二日目、午前

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「普通に考えれば木村さんが殺されて犯人は部屋を出たということになる。慌てていたのだろう、飛び出して扉を最後まで閉めなかったからほんの少し開いてしまったんだ」 「なるほど。犯人が冷静だったらオートロックを閉めて密室殺人に見せるはず。それを確認せずに慌てて逃げたのなら扉が開いていてもおかしくは無い。つまり突発的な犯行だった」  久保田と香本の会話に二人はふんふんと頷きながら聞きいっている。梅沢達からすれば香本の頭の回転の速さは正直ありがたい。  三人でよく真面目に伝承などの研究に取り組んでいる時、実は取りまとめなどをしているのは香本だ。調査する内容、推測、仮説、どのように結論づけるかなど、香本は群を抜いて優秀なのだ。彼に手助けしてもらっているから研究がはかどっていると言っていい。普段口数が少なく連絡先も知らない、それほど深い付き合いでは無いのだが頼りになる存在だった。 「それにしても玄関まで血が飛んでいるって、出血量も出血の仕方もすごいということですよね。玄関先で亡くなっていたんですか」 「布団の上だ、一応本人確認の為私も見た。あの部屋は広い、扉の方まで血が飛び散っているとなると頸動脈かもしれない。もしくは扉の近くで襲われて布団の方まで移動したか、犯人がそこに運んだか」 「いずれにせよそんなすごい殺され方をしたなら悲鳴をあげてるはずじゃないですか。誰も聞いてないんですか」  梅沢の疑問に久保田は小さく頷いた。 「旅館の人の話ではそういうことだった。何かおかしなことがなかったか両隣の部屋の人に聞いても特に何も気がつかなかった、と言っていたらしい。つまり犯行が行われたのはみんなが寝静まっている夜中から明け方近くということになる。このあたりは警察が死亡推定時刻を割り出すだろう」 「木村先生も寝ている時殺されたとか?」 「それはわからない。あの人は酒が入ると結構遅くまで起きている人だからな。多分部屋に戻ってきて一人で飲んでいたはずだ」  そうなると色々とおかしなことがある。両隣の部屋の人たちが深く眠っていて悲鳴に気づかなかったとする。もしも犯人が寝静まっている時を見計らって部屋に来たのに木村が起きていることに驚いて動揺したのなら、犯行後に扉を最後まで閉めずに飛び出していってしまったのもわかる。  しかしそれなら犯人は一体どうやって木村の部屋に入ったのかという事だ。 「起きている木村さんの部屋を訪ねて入れてもらったとしか思えない。もしくは事前に鍵を預かっていたか。そう考えるとそれこそ顔見知りの犯行ということになる。だから警察は我々に疑いの目を向けているのだろう」 「あ、だから木村教授と一夜を共にした人はいるかってあの人聞いてきたんですね」  守屋もようやく納得したように言った。てっきりあの時はあの捜査官のセクハラじみた嫌味なのかと思っていたが、警察はそこまで目星をつけていたのだ。  夜に男性の部屋に行くなど誰がどう考えてもそういう目的でしかない。もちろん男性が何か用事があったということもあり得るが、男女どちらかと考えたら真っ先に浮かぶのは女性の方だ。 「じゃあ結局、私か相川さんが疑われ続けてるってことですね」 「それも含めて我々全員だ。あまり思い詰めないことだな。それに犯人じゃないのだから堂々としていればいい」  淡々と、しかしすぐ近くにいる警察官とは違って気遣いが見られるその言葉に守屋は小さくうなずいた。 「ここまで深く突っ込んで聞いていいのかどうかは分かりませんけど。木村先生って誰かに恨まれたりとか、そういう人だったんですか。俺、申し訳ないですけど木村先生の事は別にそこまで好きでもなかったからあんまり詳しく知らないんですよね」  正直に言う梅沢に久保田も苦笑だ。 「亡くなった人を悪く言うのはやめておきなさい、とだけ言っておく。正直良い噂があまりないのは事実だ」 「それは具体的にどのような」  突然会話に入ってきたのは警察官だった。有益となる情報収集が必要なので今の会話に興味を持ったのだろう。 「詳しくは後できちんと調査をしてください。生徒の前であまり言いたくないのですが、ご推察の通り女癖はあまり良くないです」  その言葉に三人はやっぱりな、と思った。実は噂はあるのだ。美人にはだいぶ優しいし、二人で飲みに行こうと誘われたという話も多く耳にしてきた。中には単位をあげるから体を要求してくる、なんて話もあったくらいだ。もちろんそんなのただの噂で本当だったら懲戒解雇になっている。好かれていないが故のひとり歩きした尾ひれがついた噂だとは思うが。
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