おい。忠太。

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忠太は職場の近くにアパートを借りた。 決して広くは無かったが、一人で住むには十分過ぎる程度にはあった。 今まで住んでいた、オンボロな家(小屋)に比べれば生活環境はすこぶる良かった。 そして、人にも恵まれた。 職場の仲間は、とても優しく忠太に接してくれる。 役場に勤めて十数年が経った頃、忠太は同じ職場の女性と交際をする事になった。 当然。 初めて出来た恋人だったが、その女性もまた忠太が初めての恋人だったそうだ。 名は、秋子(あきこ)という。 秋子の両親は幼少期に事故で亡くなっており、以降は叔母の家に世話になっていたという。 親の居ない二人の境遇はどこか似ていて、でも決定的に違っている。 忠太が40歳になった頃、秋子が妊娠した。 流れに身を任せる様な形で、二人は結婚を決めた。 しかし、何にも問題は無い。二人は愛し合っていたから。 その後、二人の間に第一子となる男の子が生まれた。 名を【一郎】と名付けた。 安直な名前と見えるだろうが、忠太にとって名前など所詮名前でしか無いのだ。 大切なのは中身であり、人となりだ。 忠太も自分の名前の由来など知らない。 息子が生まれた事を境に、忠太は家を建てた。 特別に大きい家では無いが、一般的な2階建ての一軒家。 役場勤めの二人には、それなりに貯蓄があったし娯楽や贅沢に縁の少ない忠太には払えないものでは無かった。 忠太が50歳を過ぎた頃には、三人の子宝に恵まれた。 長男の一郎。 次男の二郎。 三男よ三郎。 気付けば忠太の家庭は、父母に子供三人の大所帯となっていた。 やはり、子供は良い。毎日が騒がしく楽しい。 すくすく成長していく姿は目が離せない。 成長してくると、それぞれ個性が出てくる。 長男の一郎は、真面目で頭も良い。 次男の二郎は、人当たりが良く誠実に育った。 三男の三郎は、・・・・あまり優秀では無かった。 優秀な兄二人に比べて、三男は要領が悪く人当たりも良くない。それでいてひねくれていた。 仕方がないと言えば仕方がない、常に周りから優秀な兄二人と比べられ育ったのだから。 まるで、少年時代の忠太を見ている様だった。 忠太が60歳を超える頃、既に長男と次男は自立し働きに出ていた。 家には秋子と、働きもせずダラダラ過ごす三男の三郎が居るのみとなっていた。 ある日忠太は、三男を鹿狩りに連れて行った。 役場に勤めてからは、趣味程度にしかやっていなかったが定年を迎えてからはちょくちょく鹿狩りに出ている。 そして、気まぐれに。 本当にただの気まぐれだった。 忠太は三郎を連れて昔住んでいた古巣。あの幼少期を過ごしたオンボロな家を覗きに行った。 忠太があの家を出てから、もう40年近くも経っている。 ひょっとしたらもう、雨風にやられて潰れているかもしれない。 若干の緊張と高揚感を胸にあの場所へ向かう。 不思議なもので、身体は道を忘れていなかった。 まるで今朝出てきた家に帰るように、自然に歩を進める。 整地されていない山道を進むとポツンと一つ小屋が見えてきた。 「俺の実家だ。良かった。潰れていなかった。」 三郎は目を丸くして心底驚いていた。 忠太も既に、普通の生活の方が長くなっていたせいか、自分でもその小屋の有り様を見ると信じられない気持ちが湧き上がってくる。 こんな小屋に、家族三人とは。 「フッ。入るぞ。」 ギィーーー。 忠太は、40年ぶりに実家のドアを開けた。
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