第2話

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第2話

 案内がてら散歩の冬彦と近所のスーパーマーケットに出向いた由良が様々な食材を大量に買い込んで帰ってくると、もう晩秋の日は暮れていた。急いで由良はキッチンに立つ。  置かれていたベージュのエプロンをして昆布と鰹節で出汁を取った。その間に茶碗蒸しの具を下ごしらえし、取った出汁と溶き卵を合わせて裏ごしする。野菜たっぷりの味噌汁を作り、塩サバを焼いて、ほうれん草のおひたしを作った。メインは舞茸にエビとイカの天ぷらだ。  純和風のリクエストに応えた訳だが、冬彦自らが手を入れたというキッチンは、これだけのものを作りながらも、初めて使ったとは思えないほど動きやすく作業効率も良かった。  お陰で一時間と経たずに料理が食卓に並べられる。  本日の食卓は現在使っていないという居間で、座卓は今時珍しい丸いちゃぶ台だった。  由良の手際を半ば呆気にとられて眺めていた冬彦も四角い盆に載せた料理を運ぶのは手伝う。ちゃぶ台に並んだごちそうを見て本当に嬉しそうな顔をした。 「守谷さん、飲まれるなら晩酌していいですよ」 「俺のことも冬彦でいい。けど、飲むよりも熱いうちに食いたいな、これは」 「そう言って貰えると、作った甲斐があります」  少量のおろしショウガと大根おろしの入った天ぷらのつゆ、熱々の味噌汁に白いご飯が揃うと、二人とも行儀良く手を合わせてから食べ始める。  食事を開始して五分と経たないうちに冬彦はご飯のおかわりを要求した。 「もう少しゆっくり食べないと、口の中をやけどしますよ?」 「いや、旨くて。それにプロが作る料理にない、懐かしさみたいなのを感じるな」  飾り立てた称賛より嬉しい言葉を貰い、おかわりの要求に応えると由良もゆっくりと食事を口に運ぶ。TVはあったが点けず、静かに咀嚼しつつ由良は冬彦を眺めた。  それこそ雑誌の編集者が飛びつきそうな、端正な顔立ちをしている。シャープなラインを描く頬に切れ長の目。かなり長身で胸板も厚みがある。スポーツでもしていたのかも知れない。  その半面、箸使いが非常に綺麗で結構いい家で育った感じだった。実際、古びていても一軒家を相続するだけの立場なのは確実なのだが、『お坊ちゃん』という雰囲気ではない。独りで立てない男には見えなかった。 「――で、由良は泊まっていくんだろう?」 「えっ、何ですか?」  冬彦を見るばかりでロクに話を聞いていなかった由良は訊き返す。 「田舎のバスはもう最終が出た。見ての通り、部屋なら余ってる。遠慮せず泊まっていけ」 「ええと……じゃあ、お世話になります。このご恩は朝ご飯で返しますので」 「それも有難いな。でもメシで釣れる男だと思わんでくれ。本当に旨かったんだ」  しっかりメシで釣れた男はそう言い、これもおかわりした味噌汁を飲み干し食事を終えた。 「あー、久々に食ったな」 「また『久々』って、いつもは何を食べているんですか?」 「朝は食パンかじって、昼と夜は外食かコンビニか店屋物ってとこか」 「うわあ、典型的ですね。明日もしっかり作らなきゃ」  見事に空になった食器を二人でキッチンに運び、食洗機に入れてしまうと、リビングに移って冬彦がまたコーヒーを淹れる。二人掛けソファに収まった由良は手渡されたカップから立ち上る湯気の匂いを嗅いで首を傾げた。 「ああ、香り付けのブランデーだ。ディジェスティフ、食後酒代わりってとこだな」 「ふうん、そういうのもあるんですね」 「あれだけの料理の腕を持っていても、そういうのは知らないんだな」 「基礎だけ教わって、あとは全部自己流ですから」 「それはすごいな。でも日がな料理作ってる訳じゃないだろう。普段は何をしているんだ?」 