へ

昔むかしのお話

 昔むかしの話。そこには一匹のウサギと、人間の男が住んでおりました。  男は毎日ウサギのために畑から野菜のクズを持ってきて、寝床を整え、とてもとてもかわいがっておりました。  村の者達は、その男を変わり者だと思っていました。  なぜなら、自分達の食料にも困る時代。どうして、自分が食べることにも困る上に、畜生の世話をかいがいしくしているのかが、分からなかったからです。  もちろん、ニワトリを育てている者もいます。  だけど、それは食べものでした。  卵を拾い、産まなくなれば絞めて肉にする。  牛を育てている者もおりました。  これは、労働力でした。大きな荷物を運んだり、畑を耕す力となる大切な牛でした。  中には犬、猫を飼う者もおりました。  だけど、それぞれに仕事をさせて過ごさせているのです。  犬は危険を知らせ、猫はネズミを追い払い。  男のウサギは、何もしません。  ただ、ご飯をもらい、撫でてもらい、寝床で眠るのです。  村人がひとり、その変わり者の男に尋ねます。 「お前はいったい、どうしてウサギを飼っているのかい?」 男は答えます。 「とてもかわいいから。大切にしたいから」 「変なものに懸想していると、おかしくなるから気をつけな」 男の答えに、村人はひっそり忠告しました。もちろん、男には伝わりません。  ウサギといると、ただ心が安らぐのです。  それだけで充分だったのです。  だけど、ある日、ウサギが襲われました。  あの村人が飼っている犬にです。  咥えられているウサギはぐったりしています。 男は犬を棒で打ち付けます。  犬は「きゃん」と鳴いてウサギを置いて逃げ帰りました。  だけど、ウサギは血を流して動きませんでした。  すぐに、手当てを……。  ウサギの手当てをしていた男の元に、犬の飼い主がやってきて、男を打ち付けました。 「よくもうちの犬に怪我をさせたな」 「その犬は、うちのウサギを……」  彼の言葉は誰にも届きませんでした。役に立つ犬と、何もしないウサギの価値は、村人たちにとって明白なものだったのです。 「お前がそんな変なものに懸想しているからだろう」  動けなくなるほど打ち据えられた男の胸には、やはりウサギが抱かれたまま動かず目を閉じていました。  もし、この子が人間だったら……こんな目には遭わなかった。  悪いのはあの犬なのに。何もしていないうちの子を噛んだ、あの犬なのに。  男は我が子のように可愛がっていたウサギを抱きしめて、「ごめん、何にもできなくて」と謝り、寒空の下、寝転がったまま手足を縮め、目を瞑りました。  もっと、強ければ良かった。そんなことを思いながら。  冬の入りの澄んだ夜空に満月の光が白く光っていました。  これは、人族に伝わる遠いとおい昔の話です。
/46ページ

最初のコメントを投稿しよう!

18人が本棚に入れています
本棚に追加