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12 YOKO
「安心はいつか退屈になり 平穏はいつか平凡になる」
人は幸せを求める。でも幸せはいつか日常になって人を腐らせていく。なんのために生きるのか。陽子(ようこ)はずっと考えてきたが答えはない。答えがないから、求め続けてここまで生きてきた。
「私は何のために生きるのだろう」
その答えを求めにこの世界に入った。陽子は見た目どこにでもいそうなごく平凡な容姿。スタイルも日本人の若い女性の平均的スタイルだ。
入店時に面接した47歳の店長の渡辺は陽子の採用をちゅうちょした。人懐こいというわけでもなく、ややツンデレと感じられなくもない。しかしどことなく影のある陽子だが、話すとその一言一言に、何か分からないが人間としての魅力の奥行きを感じた。
どこにでもいそうな素人っぽい容姿、業界の女性にない雰囲気を醸していることを好む客もいる。渡辺に一言だけアドバイスした。
「サービス業なので、店にいる時は笑顔で接してほしい」
そして渡辺はどことなく影を引く陽子を気にし、時折声をかけ相談に乗るようにした。
◇
店にはいろいろな過去を背負った女性が入店を希望し、多い日には5人ほど来ることがある。入店希望者の中には、愛していた彼氏にふられて自暴自棄になった人もいたし、経済的に追い詰められ無理心中寸前の人もいた。単純にセックス好きという女性もいれば、バイト感覚の好奇心からやって来る人もいる。
店としては事情がどうであれ人気が出て利益をもたらしてくれそうな女性は採用したいのが本音だが、かわいいからとやみくもに採用しても、結局長続きしないばかりか余計なトラブルを抱えたり、店の信用を失ったりする可能性もある。そして何より本人のためにならない。
渡辺はこの店を任される前に勤めていたソープランドで、客とのトラブルからネット上で悪評を流され客が激減し廃業に追い込まれた苦い経験がある。サービス業の基本は人材。人材こそ宝。それは、決して表の世界とは言えないこの業界でも同じだ。
その精神で、従業員の女性には親身に相談に乗り、目配りをしてきた。そして女性たちが働きやすい環境の下、店の評価を上げてわずか1年後には人気店の仲間入りをし、自他ともに「勝ち組」と言われるほどになっているのだ。
◇
風俗業界の実態は今も昔も謎につつまれている。なぜなら風俗業界の公式な統計は警察白書の店舗数ぐらいしかないからだ。しかも都道府県公安委員会に許可届が出され認可された数で、デリヘルなどの無店舗型は営業をとりやめたものの許可だけ残っているケースもあり、その数も実態とイコールとは言いがたい。
そして、「エリート女性社員が売春行為」などとマスコミに特殊なケースばかりセンセーショナルに取り上げられる。また、「経済的な困窮や裏社会の影響で風俗に就労する」という世間で広まっているイメージで小説や映画などに再三登場することが多い。このような事例ばかり繰り返し目にするため、性産業の実態から世間の認識が離れてしまっていると渡辺は感じている。
ある専門家が2010年代に風俗雑誌の広告掲載の数を基に全国で営業している店舗数を推測。ソープランドの店舗型2000店、デリヘルなどの無店舗型8000店の計1万店と推測している。
一方、別の専門家は店舗への聞き取り調査から、1日の来客数平均40人で1人あたりの支払いが約5万円、1店あたり年間約7・5億円を売り上げていると推計した。これを2000店で計算すると年間売り上げは約1・5兆円。無店舗型なども同様に推測して、風俗市場全体で約3・5兆円程度と推計できるという。全国の百貨店の売り上げの総計が5・5兆円(22年度)なので同規模の一大産業だ。
また、1店あたり在籍数は聞き取り調査から約30人なので、風俗業界に関わる女性は約30万人と推計。1950年代に売春防止法施行前にあった約50万人との統計上の数とほぼ同規模なことから、ほぼ当たっていそうだ。また、「婦人補導院統計」から売春防止法違反で補導処分になった20歳以上の女性の平均売春経験年数は65年に7・7年、75年に9・3年、88年に9・8年などで長期化する傾向となっていた。仮に平均10年だとすると、毎年3万人が就労する計算で、これは日本人女性の5%に相当。女性の20人に1人が経験する職業ということになる。いわば、特殊な職業ではないということだ。
渡辺が感じるのは、ここで働く女性はみな、さまざまな事情を抱えているものの、決して特異な女性というわけではないということ。しかも肉体を駆使するハードな仕事を長く続けるということは、彼女たちはこの仕事に何かしらの魅力を感じている部分が少なからずあるのではないかと思っている。
◇
