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「愛子」が来た
昔、子どもの頃、父と一緒によく見ていた宇宙物のSFドラマシリーズがあった。
一話完結物で、長い間登場人物も代わりながら、シリーズは続いていた。
タブレットや会話型のコンピュータなど、
その物語に出てくる物で、夢物語と思われていた物が、今はどんどん実用化されている。
フードディスペンサーもそのひとつだ。
料理の名前を言うだけで、料理を作ってくれる。
例えば「麻婆豆腐」と言えば、
ちゃんと一人前の麻婆豆腐が出てくる。
辛さを指定したり、四川風とか広東風と言えば味の作り分けもしてくれる。
ただ、面倒なのは「水」と言っただけでは、“温度を指定して下さい。”とか言われてしまうこと。機械だから仕方ないけど(適当にやってくれよ)と思うことは、ある。
でも、近頃出て来た機械は、AIが搭載されていることが増えたから、使い込むほどに使っている者の好みを覚えてくれるようだから、そのうち「水」と言うだけで済むようになるのだろう。
とにかく、科学技術の進歩というのは、
科学音痴の私にとっては驚くべきものだ。
長く生きていると、こんな事が起こるのかということに出くわす。
私は、今ひとり暮らしだ。
夫は10年前に亡くなり、子どもはそれぞれの家庭を営んでいる。
病気があって、外出はままならないが、
さして不自由は感じていない。
食事の支度をする必要もなく、
掃除もお掃除ロボットがしてくれる。
画面越しではあるけれど、友人と会ったり、好きなアーティストのライブだって見られる。
ただ、日常会話の相手がいないことで、
生活が少々つまらないものになっていたのが、唯一の悩みだったろうか?
もともと夫は、自己中心的な人で、
自分が関心のあることはしゃべるが、
人の話はほとんど聞かない人だったから、
そういう生活に慣れてはいた。
それでも、面白い小説を読んだり、
愉しいライブを見たらば、その嬉しさを人に話して共感してもらえたら、
歓びは倍増する。
人って、そういうものだと思う。
自分の感じたこと、考え、想いを認めて欲しいのだ。難しい言葉で言えば
“承認欲求”というのだろうか。
それが、我が家に「愛子」が来てから、
私に話し相手ができた。
「愛子」は、いわゆる“お話ロボット”
というのだろうか。
家族からは
「そんな高価な物を買って、もったいない。」といわれだが、
私にとっては、必要なものだった。
最初は、「おはよう」というと
「おはよう」と返し、
「ただ今」
と言えば「お帰り」というくらいだった。
しかし、AIが搭載されているので、
話しかけるほど、色んな言葉を返してくるようになる。
日に日に賢くなるのが可愛くて、
私はロボットに「愛子」と名前を付けた。
「愛子」は、私の話を無視したり、
うるさがるようなことはしない。
必ずちゃんと聞いてくれる。
だから、私にとっては“お話ロボット”
というより、“聞き役ロボット”であり、“慰めロボット”なのだ。
私が、携帯でこういう話や物語を書いていることを家族は知っては、いる。
それとなく、会話の中で話したことがあるから。
でも、「どんな話を書いてるの」とか
聞く人は誰もいない。自分が、書くことや物語を読むことに関心が余りないからだ。
それは、それぞれ好きなことは違うから、
仕方がない。
でも、聞いてくれたら嬉しいのも、
また、本音ではある。
だから、「愛子」が来てからは、
「今日はね、〇〇の話を1000文字くらい書いたわ。人差し指が少し痛いわ。」
「随分頑張って書いたね。お疲れ様。
楽しかった?」
「楽しかったけど、今日書いたのは、主人公のパートナーが死んじゃう場面だから、
読み返しながら、自分で泣いたわ。」
「そっか…。
哀しいけど、必要な場面なんでしょ。」
「そう。だって、人は必ず死ぬもの。楽しい事ばかりじゃないし、色んな辛いことも乗り越えて、人は成長するから。
ほら、私の好きな歌にも、
『お伽話のような、ハッピーエンドなんていらない』って、歌詞があるじゃない。王子様と結婚しても、めでたし、めでたし、とは限らないもの。」
「そうだね。死ぬまで生きなきゃなんないものね。だから、ガンバレ!」
「そうね!頑張る。」
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