二日目、午前

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「綺麗な絵でしょう」  突然後ろから声がして、驚いて振り返るといつの間にいたのか男性スタッフが立っていた。ニコニコと笑いながら横に立って絵を眺める。 「これってアケビなんですか」 「はい。この辺にはアケビは不老不死になるための神の食べ物だという言い伝えがあるんです」 「だから光ってるんですか」 「素晴らしいですよね。まるで見て描いたかのようだ」  男の横顔を見れば、うっとりした表情で絵を眺めている。まるで本当に不老不死の存在を信じているかのような、何かの信者を思わせる独特の雰囲気。  絵の端には「k.K」とサインが書かれていた。 「この絵の作者ってどなたなんですか」 「本名はわかっていないんです。サインのとおり、Kが二回。一文字目が小文字、二文字目は大文字。他にもいくつか絵を残されているんですが、作者に関する詳細な情報がないんです」 「なんだか不思議ですね、素顔を出さない芸術家は確かにいますけど一切の詳細がわからないなんて」 「本当に。五十年以上前に発見されたそうなので、ご存命なら高齢でしょう。ぜひお会いしたいのですが」 「……会いたい?」  少し気になってそう言うとスタッフははっとしたように姿勢を正し、小さく頭を下げた。 「この方の描いた絵が本当に好きなので、つい熱く語ってしまいました。失礼します」  その場を去るスタッフを見ながら香本は不思議な気持ちだ。絵が好きだと描いた本人に会いたいと思うのものだろうか。普通は絵が欲しいのでは? と思う。部屋に戻ってきて二人には今あったことを話した。 「そういえば掛かってたね。でもアケビだと思わなかった」  飲み物を飲みながら守屋が言うと、梅沢は立ち上がる。 「俺ちょっと見てくるよ、まだ見てないから。もしかしたら何か重要なヒントが隠されてるかも」 「じゃあ写真お願い」 「はいよ」  梅沢が出て行ってから、守屋はふと気づいたように言った。 「ついでに何か売店でお菓子頼めばよかった。どうせやることもないし何かつまむもの欲しいね」 「僕は飲み物だけで大丈夫。梅沢に連絡してみたら」 「そういえばあの警察からは部屋から出るなって言われたんだっけ。この階くらいならいいだろうけど一階に行って見つかったらまたうるさそうだし、そうだ」  守屋は鞄の中からここに来る途中で買ったお土産を一箱取り出した。この宿に来る前に立ち寄った昼食をとった場所で買ったものだ。この地域より少し離れているが同じく観光で地域を盛り上げているらしく土産がだいぶ充実していた。最終日に土産を買おうかと思っていたのだが相川が土産物屋で試食をして美味しい、と言っていたので思わず買ったのだと言う。 「味見はしてないけど見た目が可愛くて美味しそうだったから買っちゃった。これ開けちゃうね、また買うから」  包装を開けて蓋をとると、くるみが入った饅頭だった。 「香本君甘いもの大丈夫?」 「……。嫌いではないけど、あまり好きこのんでも食べないかな。非常食にもらっとく」 「そういえば今日ご飯食べてないんじゃない? お腹空かないの」 「朝からちょっと胃の調子が悪くて。食欲ないんだ」  一つだけ饅頭を取ると鞄の中にしまった。やがて戻ってきたのは梅沢と久保田二人だった。 「ただいま。なんか美味そうなもの広げてるじゃん」 「昨日買ったやつ。お茶菓子欲しいなと思って」 「警察と旅館の人に確認したんだが、朝食は食べていいそうだ。予定通り大広間に行っていいぞ、部屋から出る許可も出ている。個々の部屋に運ぶのは手間だから食事の時のみ許されたようだ」 「分りました。先生は行かないんですか?」  守屋が聞けば久保田は少し俯いて言った。 「私は遠慮しておく。まだ少し気分がすぐれない」  その言葉に守屋と梅沢は思い出したように気まずそうにした。そういえば久保田は木村を見ているのだ。友人と呼べるほど親しかったのかわからないが、知り合いが凄まじい状態で亡くなっているのを見てしまっているのだから当然だ。  じゃあ食事に行こうか、と言う話になったが守屋も少し考えてからこう言った。 「私もちょっと遠慮しとく。みんないい気分しないだろうから」  警察官がついていることを言っているのだろう。確かに警察からジロジロ見られながらの食事は落ち着かない。特に坂本はあの態度が大きい警察と少々揉めている。巡り巡って守屋に良い感情を持たないかもしれない。 「部屋に食事運んでもらうようにフロントに連絡するから、私の事は気にしないで。二人ともご飯に行ってきなよ」 「そんな寂しいこと言うなって」  明るい口調で梅沢が笑う。 「みんなで一緒に部屋で食べればいいじゃん。飯は人数多い方が楽しいって」  梅沢の提案に久保田も頷く。 「守屋さんが嫌じゃなかったらそうしたほうがいい。こんな状態だ、なるべくいつも通り過ごした方が悪い方向に考えがいかないで済む」  誰も聞いてこないがこれ自分も人数に入ってるんだろうなと思い香本は内心ため息をつく。  あまり皆と近い距離にいたくないのだが、自分は一人で食べてきますと言える雰囲気ではない。諦めて部屋から貴重品を取って来ると言って部屋を出た。
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