1R 退屈な日々に吹き込んだ風

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 全体の真ん中辺りを走る五番の馬。そのままの位置を維持したまま最後のカーブに入ると、徐々に位置を上げ始めた。そして、ゴール前の直線。五番は先頭に立った。 「頑張れ……!」  思わず声が出た。 「頑張れ!」  ところが、ゴール直前で後方から現れた馬に追い抜かれてしまった。テレビのカメラは一着になった馬を映し、親が誰だとか上の人が誰だとかの解説をし始めた。一着になった馬にとっては喜ばしい結果であり、上の人間も実に嬉しそうにしている。会場に集まった観客の祝福の声が画面越しに聞こえる。  亜由美は五番の馬のことが気になった。五番の馬のことが知りたかった。名前は何というのか教えてほしかった。食い入るようにテレビをじっと見る。 『――二着は、五番ムジークヴィント』 「ムジーク、ヴィント……」  その名前を繰り返す。  亜由美の目は画面の端を歩いているムジークヴィントに釘付けだった。姿に、走りに、それとも名前に。風を奏でる馬に、亜由美は心を鷲掴みにされた。  テーブルの上に投げ出していたスマートフォンを手に取り、画面に指を滑らせる。タップして、スワイプして、検索して、競馬の情報が見られるどこかのサイトに辿り着いた。そのページが公式のものか非公式のものなのかは今の亜由美には関係ない。とにかくあの馬のことが知りたかった。  ムジークヴィント。北海道の牧場で生まれ育った二歳のオス。  父は数年前のマイルチャンピオンシップというレースを勝った馬で母も良い成績を積み重ねた馬だそうだが、亜由美には親の馬の成績がどれくらいのものなのかよく分からなかった。父馬が勝ったマイルチャンピオンシップはレースの中で最も格付けが高いGⅠレースの一つであり、母馬は一つ下のGⅡを三勝している。成績優秀な両親を持つムジークヴィントは先程のメイクデビューで一番人気になっており、ファンの期待が数字に表れていた。  知らない単語、分からない単語が次々と画面に出て来て、亜由美は目を回してしまいそうだった。それでも、ムジークヴィントのことをもっと知りたくて画面を睨み付ける。  オーナー、すなわち馬主は音楽関係の仕事をしている人物であり、所有馬にも楽器や音楽に関する名前を多く付けているそうだ。馬主の名前は亜由美の知らない名前だが、おそらく業界では名の知れた人物なのだろう。  今、亜由美が知ることのできた情報はこれくらい。僅かなものだが収穫は十分だった。ただ一度画面の向こうを走っているのを見ただけの馬に、すっかり惹き付けられてしまった。  また、走っているところを見たい。  駒村亜由美はその日、ムジークヴィントと出会った。
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