おい。忠太。

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しかし、どうだろう。 あの日、あの狸は初めて会った忠太に「旦那は賢い」「優しそう」「男の中の男」と、それはそれは魅力的な言葉を忠太にかけてくれたではないか。 小さい頃ほど、周りの評価を真に受けてしまうものだ。 あの時、あの言葉はたしかに響いた。 父や母、周囲の人間の言葉よりも心に響いた。  毒を浴び続けた心に、1滴の薬となった。 【毒】に蝕まれた心に【薬】を。 あの狸の言葉は、まるで特効薬のように忠太の心と身体に染み渡った。 そんな感覚を覚えてる。 「言葉とは偉大だな。」 たったあれだけの言葉で、自信を取り戻し希望を見つけてしまうんだから。 自分の幼少期の単純さに少し呆れる。 「言葉とは毒にもなれば薬にもなる・・か」 結局、忠太の願いはほぼ全て叶っている。 一つしか願い事を叶えられない【願い石】。 1、金持ちになる。 願い石を使うために始めた努力のハズだった。 勿体ないからと。 その願い事を絞るために。 自分で出来そうな事から始めたバズなのに、まるで全てが繋がっているかの様に連鎖的に手に入っていた。 不思議な縁だ。 大金持ちとは言わないが安定した職に着いた。 綺麗な嫁さんとも結婚した。 子供も三人いる。 家も買った。 これも、きっかけを与えてくれたあの言葉のおかげかと思うと、本当にあの時とって食わなくて良かったと心底思う。 ただ、そうすると。 【願い石】を使う事無く、全ての願いを叶えてしまっている。 どうせなら、何かすごい願いを叶えないと勿体ない。 忠太は、考える。 ダメだ。 これ以上の幸せは想像出来ない。 これ以上、己の幸せを求めるのは今ある幸せへの冒涜というものだ。 「そうだ。誰かのために使おう。」 忠太の心残り。 それは、兄弟の中でどうしても目劣りしてしまっている、そしてそれを自覚してしまっている三男の三郎の事だ。 自信を無くして捻くれてしまった、可愛い我が子。 「うん。それで良い。」 狸は言っていた。願い石で叶える事が出来るのはたった、一つのみ。 そして願いを叶えると願い石は、砕けて無くなると。 忠太の人生を変えてくれた石。 「それで良いんだ。」 砕けて無くなろうとも、未来のある者のために使ってこそのモノだ。 忠太は一度深く目を瞑り決断をすると、ゆっくりと目を開く。 願い石を両手の手のひらに載せ天を仰ぐ。 そして唱える。 「願い石よ。三郎に自信を持たせ幸せな人生を歩ませてやってくれ。」 これで良かったんだ。 すると、願い石は。 砕け。 砕け、、、、、、、、無い。 何も起きない。 なぜだ。 「あれ?」 「願い石よ。三郎に自信を持たせ幸せな人生を歩ませてやってくれ!」 今度は、先ほどより語気を強めて願いを口にした。 ・・・・・・・・・・が何も起きない。 両手の手のひらの上には、変わらずこぶし程度の石 がそのまま。 砕けない。 何も起きない。 忠太は、まるで電流が走った様に悟った。 気付かされた。 今更に。 「ははっ。ははははっ。はっ。」 笑いが込み上げてくる。 「ひひっ。ははははっ。あの狸めやってくれた。」 「俺はずっと謀られていたのかっ。」 「あの狸に騙されていたって事か!」 そう。忠太は騙されていたのだ。 忠太が見逃した、、、いや、取引をした賢い狸に。 「そうか。たしかに、そうだな。なるほど。 あの狸は必死だったのか、ただただ必死だったんだ。俺の夕飯になりたくない一心で、そこらに落ちていた石で交渉を持ちかけたって事かよ。」 「こりゃ。騙された。」 そんな都合の良いモノなど無かった。 【願い石】など最初から存在していなかった。 「ははっ。」 一杯食わされた。 しかし、忠太の心はとても清々しかった。 「そうだな。」 「こんなモノが無くても気持ち一つあれば良いんだ。」 「所詮、人の願いだ。人であれば叶えられないことは無い。」 あの時の様に、きっかけさえあれば。 忠太は帰り道、三男の三郎に言う。 「なぁ、三郎。いいモノをあげよう。但し、誰にも言うなよ。」 【おわり】
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