渡辺の店のホームページには、従業員の女性を紹介する写真が載っている。写真の脇には身体のスリーサイズをはじめ、出身地や前職、趣味などのプロフィル、自分のPRコメントや店のおすすめコメントが書かれている。そして写真を含めたブログが書き込めるようになっている。ブログには多くの女性が客への感謝の言葉や男心をくすぐるたわいものない日常を紹介し想像力をかきたてるように仕向けている。
陽子は入店当初から他の女性と違って、読んだ本や音楽の歌詞の批評や、日常の出来事を文学的なフレーズを用いて書き込んでいた。ひと昔前の退廃的で厭世(えんせい)的な雰囲気を醸す文章は、この世界にそぐわない気もしたが、客の趣味は多種多様。渡辺は、いっそ彼女の独特な世界観を「ブログでつづってみたらどうか」と提案した。
◇
陽子は24歳でこの業界に入るまで、リストカットを繰り返してきた。初めて自らを切りつけたのは高校2年の時。今考えると死にたいと思ったわけではなく、勢いでパニックになって切りつけていた。数カ月に一度のカットを繰り返した時期があり、大学2年の時には切りすぎて入院したこともあった。
父親は大手広告代理店に勤めていた。同僚たちの才能にストレスをため、家では酒におぼれ、アルコール依存症だった。飲むと家族に暴力をふるうこともしばしばで、幼い頃から父親に殴られた。殴られる理由は父の機嫌以外になく、ストレスのはけ口だった。
姉は優秀で現実的。有名国立大に進学し銀行に就職し職場結婚。順調な人生を歩んでいた。一方、陽子は放任されていたこともあり、次第に詩の世界にこもり、死や退廃的なものに心を逃避させていった。優秀な姉への対抗心もあったかもしれない。高校の吹奏楽部に属していたこともあり、音楽の世界と作詞をして心を紛らわせた。
◇
大学は一流私立大学の経済学部に進学した。文学部に行きたかったが、受からなかった。大学ではサークル仲間でバンドを組み、陽子はボーカルと作詞を担当。音楽活動を本格化させた。卒業後は就職せず、ライブハウスで歌ったり、作詞を音楽制作会社に売り込みに行ったりしていたが、目立った成果は得られなかった。
そんな中もリストカットにつながるパニック症状は落ち着かず、「この世に自分の居場所はない」ような気分になった。
次第に「本当に死のう」と意志を持ち行動しようと考え始めていた。自分にはこの社会に居場所はない。この世のどこかに自分の居場所があるだろうか。そんなことを考えているうちに、〝この社会から外れた世界〟としてこの業界が目に留まった。
「ここで居場所がなかったら死のう」
そう思って飛び込んだ。
もちろん家族には内緒だ。「バイトに行く」と言って、週3日のペースで昼間出勤した。初めは抱かれたくない男もいたが、我慢した。そして相手に合わせ、恋人のような愛を演じると、相手が自分に対して好意を持ち、心が動いていく様子も実感できた。
24歳という若さも武器になったとは思うが、なかなかさまになっているのではないかと自負できた。そしてすぐに何人かから指名も得られるようになった。早くも入店3カ月目には、店が発表する指名ランキングトップ10に入ることができた。
「自分の居場所ができた」
一人で祝杯をあげた。
◇
あれから10年。1年半勤めて一度は足を洗い、居酒屋のバイトを始めた。しかし、あまりの激務に1カ月ともたずに辞めた。その後、半年間だけ吉原に戻ったが辞め、ぬいぐるみ店やスーパーのレジ係など、かたぎのバイトに入るものの、自分の居場所と思えず次第に手首にカッターを当てる生活に戻った。そして再び吉原に戻るというのを繰り返した。
いまの店に来て4年になる。これまでで一番長く在籍している。週に3日のペースをたもち、それ以外の時間は作詞と音楽活動に没頭する。そして店長に勧められて書くブログは、詩を基に刹(せつ)那(な)的で、時折、絶望感をただよわせたどこか死の影がちらつく独特な世界観でつづっている。
ほかの女性のブログとは明らかに違い、自身もそれに呼応して黒のスケスケの下着を着て淫乱(いんらん)を演じる。そんなどこか深さを感じるところがファンと呼ぶにふさわしい熱烈な客を引きつけている。
◇
そんな陽子の一番こころ安らぐのは詩を作っている時だ。小説だとつじつまが合わなかったり、初めに書いていたことと矛盾がおきたりする。フィクションでも現実にはあり得ずにおかしいと突っ込まれるのが嫌だった。
だが、詩はフィクションでもノンフィクションでも関係ない。リアルさがなくても、自由でいられる。だから向き合える。どこか夢だか現実だかわからないような、それでいて一瞬の刹那の愛が繰り広げられる世界。どこかココに似ている気がする。
「来月35歳になる。自分の居場所といっても、ずっとここにいられるわけじゃない。頑張ってもあと数年かな」
次なる居場所を見つけるまでここで稼ぎ、ここで過ごしていこうと思っている。
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