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第12話 進路希望調査
進学校において、進路希望調査は大事な行事の一つ。
ここに通う多くの学生が一流大学を目指して頑張っている。
例えば、学年トップの秀才男子生徒福井の第一志望は今のところは東大だ。
彼的には、京大も良さそうだと思っていたが、そのために知らない街で独り暮らしは厭うらしい。
担任の教師が進路希望調査表を生徒に書かせた後、別の部屋で個人と面談をする。
その間は自習となるのだが、ほとんどの生徒が真面目に自習など行うはずもなく、進路についての話で盛り上がっていた。
その中にクラス1の人気者、成瀬もいた。
いつものようにクラスメイトの女子が彼の机を囲んでいる。
「そう言えば、成瀬君のお父さんって官僚ってほんと?」
興味本位で成瀬に質問をする女子。
成瀬はにっこり笑って頷く。
「そうだね。財務省に勤めているって聞いているかな」
「そうなんだぁ。すごぉい。やっぱり成瀬君のお父さんだね」
「DNAから違うって感じ!」
成瀬の周りで勝手に盛り上がっている女子たち。
その後ろではため息しかついていない浜内とひたすら居眠りをする結城がいた。
「じゃあ、成瀬君も官僚とか目指してるの?」
ひとりの女子が聞いて来た。
成瀬にとってこの質問は何度目だろうか。
親が官僚なのだから官僚を目指すのだろうと思われがちだ。
現に医者の家の浜内は必然的に医者を目指させられている。
「いや、俺は官僚になる気はないよ」
それは本音だった。
他になりたい仕事があるのも事実だが、父親の苦労している後ろ姿を見ていたら、官僚など目指したいとは思わなかった。
父親が家に帰ってこないのは、不倫相手の家にいるからもあるが、それ以上に仕事が忙しすぎて帰れないことも多いのだ。
実際、今や厚生労働省が一般企業に無駄な残業をさせないように言い聞かせてはいる中、その中央庁がそのルールに逸脱している。
「じゃあ、何になるの? 弁護士とか? お医者さんとか?」
頭がいいと大半が医者や法律家になることを決めつけたように聞いて来る。
医者も法律家も立派な仕事だ。
しかし、なりたいかなりたくないかは本人の意思による。
そんな時、一足先に面談を終わらせたクラスメイトが成瀬に声をかけた。
次は成瀬の面談の順番のようだった。
成瀬はごめんねと周りに断って席を立ち、担任のいる準備室へと向かった。
担任はじっと成瀬の進路希望調査の用紙を見ていた。
当の本人はにこにこ笑いながら向かい合わせの椅子に座っていた。
これは本当に成瀬の進路希望調査表なのか疑わしい目で表と彼の顔を見比べた。
そして、意を決して確認をする。
「成瀬君。あなたの第一希望は保育士で間違いないのよね?」
成瀬は成績がいい。
目指そうと思えばどんな仕事にもつけるだろう。
それなのによりにもよって保育士とは思わなかった。
「ダメですか?」
成瀬は困った顔で答えた。
そんな子犬の助けを求めるような顔で見つめられたら、担任は何も言えない。
「だめじゃないけど、このことはご両親とも話をしているのよね?」
「まだですが、母は俺の進路は俺に一任すると言っています」
成瀬は自信満々に答えた。
実際、母親の杏子は息子の進路には興味がない。
適当に生きて、自分たちに迷惑をかけなければそれでいいと思っているのだ。
それと出来れば自分の酒代を代替わりして欲しいとも思っている。
担任は大きくため息をついた。
「で、第二希望が料理人。第三希望が看護士ね……」
別にどちらも悪い職業ではない。
その手のプロになって成功する人もいる。
しかし、なぜ県内トップとも言われるこの進学校に入学して、全く関係ない仕事に就こうとしているのか意味が分からなかった。
担任としては勿体ないとしか思えない。
「せめてさ、この第三希望を看護士じゃなくて、医者にはできないのかしら。あなたなら都内の医大にだって合格できるはずよ」
担任は紙を手にしながら言った。
しかし、成瀬は首を振る。
「俺は少しでも患者によりそう看護士になりたいんです。だから、目指すなら専門学校に通うつもりです」
「なら、この料理人も専門学校に通うつもりなの?」
それはと、成瀬は頬を緩めて答えた。
「必要ありません。もう既に俺には師匠がいますから」
「師匠!?」
どういうことなのか理解できない。
成瀬は既に修行を始めているということなのか?
「ちょっと待って。あなたどこかの店で修行でもしてるの?」
「はい。酒場とおるでアルバイト中です!」
彼は満面の笑顔で答えた。
むしろ輝かしすぎて見られないほどだ。
先日アルバイト許可申請を出してきたと思えば、まさか居酒屋のバイトとは思わなかった。
料理人と言うぐらいだ。
どこかの有名割烹料理とかホテルのフランス料理などを想像していた。
倒れそうな身体を起こして、成瀬には次の生徒を呼ぶように頼んだ。
次に現れたのは、あの問題児の結城だった。
結城は不機嫌そうに肘をついて、あくびをしている。
教師をなめているような態度が本当に腹立たしかった。
担任は結城の進路調査表を見た。
結城はこう見えても学年1の成績を取る秀才だ。
生活態度についてはひとまず置いておいたとして、せめて進路はまともであれと願った。
が、願いなんてものはいつも裏切られるものだ。
「第一希望は居酒屋経営、第二希望は社長、第三希望に至っては投資家……。結城さん、この結論に行きついた経路についてわかりやすく先生に説明してもらってもいいかしら?」
結城は面倒くさそうに耳の穴をいじりながら聞いていた。
正直、結城にとって進路希望調査自体がどうでもいいのだ。
「居酒屋経営は既に実践中です」
確かに結城の実家は居酒屋だった。
それほど大きい店でもなかったから、家の手伝いか何かだろうと思った。
「そして、将来的には支店を展開し、他店を買収。チェーン店及びフランチャイズ化を目指し、グループ会社を設立します」
なんだか話が壮大になってきた。
彼女のことをお淑やかとは冗談でも言わないが、結城はもう少し現実的な思考の人間だと思っていた。
「最後にその儲けた金で投資をします。いずれは投資家として遊んで暮らす予定です」
とんでもないやつだ。
想像以上に結城が大物になりそうな予感がした。
そして、彼女の根本は働きたくないであった。
最後に呼ばれたのは浜内だった。
彼の進路調査表を見つめる。
第一希望 慶応議塾大学医学部 偏差値75.5
第二希望 大坂大学医学部 偏差値74.7
第三希望 東京磁慧会医科大 偏差値71.7
担任は愛想笑いを浮かべる浜内に顔を向けた。
「浜内君、再提出!」
「ええ――――っ!」
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