お月様での恋物語

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 真っ黒い空が一面に広がっている。  ぐるっと360°地平線を見渡して、その見える範囲にいる人間は僕一人きりだ。お隣のファームまで約100キロある。  僕はもう一度、空を見上げた。  点滅する光を放つ船が、逆噴射の炎を時々放ちながら、ゆっくりと近づいてくる。  収穫した作物を運ぶための運搬船だ。  僕の仕事はファーマー。いわゆる農家だ。といっても、作物を作っている会社の一社員でしかない。  水も空気もほとんどない月で野菜を作るには巨大な資本がいるから、地球のように個人で農業をする人はいない。  宇宙開発が進み、宇宙ステーションで生活する人が出てくると、その素晴らしさが知れ渡った。重力がないのだから、体への負担がまるで違う。とても快適で、その生活を知ってしまうと、地球へ帰りたいなどという気持ちは消し飛んでしまうらしい。  もちろん無重力空間で一生を送れるような体つきに人間はできていないから、何カ所か手術をしたり、薬を飲み続けなければならないといったことが必要になる。しかしそれも年々研究が進み、手術や薬の費用はどんどん下がり、それに伴って宇宙に永住したいと希望する人は増えていった。  宇宙生活に適応するように体を作り変えてしまうので、一度、宇宙での暮らしを始めてしまうと、もう地球の重力に適応できなくなって、地球には帰れなくなってしまう。  宇宙で暮らしたいと願う人々は、そんなことは百も承知だった。  宇宙移住は地球に暮らす人達の憧れとなった。  それが世界中で一種のブームになり、超巨大宇宙ステーションが次々と建造されていった。  いち早く宇宙での暮らしを始めた人々は、初めの頃、さまざまに工夫された宇宙食で我慢していたが、そのうちに本物を、特に野菜類を食べることにお金を使うようになった。  少しの野菜なら地球から運ばれてくるが、ほんの一握りの野菜を宇宙ステーションに運んでくるだけで莫大なコストがかかる。  宇宙ステーションでも少しばかりの野菜を育てたが、狭いステーションの中の空間はとても貴重で、地球から運んでくるよりももっとコストがかかった。  そこで月の平らな場所に密閉した巨大なハウスを造り、野菜を作ることが始まった。  月での輸送は、重力や空気が少ない分、地球上に比べてかなり安いコストで行えるので、巨大な岩を取り除いたり、デコボコを平らにするより、離れた場所であっても広大で平らな場所を見つけて、そこに作物栽培専用のハウスを建設する方法がとられた。  僕の勤めている会社は、月での野菜作りの最大手だ。というより、うちの会社がほとんど独占的にその事業を行っている。  巨大な作物栽培用のハウスを幾つか一塊にしたものをファームと呼んでいて、一つのファームに社員が一人ずつ常駐して管理をしている。  僕もその一人で、ハウスの建設から始まり、野菜などを育て、収穫するまで全てを行った。といっても、実際に作業するのはロボットたちで、僕は16体のロボットを管理し、指示を与えた。  それにしたって、実際には、ほとんどファームを管理しているホストコンピューターが行っていたし、本社からの指示も僕に伝えられると同時にホストコンピューターにも伝えられ、それに基づいてコンピューターがロボットたちを操作したから、僕のやる仕事はあまりなかった。  野菜に与える養分や日光の加減、病気のことなど、今まで学んだ知識や経験で微妙な調整をしなければならないことがあると、やっと僕の出番になる。でも、そういったことも、何かあるたびにコンピューターに覚えさせていくので、やがて僕みたいな人間は必要なくなるのだろう。  そういえば、本社でも人を大分減らしていると言っていた。社長でさえ、数年前までは張り切って利益率がどうのこうの、新しい品種がどうのこうのだと息巻いていたようだけれど、結局はコンピューターに任せていたほうが的確に会社の運営を行えるので、そのうちに会社のことについては何も言わなくなったらしい。というより、今ではほとんど会社には関わらなくなり、宇宙ステーションに移住して、ゴロゴロした毎日を送っているらしい・・・・  そのうちに、うちの会社も人間なんて要らなくなるよなあ。社長も要らないし。  僕はそう思いながら、ロボットたちが収穫して箱詰めされた野菜をせっせと運搬船に積み込んでいるのを見つめた。  そういえば僕自身もここ何年か、生身の人間に会ったことがない。  きっとあちこちで管理を任されているコンピューターは、僕の会社だけでなく、この世界の人間自体、要らないと考えているのじゃないかな?  そんなことがふっと頭に浮かんで、僕はぞっとした。  そして思った。ネットで見る以外の女性を最後に見たのはいつだったか。  僕はそれすら覚えていない。
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