二日目、午前

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二日目、午前

 体中の血液が沸騰しているかのような、そんな感覚だった。痛みという物質が血液に乗って全身を駆け巡っているかのように、全身が、頭からつま先までそれこそ本当に爪までが痛い。  痛い、などという単語を出す暇さえない。声を出したくても出せない、出そうとすると出てくるのは血だ。気管支に入り咳き込んでしまう。目の前の人物は驚愕に目を見開き、ただひたすらそこに立ち尽くしている。  何をやっている、人を呼んでこい、救急車を呼べ、そう言いたいのに。痛すぎて何もできない。  まるで中途半端に踏み潰された蟻のようにバタバタしていた男は、不自然にガクガクと体が震え、何度も血を吐き出した。そしてブリッジをするように大きく体をのけぞらせると、ベリベリ、というおかしな音がした。  大量の血を吹き出した。口からではない、首からだ。べチャリと自分の顔に温かいものがかかる。それが血だと気づくのに少し時間がかかった。大きく痙攣した後、男は動かなくなる。白目をむいて口を大きく開けて、夢にでも出てきそうな顔だ。  目の前で何が起きたのか理解できずただ呆然としてしまっていたが、このままではまずい。どうしようかと必死に考え、出した結論は。  自分はここにはいなかった、そうするしかない。今ここで宿の人間や警察などに通報したら、なぜ二人でいたのかと聞かれるに決まってる。そんなことになったら終わりだ。どうせこいつは死んだのだ、黙っていればわからない。急いで顔を洗って鏡を見ると幸い浴衣には血はついていない。急いで部屋を飛び出した。  気分の悪さに目が覚めた。朝はいつも快適に目覚めるというのに、今日の気分は最悪だ。酒は一滴も飲んでいないし、昨日は特に体調不良もなかった。温泉で体を温めて気持ちよく寝れたはずなのだが。吐き気のようなものを感じて香本は部屋に備え付けられている冷蔵庫からペットボトルの水を取り出して半分ほど一気に飲み干した。食道から胃まで一気に冷えて少し後悔する。真夏ならまだしも秋口になった今冷やしておいた水を大量に飲むべきではなかった。時計を見るとまだ五時半だ。部屋にはお茶のセットなども置いてあるが自販機で何か買ってこようと財布を掴む。この階にも自販機はあるが、一階の大浴場横にあった自販機の方が品揃えは多かった。温かいコーヒーか何か買ってこようと部屋を出た。  一階に着いた途端異様な雰囲気であることにすぐに気づいた。スタッフの人間が一人いる位だろうなと思っていたが、数人のスタッフがバタバタと走りまわりかなり切羽詰まった様子だ。  チラリと受付を見ればスタッフがどこかに電話をしている。朝の五時半では客から何か要望があったというわけでもないだろう。不思議に思い近くにいた仲居に声をかけた。 「すみません、何かあったんですか」  香本の言葉に仲居は。一瞬ぞっとするような無表情だったが、すぐに営業スマイルを浮かべる。 「少々トラブルがございまして。今こちらで対応している最中です」  小さく会釈をして仲居はどこかに小走りで去っていった。その様子に不穏な空気を感じとる。  ――なんだ、この雰囲気。  先程の仲居の無表情。まるで能面のように何の感情も感じられない、背筋がぞくりとするようなそんな顔だった。トラブルの内容を話さなかったという事は、今は話せる状態ではないということだ。
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