「いつもは、ええと……」  天井のシーリングライトを見上げたまま固まってしまった由良を見て、返事に窮するくらい数々の『お使い』で食い繋いでいるのかも知れないと思い、冬彦はそれ以上訊かなかった。  代わりに煙草を咥えて火を点け、盛大に紫煙を吐く。 「それを飲んで一息ついたら風呂、先に使っていいぞ。着替えも俺ので良ければ出してやる」 「はあ、ありがとうございます、助かります」 「風呂の湯もオートで溜まってる筈だ。もう入るか?」  妙に可愛らしく頷いた由良に着替えを出してやろうと煙草も半ばで消した冬彦は、立ち上がった由良がふらりと倒れかかるのを目にして慌てて手を差し伸べた。間一髪で間に合い、ロウテーブルに身をぶつける前に由良の左腕を掴む。 「どうした由良、大丈夫か!」  思わず大声を出しながら、ふにゃふにゃした躰を再び二人掛けソファに座らせた。 「何処か痛いのか? それとも何か持病の発作か?」  矢継ぎ早に訊く冬彦に対し、由良は緩慢に首を横に振る。 「僕……下戸なんです」 「下戸ったって酒なんか……コーヒーのブランデーか?」  赤い顔をして頷く由良に、冬彦は驚くとともに呆れた。 「って、ほんの少し垂らしただけだぞ? 大体、だめならだめで言えばいいだろう?」 「でも……あんないい匂い、初めて嗅いだから大丈夫かもって」  頭を振って冬彦はキッチンに出向き、大ぶりのグラスにミネラルウォーターをなみなみと注いで持ってきた。ソファにへたりこんだ由良の頭を支えて飲ませようとし、まだふにゃふにゃしているのに難儀して、自分で口に含むと由良に口づけ飲ませる。せっせとエサを運ぶツバメの親の如く何度も口移しで水を与えた。急性アル中で救急車はご免だ。  そんな状況で下心など全くなかったが、最後のひとくちを飲んだ由良の方から舌が差し出され、瞬間考えたのちに冬彦はそれを吸い上げる。柔らかな舌から今度は冬彦が唾液を何度もすくっては飲み干した。苦しいほどに激しく絡ませ、由良の舌先を甘噛みして離れる。 「んっ、んんぅ……はぁん」  ため息とも喘ぎともつかない吐息を甘く洩らした由良を冬彦は目を眇めて見た。 「……どういうつもりだ?」  出した声は我ながら低く陰惨に聞こえた。  冬彦は女性がだめで、だが公言していない。公言どころか隠すことに非常な努力をし、配慮を怠らず今まで何とかやってきたのだ。  突然訪れた、はっきり言って正体不明の男に誘われ、このまま応えてしまっては爆弾を抱えるようなもの、警戒し神経を尖らせるのは当然のことだった。  そもそも男を自宅に泊めようとしたこと自体、冬彦自身が油断していたのだ。だからといって外に放り出せはしない。晩秋の風は冷たく、それこそ救急車か凍死だ。  臍を噛む思いで考えていると、ふいに由良が立ち上がった。 「お風呂、入る」 「酔っ払いはだめだ、もう少し醒めてからにしろ」 「酔ってないもん」 「いや、確実に酔ってるぞ、それは」 「だってイカの天ぷらは油がはねるんだよ?」 「ああ? 何を言ってるんだ?」 「油臭いまま寝たくないの。心配なら冬彦さんも一緒に入れば?」  ため息をついて冬彦は暫し立ち尽くす。本当にたちの悪いモノを拾ってしまったらしい。こちらの出方を上目遣いに窺っている。口元には笑みまで浮かべて明らかに誘っていた。  蠱惑的な微笑みを前に冬彦はめまぐるしく考える。  様々な女性と浮き名を流しては、うわべだけの付き合いで破局し、それをすっぱ抜かれたこともある冬彦だ。有名税だと割り切ってきたが、それは本来の性癖を隠すためでもあった。  ここで誘われ抱いたとして由良と冬彦、どちらの言い分が通るだろうか。  自分でも最低と思える計算をそこまでして、やっと腹を括った。  下戸は本当らしく、まだふわふわとしている由良の細い手首を握ると、みしみしと鳴る暗い廊下を歩いてバスルームに向かう。
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