スタンドアロン

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 シノザキさんは同期している。  と、噂がたったのは二週間前のことだ。  わたしたちの学校では、よっぽどの事情がない限り同期は禁止されている。そのきまりを破ってズルをしている、ペナルティが必要、という言い分を掲げる人の気持ちもまぁ分かるけれど、とわたしは放課後の教室で溜息をついた。これで何度目だろう。教室で、シノザキさんの破片を見るのは。 「美化委員さん、ごめんね。手伝わせちゃって」  レトロきわまりない箒とちりとりを持ったわたしに向かって、シノザキさんはつやつやで真っ黒なロングヘアを揺らす。動くと頬のコーティングがもっと剥がれそうだったので、立ち上がろうとするのを押しとどめた。 「あ、歩くのも大変でしょ。家の人が来たら、早くお医者さんにみてもらった方がいいよ」 「違うよ、お医者さんは」 「え?」 「私が行くのは診療所じゃなくてラボラトリ」 「どっちでもいいよ……」  シノザキさんの左脚の破片をばらばらと手提げに入れて、流木みたいな脛にスカーフを巻いてあげた。夏服で良かった。冬服だったらタイツが大変なことになって、もっと悲惨な見た目になっていたかもしれない。  シノザキさんは左脚と皮膚を置き替えている。  からだの一部の置き替えは珍しくない。大昔のコンタクトレンズのように、わたしたちはからだを付け加えたり外したり、時には加工したりする。皮膚の置き替えは特に人気で、美容加工をしたがる人も増えている。らしい。流行はよく分からない。  わたしは生まれつき本数が少ない歯を補うための義歯をつけている。置き替えというより補充だ。  同期、というのは、それらとは異なっている。  日常生活をより効率的に行うための仕組み―アプリケーション―を、文字通りからだの一部とすることだ。人工知能を埋め込んだり身に付けたりして、二十四時間一緒にいる感じ。  わたしの身近に同期している人はいない。理由はシンプル。手術にとてもお金がかかるからだ。  高額なだけあって、働いている人にとってはすごく便利で画期的な仕組みなんだろう。天気予報や地図案内から仕事の効率化まで、同期をすればすべて解決! と銘打った広告を見かけることも増えた。  けれどわたしたち学生が同期すると、ちょっと厄介なことになってしまうらしい。学びから公平性が失われるとか、本来の学力が低下するとか、なんとか。学校で配布される端末や家電量販店で売っている端末と、同期のために特別に開発された仕組みとは、スペックが全然違うからだろう。  本当にそうだろうか、と思ってしまうけれど。  だって、わたしたち生徒は一人ひとりが全然違っている。十数年の間に積み重ねてきたものが、生き方が違うんだから。偉い人が言う公平って、なんだろう。  「……美化委員さんは聞かないのね」  昇降口までの階段をゆっくりと下りながら、そう呟くシノザキさん。家の人が迎えに来るまで一緒にいてくれ、と担任に頼まれたけれど、言われなくたってそうするつもりだった。 「同期しているかどうか、って?」 「そう。クラスの皆は思い込みが激しくって、質問するどころか決めつけてくるのだけど。私刑はみにくいのに。きっと正義感で目が眩んじゃっているのよね」 「思い込みっていうか、せめて誤解は解かなきゃ。そう、シノザキさんの言う通りでさ、見えないところで暴力を振るうのは普通に考えてやばいって」 「誤解も何も。勝手に噂が出てきて勝手に広まったのに?」 「それはそうだけど、シノザキさんの家の人も心配するでしょ」 「家の人なんていないの」 「え?」 「って言ったらどうする?」 「どうもしないよ……謝るよ……」  教室で脚が壊れたのはクラスの誰かのしわざで、シノザキさんへの攻撃は、担任がいくら頑張ってもなくならなかった。それどころか、最初は無視から始まった彼女への行為は日に日にエスカレートしている。 「映像か音声で証拠を出せばどうにかなるかしら」 「……ちょっと分かんない」 「あの子たちなら有耶無耶にする方法も知っていそうだものね。流行を追いかける振りをして、小ずるい知恵を身に付けるのに毎日を費やしているに違いないわ」  うっすら笑ってそう言うものだから、わたしは少し動揺してしまった。