お月様での恋物語

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 コンピューターはバカではないらしい。  僕は月で野菜を作る仕事をしている。  生身の人間に会うことはほとんどないし、ましてや異性に触れるどころか、その姿を見たことだって、大学を卒業してから一度もない。もう、10年以上もだ。  だから世界をコントロールしているコンピューターたちは、もう人間は必要ないと考え、人間を排除しようとしているのではないか、などと恐ろしいことを考えてしまった。  だけどそんなことはないようだ。  その連絡が入ったのは突然だった。  僕に新入社員の研修をやれという。  でも、今はほとんどロボットとそれを操るホストコンピューターが何でもやってくれるから、新人が特別に人から教わることなんてない。  何も知らない状態からいきなりファームを任されても、時間は山ほどあるから勉強したり、調べたりすることはいくらでもできる。実際に経験を積みながら学んでいけばいいから、今さら新人教育も何もないんだけれど。  でも、まあ、僕にとってもいい暇つぶしの材料にはなる。それこそ何年も生身の人間には会っていないし、直接言葉を交わすということを想像するだけで、なんだか嬉しくなってくる。  願わくば、体育系の生意気そうな奴より、気さくに話ができるような奴が来てくれるといいんだけれど。 「いやあ、月の重力はきついね」  そう言って、人間の乗船できる超高級運搬船から出てきたのは、顔も忘れかけていたわが社の社長だった。  昔は社長も月に住んでいたけれど、宇宙ステーションに移住して何年も暮らしたおかげで、月の重力にすら、対応するのに困難なようだ。  僕は社長が来るなんて聞いていなかったからびっくりしたし、それにも増して社長が仕事らしいことをしていることに、もっとびっくりした。  きっとステーションでのゴロゴロしている生活は快適過ぎる代わりに刺激がなさ過ぎて、飽きてしまったのじゃないかと思う。 「ちょっと、あちこちのファームの様子を直に見ておきたくてね。それに社の経営方針も少しばかり改めようと思って」  社長は昔に比べていやに控えめな話し方だ。きっと自分で考えたことじゃなくて、コンピューターの指示だからだろう。 「わが社の社員は君を始めとして皆、優秀で真面目だ。有り難く思うよ」  社長は僕の管理するファームを見回しながら言ったけれど、ここに来るまでの道中で、ファームの資料を頭に入れておけと、それもコンピューターに指示されたのだろう。 「私たちは野菜や果物を作り、提供する。提供するのは物だけでなく、そこに真心を乗せて提供するというのが、わが社のモットーだ。今ではほとんどが機械で物づくりを行っているが、やはりそこに少しでも関わりのある社員は、その精神をしっかり胸に刻み込んで日々頑張ってくれていると思う。しかしそのためには豊かな人間性が必要だ。思いやり、真心といったものは、やはり人と人との繋がりの中で育まれるものだ」  ははあ、それで社員教育なるものが出てきたわけだ。  僕は理解した。
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