シノザキさんみたいな美人さんが放つ揶揄には、えもいえぬ迫力がある。 「―ね、聞かない理由があるのでもないでしょう。聞いてみて。私に。同期してるの? って」 「聞く理由もないから聞かないんだけど」 「おうむ返しは無しよ」 「だって、あなたがしてないって言うんならしていないし、してるって言うんならしてる、それだけじゃないの」  仮に彼女がきまりを破っていたとしても、わたしにはあまり関係がない。  シノザキさんに対する無関心ではなくて―わたしが彼女をかばうこともなければ悪意を向けることもない、たったそれだけの、距離感の話。  なんて説明するのもちょっとたるい感じがして、語尾をごにょごにょさせてわたしは口を閉じた。  そう。たるいのだ。  裏切り者がいないか、探り合っているような空気が。  同期していなくても使えるアプリケーションは世の中に沢山ある。学校での使用が許可されているものも、禁止されているものも。高度な人工知能を載せたものほど使っているのがばれやすいから、クラスの大半はわざわざ化石みたいなアプリケーションを使っている。らしい。流行はよく分からない。  勉強も雑談も運動も全部が競争だ。最新のことをどれだけ多く、早く見せびらかせるかが、わたしたちの価値だ。競争のきまりを破る人が罰せられるのは当然のこと。もしそんな不届き者がいれば、密告するのも当然のこと。  わたしはけれど競争に参加せず、お気に入りの猫のぬいぐるみを抱っこして、観戦席に座ることをとうに覚えてしまっている。 「美化委員さんもなの?」 「―何が?」 「こんなことするために、こんな思いをするために学校に来てるんじゃないのに、かったるいなぁ、って思ってるの」  シノザキさんの桃色の唇がにこっと三日月形にゆがむ。思わず、鞄を落っことしそうになった。  廊下には、わたしたち二人しかいない。ささやきさえも反響しそうな静けさの中で、シノザキさんは子供みたいな声をあげた。 「あはは。図星でしょ」 「……そんなに、わたしに聞いてほしかったの。同期してるかって」  胸の内を言い当てられて不快になったわたしが、イライラしながら聞けたら完璧だったろうか。  シノザキさんは指先の剥けたコーティングをぱきぱき割って、ごみを増やしていく。ほんの数瞬間前はきれいな皮膚の一部だったものが、花びらみたいに床にばらまかれていく。 「ね、聞いてよ。私否定するから。そしたらあなたのことも否定してあげる」  もうすぐ下駄箱だ、というところで、シノザキさんは立ち止まる。 「あなたは他の子とは違ってて普通じゃなくて、置き替えに興味もなくって流行に疎くて機械に疎くて人工知能なんか知りませんって顔してる、変わった子だって言ったげる」 「……なんで?」 「言われたくないの?」 「シノザキさんからののしられたいって思ったことはないかな」 「残念。―じゃあ、同期してない普通の子、って言ってあげましょうか」  薄暗い下駄箱の陰で、シノザキさんの目がちかりとまたたく。視力が良いから、目は置き替えていないんだ。  まだ、彼女の迎えは来ない。 「あなたは同期していない。同期をしたいとも思ってない」 「そ―そうだよ。シノザキさんは?」 「あら。あなたの思考回路をもってしても推測できないかしら」 「……」 「なんてね、私も同じよ。同期なんてまっぴら。だけどまだ箱の中に入れられた猫でしょう、お互いに?」  彼女はぐっと近付いて、わたしの鞄についている猫のキーホルダーを指で揺らす。一緒に付いている鈴が、ちゃちな風鈴みたいに鳴る。 「かっ捌いてみないと本当のことは分からない。だけど私たち、命は九つもないもの。今はそういうことにしておきましょうよ、美化委員さん」  だってね、とシノザキさんはわたしの顔をじっと見る。全部を見透かすみたいな視線に、わたしは目をしばたく。わたしは―カメラレンズに入ってくる光の量を、調整する。 「あなたのまんまのあなたとお友達になりたいもの。あなたの冷たい手が好きなんだもの、私」  置き替えていない、人工物のわたしの手を取って。  シノザキさんはお人形さんみたいに、小首をかしげてほほえんだ。
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